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第95話 諦めないから

 器用貧乏とはよく言ったもので。

 なんでも人並み以上にこなせるが、飛び抜けてなにかがすごいわけでもない。

 だからひとつの道を極めた者に、とうてい追いつけるはずがなかった。


「おまえはすごいよなぁ。俺には敵わないよ」


 ある日、冗談まじりにそんな言葉を投げかけてみた。

 けれど『彼』から返ってきた反応は、予想外のもので。


「それできみは、そこで諦めるのか?」


 ──虚を、衝かれたようだった。

 皮肉などなく、『彼』にとって純粋な疑問だったろう。

 それが余計にこちらを惨めにさせるなど、思いもしなかっただろうけれど。


『彼』は天才だった。

 こちらが死に物狂いで努力したところで、努力する天才には敵わない。

 中途半端に器用なだけの男は、結局、何者にもなれはしなかった。

 ただ劣等感はぬぐえないのに、不思議と『彼』に対しての嫌悪感はなかった。

『彼』の夜空のような黒髪や風にはためく藍色の衣が、憧憬とともに、鮮明に脳裏へきざまれている。



 ザザ……


 雑音ノイズのようなものが聞こえ、また別の場所にカイルはたたずんでいた。


(あぁ……ひさしぶりだな、これ)


 すぐに、これが夢の中だと理解する。

 物心ついてから、きまぐれに見せられる夢。

 どれもがあいまいで、断片的。そしてどの夢の中であっても、カイルに自由はない。

 オペラ座の観客席に縛りつけられたように、目の前でくり広げられる光景を、ただただながめるばかりだ。


「こんなとこで寝たら風邪ひきますよ。おーい」


 ぼんやりとしたカイルの視界に、どこかの部屋が映し出された。

 見慣れない景色。だが、おなじ木製の机がいくつも整列したその部屋は、先生に文字を教えてもらっていた孤児院のあの部屋に似ているな、とカイルは思う。

 夕方だろうか。オレンジ色の光が射し込む窓辺の席で、机にうつ伏せている人影がある。亜麻色の髪の、カイルと同年代かすこし年上くらいの少女だった。

 疲れていたのか、おそらくうたた寝だろう。そんな少女に、スーツをまとった青年が声をかけている。


「学校終わりに突然ディナーの予定を組むとか、社長も無茶ぶりがすぎるんだから……送迎する俺の身にもなりなさいよ、まったく」


 呆れたように肩をすくめる青年をながめながら、カイルは直感した。

 夢にかならず出てくる青年。彼こそ、『前の自分』なのだと。


(なんか今日は……やけに、鮮明だな)


 いつもは視界にもやがかかったようにぼんやりしていて、人相もろくに見えないというのに。


(あの子……お嬢さまなのかな)


 こうして夢に出てくるということは、少女は前世のセフィリアなのかもしれない。「『前』のカイルさんにはとてもお世話になりました」と、話していたから。

 見たところ青年は20代後半。少女がセフィリアだとすれば、カイルとの年齢差もちょうどそのくらいだ。


(夕暮れ時の密室に、男女がふたりきり……って、なーに考えてんだ俺は)


 なにやら誤解を生みそうな思考を、カイルはだれにでもなく否定する。

 たしかに前世で親交はあったが、それだけだ。『自分』には配偶者もいたようだし、言うなれば親しい知人。セフィリアもそう言っていた。

 だからこそ、長い沈黙の末に青年が取った行動は、カイルを混乱させた。


「……なんでかなぁ」


 ぽつりとこぼした青年が、寝息を立てる少女の髪にふれる。


「どうしたって俺は、あいつには勝てないんだよな」


 さらり、さらり。

 亜麻色の髪を梳く手つきは、驚くほどにやさしい。

 まるで、壊れ物にふれるかのように。


「もっと違うかたちで出会えてたら、なにかが変わってたのかな……なんて」


 自嘲気味な独白。なぜか、どくりと胸がざわつく。

 そして次にまばたきをした刹那──視界がゆらぐ。

 青年のいた場所に、カイルは立っていた。

 いや。正確には、カイルが青年になっていたのだ。


(え……)


 なにが起きたのか、すぐに理解できない。

 だっていつも見る夢はぼんやりとあいまいで、カイルはそれをただながめているだけで。

 それなのに、今日はこんなにも鮮明だ。

 観客席にいた自分が、いまは舞台上にいる。


「……ちょっとくらい、夢見てもいいよな」

(待て……)


 ひやりとしたものが背すじをつたう。だが青年と同化したカイルの行動が、カイル自身にも止められない。


「……ごめんな」


 さらり。亜麻色の髪を指先で流した青年が、長身をかがめて少女へ覆いかぶさる。

 そして色白のひたいに唇がふれる寸前で、動きを止めた。


「……だめだ。やっぱり……いまの俺じゃ、だめだよなぁ」


 無理に笑みを浮かべたせいか。青年の声は、ふるえていた。


(待て……待ってくれよ)


 カイルの意思とは関係なく少女のほうへ伸ばされた腕が、一瞬ためらったのち、少女を包み込む。

 ぎゅうと抱きしめるその行為が、想いびとに対してのものでないなら、なんだというのか。


「……好きだよ」


 少女を腕に閉じ込めたまま、かすれた声で青年がささやく。


「好きだったよ……きみが生まれるより、ずっと前から」


 どういうことだ。なにが起きている。

 青年じぶんは、なにを言っている?

 混乱するばかりで、カイルはなにひとつ理解ができない。

 いや……違う。たったひとつだけ、わかることがある。


 後悔、罪悪感、もどかしさ……


 津波のように押し寄せてくる感情に、胸を掻きむしりたくなるということ。


(この感情、知ってる……)


 それは、カイル自身のものだ。

 かつてのカイルが、その身に秘めていたものなのだ。


「ごめんね。俺、諦め悪いからさ。……諦められるわけ、ねぇだろ」


 ぽつりぽつりと、独白は続く。

 青年が言葉にするごとに、カイルは遠いむかしに封じ込めてしまった感情を呼び起こされるような感覚に見舞われる。


「今世までは、俺もきちんとこの命をまっとうする」


 返事などあるはずもないのに、青年は少女に語りかけることをやめない。

 少女の小指に小指をからめて、祈るように、言葉をつむぐ。


「だからさ、約束。俺、諦めないから。『次』の人生では……今度こそは、きみを手に入れてみせる」


 ……あぁ、そうだ、思い出した。

 なにもかも思い出した。


『ただの人間であるきみが、僕に敵うわけがないだろう?』


 たいせつなひとをだれひとり守れなかったときのことも。


『きみは、そこで諦めるのか?』


 中途半端なまま、何者にもなれなかったときのことも。


 ──くり返さない。

 無力をただ嘆くだけの人生は、もうごめんだ。

 次こそは、きっと新しい自分に生まれ変わってみせるから。だから。 

 どうか待っていて。俺の愛しい──



「──花梨かりん、さん」


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