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第101話 行って

 どれくらいそうしていたのか。

 気の済むまでセフィリアを抱いていたカイルは、あるときそっと腕をゆるめた。

 その腕から解放され、セフィリアは恐る恐るからだを離す。


「あの……カイルさん?」

「正直、帰したくないのが本音なんですけどね。いい加減離さないと、お嬢さまに悪いので」


 このカイルの発言は、すくなからずセフィリアを戸惑わせた。

 なにをしてでもセフィリアを手に入れると宣言したカイルが、あえてセフィリアを解放した理由とは何なのか。


「だってこのままだと思い悩んで、前みたいに真夜中のバルコニーでため息をつく羽目になっちゃうでしょ?」

「それは……」


 図星だった。この鬱々とした気持ちのまま夜を迎えれば、寝つくことができずに一晩中悩んでいただろう。


「俺は、おなじ間違いはおかさない男なんです」


 想いを自覚したばかりのころ、気持ちだけが暴走して、セフィリアを思い悩ませてしまったカイル。そんな彼だからこそ、今度はたよりなく揺れ動くセフィリアの心を見逃しはしなかった。


「俺が好き勝手やったんですから、次はお嬢さまの番です」

「私……?」

「そう、お嬢さま。この際俺のことは置いといてもいいです。お嬢さまがいま抱えている一番大きな不満、思いっきり吐き出していいんじゃないんですか? たとえば、俺のプロポーズへの返事はどうとでもなるけど、いまアクションを起こさないと取り返しがつかなくなるようなことです」


 目と目を合わせ、真正面から見据えてくるブルーのまなざしは、セフィリアのすべてを見透かしていた。

 そもそもの話、セフィリアがここを訪れた理由。カイルに会うことを口実に、逃げざるを得なかった原因は──


「レイと、離れたくないんでしょ」

「っ……それは」


 ──俺は、孤児院に戻ろうと思います。


 そう耳にしたときからだ。頭が真っ白になって、胸がざわつきはじめたのは。

 やっと再会できたのに、最愛の彼とまた離ればなれになってしまう……そのことが、セフィリアにとってなによりの苦痛だった。


「ごまかしてもだめですよ。なんで俺が二回も初恋諦めなきゃいけなかったか、もうわかるでしょう。──あいつに対するあなたの気持ちも、痛いほど知ってます」


 カイルはセフィリアへ想いを打ち明けた。

 だからといって、セフィリアがじぶんではない男へ想いを寄せることを、咎めはしない。


「お嬢さまはどう思っていて、レイにどうしてほしいですか?」

「……行ってほしくないです。でも、彼はみんなのお兄さんでもあるから……私のわがままで孤児院へ帰ることを引きとめてはいけないと思います」

「そうですか。じゃあ、レイはどう思ってると思いますか?」

「え……?」


 問いの意味を、セフィリアはすぐに理解できなかった。


「カイルさんの怪我が治ったら、孤児院に戻ると……そう、言っていましたし……」


 こわごわと口にするセフィリアに、カイルはひとつ嘆息。それから、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「あのですねお嬢さま、怪我ならとっくに治ってます」

「えっ……」

「右肩の傷、旦那さまの治療のおかげでもう痕もないですし、ぶん回しても痛くも痒くもないんです。で、しょっちゅう俺のところに押しかけてきたレイも、このことを知ってます」

「なっ……ど、どういうことですか!?」


 カイルの世話はレイに任せきりだったため、セフィリアは詳しい状況を知らなかった。

 だがレイの真面目な性格上、報告を怠るとも思えない。

 それなのに、セフィリアはカイルの回復を知らなかった。つまり、レイが意図的に報告しなかったとなれば──


「言葉だけじゃ、わからないこともある。お嬢さまがその気持ちを飲み込もうとしてたみたいにね」

「──!」

「レイの気持ちは、レイにしかわかりません。思いきっていっぺん突撃してきたらどうですか? 後悔するより断然マシでしょ」


 ぽんと、頭に手を置かれる感触。

 無意識に顔をあげたセフィリアは、エメラルドの瞳を見ひらいた。

 窓から射し込む夕暮れ。あたたかなオレンジ色に染まる景色が、そこにあった。

 うつむいていたままでは、気づけなかったことだ。


「万が一玉砕したら俺が慰めるので、大丈夫ですよ。ほら、怖いものなんかないでしょ?」

「カイルさんったら……」


 からからと冗談めかすカイルの気遣いが、からだの芯にしみわたる。

 視界がにじむのを感じながら、セフィリアは笑った。


「ありがとうございます……」


 ちゃんと笑えていただろうか。セフィリアにはわからないけれど。


「俺は、お嬢さまには笑っていてほしいです」


 さらさらと何度かストロベリーブロンドを梳いた手が、今度はそっとセフィリアのほほをつつみ込む。


 ……ちゅ。


 くすぐるように、セフィリアの濡れた目じりへキスが落とされる。

 慈しむ心を、一途な愛情を感じる。不思議なことに、こうしてカイルにふれられることに、セフィリアはもう抵抗を感じなくなっていた。

 セフィリアが脱力するころ、ブルーの瞳を細めたカイルがふいに顔を寄せ。


「……っん」


 しっとりと、セフィリアの唇を吸いあげた。


「ははっ、隙だらけですねぇ!」

「……か、カイルさん! また……!」

「恋敵に塩を送ってやったんです。そのお代だと思ってもらえれば」

「意味がわかりませんっ!」


 まんまとしてやられた悔しさと羞恥で顔を真っ赤にしたセフィリアがじたばた暴れても、カイルは止めない。


「遠慮する必要はないから、行って」


 すんなりセフィリアを離すカイルのまなざしに、からかいの色はなかった。

 つかの間視線をかわしたセフィリアは、ありがとうの代わりに軽く頭を下げる。

 そしてきびすを返し、茜に染まりゆく部屋を飛び出したのだった。

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