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第105話 気に食わないな

 雲ひとつない青空が広がった日。 

 ヒュルリと風に吹かれるセフィリアは、途方に暮れていた。


「おお、なんかとてつもなく大きい建物がある。あれが王宮か? 立派なものだなぁ」


 というのも、斜向かいには馬車の窓から顔を出し、興味津々に街並みを見下ろしているレイが。


「嫌な予感がする。これ当たるやつだ。ろくなことないぞ、ぜったい」


 レイのとなり、セフィリアから見て正面には、腕組みをしながら不服そうにつぶやくカイルが。

 温度差がすごい兄弟を目前にしているのだ。反応に困らないわけがない。


(あぁ、どうしてこんなことに……)


 ぜったいに逃げられない空の上。

 翼の生えた白馬に引かれる馬車に揺られながら、セフィリアは人知れずため息をついた。



  ✼  ✼  ✼



「陛下とは旧知の仲だけれど、さすがに急なお話だったわねぇ……」


 アーレン公爵家に、ルミエ王国女王の名でお茶会の招待状が届いた。2日前のことだ。

 女王直々の招待となれば、公務で多忙にしていたユリエンも無視はできない。

 セフィリアはまだ7歳。社交界デビューデビュタントを終えておらず、公的な外出の際は親族の同席が必要であるためだ。


 お茶会当日。王室が用意したペガサスの馬車には、セフィリア、ユリエン、カイル、レイ。計4人が乗っている。

 あいにくとノクターはジェイドとともに遠征中。ユリエンもほかの公務を早めに切り上げた。

 そうして慌ただしく準備をととのえる中で付き添いに選ばれたのが、カイルたち兄弟というわけだ。


「でも、どうして招待状はお母さまではなく、私宛なのでしょう?」

「俺にはわかりますよ。王子殿下が一枚噛んでるはずです」

「えっ、そうなんですか?」


 セフィリア自身がいまいちよく理解できていないというのに、カイルはいきさつを察したらしい。


「奥さま、以前陛下が王子殿下をお嬢さまの婚約者にと提案なされたそうですね」

「えぇ。違法闘技場の件で報告にうかがった際に、リアが魔王陛下にプロポーズされた話もお伝えしたの。そのときに『そんなやつと結婚させるくらいならうちの息子をやるわ!』とおっしゃっていたわ」

「それで今回、その王子殿下がお嬢さまと話をなさりたいとか。つまりは、ですよ。王子殿下は前々からお嬢さまに目をつけていて、魔族とのゴタゴタに乗じてチャンスとばかりに婚約を取りつけるつもりなんです。そうに決まってます」

「えぇ! それはちょっと飛躍しすぎでは? 殿下とは面識もないですし……」


 セフィリアは否定するが、思わぬところから追い討ちの発言がある。


「いや、きみは可憐だからな。いつどこでだれを無意識のうちに虜にしていても、なんら不思議じゃない」

「れ、レイまでなにを言うんですか!」

「いくら王室だからってお茶会の2日前に招待とかふざけてますね。われらがセフィリアお嬢さまはヒマじゃないんですよ、せめて2週間前には連絡が必須です。参加するかは別として」


 たらり。セフィリアのこめかみに冷や汗が流れる。

 なぜなら、淡々と王室への不満を並べていたカイルの目が、怒りのせいか徐々にキマってきており。


「てか陛下と結託してお嬢さまを俺たちから奪うつもりなんだろうが殿下は! んなことさせるか、舐めんじゃねぇぞクソガキ!」


 案の定、不満が爆発してしまった。


「きゃあ! なんてこと言うんですか、カイルさん! しーっ!」

「兄さんが言うように、よく知らないやつにきみを取られるのはやだな」

「だからレイまでそんなこと言ってないで、カイルさんを止めてくださいってば!」


 困ったことに、カイルの脳内では顔も知らぬ王子が敵認定され、修羅場がくり広げられている。

 さらに、レイもカイルと同意見ときた。ふたりとも、ここが王室から遣わされた馬車の中だということを忘れているのだろうか。


「あらあら。リアは愛されてるわねぇ、うふふ」

「笑い事ではありません、お母さま……」


 とっさに防音魔法を展開していたセフィリアは、深いため息を吐きながらかかげた右手を下ろす。シュン、と魔法陣が消滅し、あとには窓越しにヒュウヒュウと風の音が聞こえるだけ。


(王宮に招かれた賓客が王室の悪口なんて、不敬罪で捕まってしまうわ……)


 防音魔法と風の音の影響で、先ほどのカイルたちの発言が御者に聞こえていないことを祈るばかりだ。


 ヒュオウ──……


 風の流れが変わる。

 一瞬の浮遊感のあと、馬車がゆっくりと降下をはじめた。


「あれが、ルミエ王室の方々が住まう、太陽宮殿──」


 空の旅は、これで終わり。

 ──そして波乱のお茶会まで、あとわずか。



  ✼  ✼  ✼



 太陽宮殿。その名のとおり、建国神話に登場する太陽の女神を祀った巨大宮殿だ。

 城壁に囲まれた正円形の広大な敷地内に連なる、絢爛豪華な建物。

 中でも高台となっている東側には、セフィリアもうんと見上げるほどの塔がそびえる。東は太陽がのぼる場所。つまりその塔こそ、太陽の女神を祖先とするルミエ王室の居城なのだ。

 しかしセフィリアたちが案内されたのは、目を奪うくだんの塔ではない。


「女王陛下ならびに王子殿下は、庭園にてお待ちでございます」


 広大な王宮内では、移動も馬車を使う。

 しばし馬車に揺られたセフィリアたちは、水路が張り巡らされ、迷路のように入り組んだ庭園へ案内された。


(複雑な造りね。地図がなければ迷ってしまいそう)


 部外者の侵入を防ぐ対策のひとつだろう。

 そんなことを考えているうちに、セフィリアを乗せた馬車は緑のアーチを抜け、見通しのいい広場へやってきた。


「到着したようですね。奥さま、お手をどうぞ」

「ありがとう、カイル」


 馬車が止まってすぐ、カイルが扉を開けて外へ出る。

 カイルはまずユリエンを馬車から下ろすと、ついでセフィリアへ手を差し伸べた。


「お嬢さま、足もとにお気をつけて」

「はい、ありがとうございます──」


 カイルの手を取ろうとしたそのとき、ふいに、セフィリアの視界をさえぎるものがあった。


「……あら?」


 カイルではない、だれかの手。

 カイルよりもいくらかちいさい、少年の手だ。それが、セフィリアの目の前に。

 そっと視線を上げるセフィリア。すると、カイルより先にセフィリアへ手を差し伸べた少年のすがたが目に入った。

 深みのあるエバーグリーンの髪。背丈はレイよりも小柄で、セフィリアよりすこし高い。

 レンズの分厚い丸眼鏡をかけているせいか、光の反射で肝心の顔立ちが見えない。

 ネイビーで統一されたシックな服装だが、コートの襟をふちどる金糸の刺繍が上品な華やかさを引き立てる。目の前の少年が、高貴な家柄の出身であるあかしだ。


「あの……?」

「まぁ! まばゆい午後の日にごあいさつ申し上げます、殿下」


 セフィリアがこわごわと問いかけようとした矢先、ユリエンがドレスのすそをつまみ、少年へ向かって一礼する。


(殿下ってことは、この子……!)


 さすがのセフィリアも、ここまで来れば状況を理解する。


「ご無沙汰しております、アーレン公爵」 


 ユリエンのあいさつを受け、それまで無言を貫いていた少年が口をひらく。

 そして少年はセフィリアへ向き直ると、決定的な言葉を告げるのだった。


「ルミエ王国王子、リュカオン・リオール・ド・ルミエと申します。はじめまして、セフィリア嬢」


 抑揚のない声音は、淡々とセフィリアを迎え入れる。

 生真面目そうで、なにを考えているのかわからない少年だ。


(えぇと……王子殿下のご厚意を無下にするわけにもいかないわよね)


 セフィリアはつかの間に頭をフル回転させ、最大限空気を読んで王子──リュカオンの手を取った。


「セフィリア・アーレンです。本日はお目にかかれて光栄です……王子殿下」


 せいいっぱい笑顔を浮かべたセフィリアは、ちらりと脇を盗み見る。

 リュカオンのすぐとなりでは、手を伸ばしたまま、やたらまぶしい笑みを炸裂させたカイルがいた。

 とたん背すじが凍る思いをしたのは、言うまでもない。


「彼、どこかで……いや、そんなはずはないか」


 セフィリアに続いて最後に馬車を下りたレイはわずかに既視感を覚えたが、すぐにかぶりを振った。

 一方で右手を引いたカイルは、ブルーの瞳を細め、じっとリュカオンを見据える。


「……気に食わないな」


 ぽつりとこぼされた独り言は、ふいのそよ風に吹かれ、空高くへ消えてゆく。


「陛下がお待ちです。ご案内いたします」


 まだ幼い少年の声とはちぐはぐなおとなびた物言いが、セフィリアの胸にざわめきをもたらした。

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