──レイのもとへ。
その一心で、セフィリアは駆ける。
廊下を駆け、らせん階段を駆け下り、エントランスを飛び出す。
そうして庭園の温室に戻ってきたセフィリアは、きょろきょろとあたりを見回し、リッキーを見つけた。
天気のいい日はごきげんに揺れているが、いまはじっと動かない。
ポット・トレントは日中が活発的である代わりに、陽が落ちると休眠してしまうためだ。
「リッキー!」
「……ウウッ!?」
「休んでいるときにごめんね。レイはまだこのあたりにいるかしら? 黒髪に赤い眼をした男の子よ」
日陰でうとうとしていたリッキーは、セフィリアの呼び声でぴょこんと飛び起きる。
それからすこし考えるようにゆらゆらと揺れたあと、元気よく左側の枝をぴんと伸ばす。
「ウ!」
「あっちのほうで見たのね。ありがとう、リッキー!」
「ウゥウ〜」
「どういたしまして〜」とばかりに幹をゆらすリッキーに見送られ、セフィリアは教えてもらった方角へ駆け出す。
(お母さまは……もういらっしゃらないわね)
道中テラス席も確認したが、アフタヌーンティーセットはきれいに片づけられていた。
(レイはアフタヌーンティーの片づけをしに一度厨房に来たけど、それから見てないってディックさんは言ってたから)
ここへ来るまでに厨房でディックにも確認をしておいたのだが、どうも屋敷内にはいないらしい。
となると、広大な公爵家の敷地内でどうさがしたものか悩ましいところだったが、リッキーの目撃情報があるのは幸運だった。
(彼が行きそうな場所……)
セフィリアは、レイがアーレン公爵家に来てからの様子を思い返す。
カイルやディックとは親しげに接していたが、逆を言えばそれだけだ。
思えばレイは、どことなく他人との関わりを避けているようだった。
(そりゃクールで一匹狼みたいだけど、意外とコミュニケーション能力は高いのよ、彼。だってあの
だれがなんと言おうと、自分の決めた道を突き進む彼。
──いっしょに、星を見に行こう。
彼は、自由なひとだった。その手を取るたび、知らない世界を知った。心が、ふるえた。
そんな彼が、今世ではなにかに囚われたように、人目を避けている。その理由は──
確信があったわけではない。だがセフィリアは、直感していた。
温室には、鬱蒼と木々の生い茂ったエリアを抜けた場所──星のよく見えるとっておきの場所がある。
彼は、そこにいるのではないかと。
そして、その直感は正しかった。
(……いた)
風も吹かない静かなその場所で、無言でたたずむ黒髪の少年のすがたを見つけた。
暮れゆくオレンジの空を見上げていたレイが、おもむろにふり返る。
紅蓮の瞳がすこし丸みをおびて、セフィリアを捉えた。
「きみ……兄さんのところに行ったんじゃないのか?」
「……行きました。今日はおとなしくしていたので、ほどほどにしておきました」
「そうか。もうじき夕食の時間だろう。戻ったほうがいい。夜になると冷える」
レイの言葉はセフィリアを気遣うようであって、遠ざけるものでもあった。
そうと気づいたセフィリアが、はいそうですかとすんなり引き下がるわけもない。
「私がここに来たのは、あなたと話をしたいからです、レイ」
「……俺と? なにをだ?」
一瞬。ほんの一瞬だが、レイの返答に間があった。声音は固く、わずかに身がまえている。
「ごめんなさい。さっきはレイの好きにしていいと言いましたが、あれは本心じゃありません」
距離を感じる。それでもセフィリアは、かまわずレイへ歩み寄った。
「回りくどいことはやめにして、私の本当の気持ちを伝えさせてください。レイ、ここにいてくれませんか」
「……!」
紅蓮の瞳が大きく揺れ動く。しかしすぐにほの暗い色をまとい、寂しげなまなざしが地面へ伏せられた。
「きみはやさしいな。ひもじい思いをしている俺を、不憫に思ってくれたんだな」
「そうじゃなくて」
「ここではよくしてもらったから、本当に感謝してるよ。ありがとう。だが甘えてばかりは申し訳ない。俺は孤児院に戻るよ」
「レイ!」
焦れたセフィリアが手を伸ばす。
が、それより早くレイが後ずさり、伸ばした手は虚空を掻いた。
「あ……」
しまった、と硬直するレイ。
だがもう遅い。セフィリアを拒絶してしまったのは、変えようのない事実なのだから。
「悪い……でも、俺には不用意にふれないほうがいい」
「どうしてですか?」
「きみは悪くない。俺が……」
「オーガだから?」
セフィリアの問いに、レイがぐっと唇を噛みしめる。
長い長い沈黙をへて、レイは重い口をひらいた。
「……そうだ。俺はふつうの人間とは違う存在だから」
──レイはあぁ見えて、自分の生まれがコンプレックスなんですよ。
そう、カイルが教えてくれた。だからレイがオーガであることを知っているのは、孤児院ではカイルとルフだけだったと。
「あなたは、やさしいひとですね」
「なんでそうなる」
「だって本当は知られたくないのに、その力を解放してくれたじゃないですか。闘技場で危険にさらされた魔族の子や、私たちを守るために」
自分の感情より、他者の安全を優先する。
生まれ変わっても変わらない、彼の本質だ。
「そんなあなたに、私は惹かれました」
もう一歩踏み込み、セフィリアはレイの手を取る。
うそは言っていない。ずっとずっと、彼に惹かれていた。彼を想っていた。
「なっ……!」
ドッドッドッと、レイの胸もとでハートが脈打つ。その色はあざやかな赤。
ならば遠慮することはない。セフィリアはさらにたたみかける。
「やっと見つけた、私の運命のひと──離したくなんてないです」
「やめてくれ……」
「あなたは、どうですか?」
「だめだ、俺はきみを傷つける!」
セフィリアをふりほどくレイ。
けれど、ぱしり。ふたたびセフィリアはレイの手を取る。何度でもにぎり返す。彼がわかってくれるまで、何度でも。
「私は大丈夫です」
「だめだ……俺は力が強すぎる、なにかの拍子に、きみに怪我でもさせたら……それに……」
「レイ、私はあなたの気持ちを聞いているんです」
「……俺の……」
「どうしてそんなに、おくびょうになっているのですか?」
「とても聞かせられるような話じゃない……」
「教えてください。レイのこと、笑ったりしませんし、嫌わないですから」
「…………」
先ほどよりさらに長い沈黙が、セフィリアとレイのあいだに流れる。
「レイ、おねがい」
セフィリアの真摯なまなざしに根負けしたのか。
レイはうつむきながら、本心を語りはじめた。