前世の記憶がなかったカイル。
それが、どうして今になって思い出したというのだろうか。
セフィリアの困惑を感じ取ったか。その答えは、カイル自身が明らかにする。
「走馬灯ってやつですかね。いっぺん死にかけて、それで思い出したんです」
「どこまで、ですか?」
「ぜんぶ、です。たぶん、お嬢さまが思ってる以上のことを」
「私が思っている以上の……?」
なんとも意味深な言い回しだ。
やがてカイルが放った言葉は、セフィリアを驚愕させるのにじゅうぶんなもの。
「俺が
「……うそ……」
「うそじゃないです。あなたと同じように、
「なん、ですって……」
「まぁ門派も違いましたし、合同稽古でちらっと会話したくらいで、知人と呼べるほどでもなかったですけどね。あなたにいたっては、シスコン大魔神がいたせいでほとんど近づけさせてくれませんでしたから」
カイルの言う「おふたり」とは、おそらく
そうと確信できるほどに、カイルの口調は流暢なものだった。
「ごめんなさい……私、全然わからなくて」
「謝る必要はないですよ。俺のことがわからないのは当然です。俺は中途半端に器用なだけで、何者にもなれなかった男ですから」
そこまで言って、カイルはそっと視線を伏せる。
遠いむかしを思い返しているだろうそのまなざしは、どこかさびしげだった。
「まわりはすごいやつしかいないし、俺は仙界での日々に限界を感じて、仙籍を返上しました」
「それは……みずから
「そういうことです。ごちゃごちゃ言ってますが、あそこでの生活は俺には合わなかったってだけです」
たしかに感情を律することを強制される仙界は、喜怒哀楽を素直に表現する彼にとっては息苦しい場所だったろうと容易に想像はつく。
「でもね、遠目で一度だけ目にしたあなたのことが、どうしても忘れられなかった。そのせいですかね。七海に転生した俺にも、記憶が受け継がれたみたいです。……俺は今度こそ、中途半端なままで終わりたくなかった」
七海はなんでもこなす器用な青年だった。
だがそれは、彼が持って生まれた才能ではない。
(きっと、死ぬほど努力をしたんだわ。後悔ばかりの人生を終えた、彼だからこそ……)
そして星夜の右腕的存在となった彼は、花梨とも再会を果たす。なんと数奇な運命なのか。
「ただ、まさか本当にあなたとも再会するとは思いませんでした」
ということは、七海は花梨と星夜が愛花と星藍の生まれ変わりだと知っていたことになる。
不思議なことだ。わたあめのように、魂を判別する能力でも持っていたのか──
「笑っちゃいますよね。前世で好きだった子が、生まれ変わって目の前に現れたんですもん。それも、もう運命の相手がいて……正直、俺の入る隙はないと思いました」
「それじゃあ……」
「はい、二度目の人生も、諦めました。好きだった、本当に好きだったけど……あなたの悲しむ顔は見たくないから、何食わぬ顔してました」
『前』の世界でもセフィリアを好いていたというカイルの言葉は、真に迫っていた。本心によるものだ。
だから余計に、セフィリアはわからなくなる。
「
「えっ……ど、どういうことですか?」
「俺が花梨さんを好きだったように、あいつもほかに想いびとがいたってことです」
「そんな……では、おふたりの『契約』というのは……」
「初恋に敗れた者同士、おたがいがだいじなひとを守り合うこと。好きなひとが笑顔でいられるようにね。これ以上はあいつのことをベラベラしゃべることにもなるので、やめておきます」
驚きの真実。だが、おかげでセフィリアもなんとか状況を飲み込むことができる。
(だいじなひとを守り合う……それじゃあ和沙さんは、星夜さんのことを……)
ショックを受けなかったといえばうそになる。
七海と和沙。ふたりの苦しい葛藤の上に、じぶんたちの幸せが成り立っていたのだから。
「お嬢さまが負い目を感じる必要はありません。言ったでしょ。あなたのことが忘れられなかったって」
うつむきそうになっていたセフィリアは、力強い言葉に思わず視線を引き寄せられる。
「俺、諦めが悪いんです。諦めるのを諦めました。今度こそあなたを手に入れるために、なんだってしてやる。そう心に決めたところです」
「カイルさ──」
セフィリアの言葉は、最後まで続かない。
おもむろに椅子から立ち上がったカイルが、伸ばした両腕で、セフィリアを抱きしめたからだ。
からだが熱い。これがカイルの体温なのかじぶんの体温なのか、セフィリアにはわからない。みる間に抱きすくめられ、一分の隙もなく密着しては。
「セフィリアお嬢さま……セフィリア」
「っ……」
セフィリアがひるんだ一瞬を、カイルは見逃さなかった。
「愛してる──リア」
ひときわ甘い言葉をささやいた唇が、セフィリアのそれを軽く食む。
「んっ……!」
思わず身を引こうとしたセフィリアだが、絡みついたカイルの腕はびくともしない。さらに。
ぱぁああ──……
まばゆい光に、視界を埋め尽くされる。
(なにこれ……あついっ!)
突如胸もとに感じた熱。まぶたをこじ開けたセフィリアは、まばゆい光を放つ魔法陣がじぶんとカイル両方の胸もとに溶けて消えるさまを目の当たりにした。
「やってみれば、意外とできるもんですね」
いつの間にかわずかにからだを離されており、セフィリアは我に返る。
「カイルさん、なにを……っ!」
「古代魔法の一種です。けど、べつにめずらしいことじゃないでしょ? 結婚する男女が、大昔からやってきたことです」
「まさか……」
思い違いであってほしかった。
だが現実は、セフィリアの危惧したとおりに事がすすむのだろう。
「誓約魔法、です。これで俺はあなた以外のだれとも結婚できません。こどもも作れません」
一妻多夫制であるルミエ王国は女性の重婚に寛容だが、一方で男性は、生涯に妻をただひとりに定めることが美徳とされる。
つまり結婚に際し、男性側は誓約魔法の使用が義務づけられているのだ。
「なんてこと……じぶんがなにをしたのか、わかっているのですか!?」
「当たり前です。後悔なんてしません。俺の心は、あなただけのものなんですから」
「いけません。私には彼が……」
「──お嬢さま」
セフィリアがさらに言い募ることを、カイルは許さない。
「無駄なことは、やめましょう?」
「無駄って……!」
「だってそうでしょ。意味ないです。あいつと結婚したいなら好きにすればいい。その代わり俺も好きにする。そう言ってるだけでしょう」
「なっ……」
そう……そうなのだ。カイルは正しい。
ここは異世界だ。これまでのセフィリアの倫理観をすべてくつがえすような、異質な世界。
「ねぇお嬢さま。ここでは、思うがままに行動していいんですよ。ほしいものを素直に求めていい」
『花騎士セフィリア』の舞台。
見目麗しい男性たちとの恋模様が描かれる、華やかな世界。
(あぁ、そうか……)
ようやく、セフィリアは腑に落ちる。
嫉妬に狂った人物に殺されかけ、それでも、黒いその感情を乗り越えて星夜と結ばれた『前』の世界。
あれが『嫉妬』を克服する試練であったならば、次に当てはまる『
(欲望、だ)
──欲を望むべからず。
嫌というほどすり込まれた言葉が、セフィリアをさいなむ。
「ほかにだれを好きでもいいです。ここでは俺が、あなたの一番最初の男ですから。そうですよね? ははっ……その様子だとファーストキスですよね。うれしいなぁ」
今度こそは、と口癖のようにくり返しながら、カイルはふたたびセフィリアへ口づける。今度は、ひたいへ。
「もう逃げられませんよ、お嬢さま」
カイルはいまだかつてないほどに破顔しながら、セフィリアを腕いっぱいに抱きしめ、いつまでも離そうとはしなかった。