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第94話 戻りましょうか

 ──おいしいパンを、こどもたちに届けてきますね!


 笑顔で手を振るセフィリアをディックが見送ったのは、早朝のこと。

 セフィリアは孤児院を訪問し、身寄りのないこどもたちのために手作りのパンをふるまうのだ。

 1日奔走し、おなかを空かせたセフィリアがいつ帰ってきてもいいように、ディックも腕によりをかけてディナーの仕込みをしていた。


 しかし、待てども待てども帰ってこない。

 気もそぞろなディックがセフィリアたち帰還の報を耳にしたのは、そろそろ日も跨ごうかというころ。深夜のことだった。


(予定よりはるかに遅い。お嬢さまたちになにかがあったに違いない!)


 居ても立ってもいられないディックは、すぐさまセフィリアたちのもとへ駆けつけようとした。

 ところがある人物により、セフィリアたちの部屋に使用人が出入りすることを、一時的に禁じられた。

 今回の慈善活動に同行していた騎士団長、ジェイド・リーヴスだ。

 帰還したセフィリアたちを偶然目にした庭園の庭師たちは、「物々しい雰囲気だった」とディックにもらした。


 その翌朝、夜が明けるころ。ディックを呼ぶ声があった。


「ディックさん、いますか……? あっ、よかったぁ!」


 厨房の椅子に座り込み、眠れぬ夜をすごしたディックのもとに、セフィリアがやってきた。


「お嬢さま!? どうしたんですか、やつれてますよ!」

「あはは、私は一応大丈夫です……それより、おねがいがありまして」

「自分にできることでしたら、なんでも! それで、なにを……」


 セフィリアのもとへ駆け寄ったディックは、そこでようやく違和感に気づく。

 セフィリアが小柄なからだで、懸命にだれかをかついでいるのだ。そのだれかというのが、セフィリアと同い年くらいに見える黒髪の少年であり……


「カイルさんの弟さんです!」

「こいつが、カイルの……?」

「はい、おなかを空かせて気を失っちゃって! 急いでごはんを作ってあげてくれませんか〜!」


 ぐ〜ぎゅるる。


 ふいに少年の腹から、盛大な音が響きわたる。


「きゃー! しっかりしてください!」

「う……」


 セフィリアが半泣きになりながら、黒髪の少年を揺さぶっている。

 なにがなにやらわからないものの、セフィリアのつれてきたカイルの弟とやらが空腹で死にそうなことはたしかなので。


「少々お待ちを。10分で支度します!」


 ディックはコック服の袖をまくると、すぐに調理へ取りかかった。



  *  *  *



「はぁ〜、しみわたりますねぇ。やっぱりディックさんのお料理は最高です」


 あたたかいスープを口に運んだセフィリアは、ほっ……と息をはく。


「お褒めいただき光栄です。にしてもその小僧……レイでしたか。よく食いますね」


 レイをつれ、厨房に駆け込んでしばらく。宣言どおり、ディックが10分ほどで手早く軽食を用意してくれた。

 仕込みが終わっていたひよこ豆のスープや、新鮮な野菜とローストビーフをはさんだサンドウィッチだ。

 引っ張ってきた椅子に座り、厨房でそのまま出来たての料理を振る舞われる経験はそうないだろう。

 などと考えるセフィリアの横では、ものすごい勢いで皿が積みあがっていく。

 もっもっもっ……と、レイが無言でサンドウィッチをほおばっているのだ。皿を追加したそばからたいらげるので、ディックも目を丸くしている。


「料理長殿、そこの戸棚にワタシの秘密のおやつがある。取ってたもれ!」


 そうこうしていると、いつの間にかすがたを現したわたあめが、ディックに向かってぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


「戸棚? おぉ……本当だ、こんなところにヘソクリが」


 首をかしげたディックが頭上の戸棚をあける。すると、ふきんに覆われた皿がひとつ、奥のほうに押し込められていた。

 ふきんを取ると、いちごのジャムがはさまったクッキーがお目見えする。


「このくっきーは、ワタシの好物でな。そちも食べるといい。ほれ、遠慮はいらぬぞ!」

「いいのか? ありがとう」


 わたあめが短い前足でずずいと押しつけてきたクッキーを受け取り、レイが口に運ぶ。

 さくり。小気味よい音がして、レイの赤い瞳が輝いた。お気に召したらしい。

 ぱくぱくぱく、とクッキーを10枚ほどほおばったところでレイの手が止まったので、セフィリアはそっとグラスを差し出す。


「はい、お水です」

「あぁ、どうも。どれもこれもうまいな。一生分食ったかもしれない」


 サンドウィッチだけで10人前はたいらげている。レイにとっては1食分だろうが、貧民街で思うように食べられていなかったこともある。空腹が満たされ、満足しているようだった。


「でも、なんか悪いな。俺ばっかりこんなに食べてしまって」

「オーガは人間より身体能力が高い代わりに、大食らいだと聞く。まぁこんなもんだろう」

「……俺がオーガでも、なんとも思わないのか?」

「そりゃ多少びっくりはしたさ。オーガははじめて見たからな。だが、それだけだ」


 食事のあいまに、セフィリアがある程度の事情をディックに伝えている。

 しかしレイの正体を知ってもディックが態度を変えないので、レイは驚いたようで。


「オーガだとかなんだとか小さいことを気にするやつは、ここにはいないってことよ。奥さまや旦那さま、そしてわれらがセフィリアお嬢さまが、そういうお考えだからな。ひたむきに努力したやつが報われる。アーレン公爵家はそういう場所さ」

「ディックさん……」


 飾りけのないディックの言葉は、セフィリアをどこかこそばゆくさせる。

 そして人間でないことに少なからず劣等感をいだいているであろうレイにとって、ディックの言葉は大きな意味を持つはずだ。

 ありがとうございます、と心の中でディックに礼を言ったセフィリアは、となりに腰かけたレイの肩にふれる。


「レイさん」

「レイでいい」

「ではレイ、部屋をご用意しますので、すこし休んでください。カイルさんが目を覚ましたら、すぐにお知らせしますから」


 ──闘技場での一件後。

 クラヴィスによりアーレン公爵家へ強制送還されたセフィリアたちは、ただちに重傷を負ったカイルの治療に取りかかった。

 傷は深かったが、ノクターの迅速な治癒魔法により処置は終わり、いまは鎮静剤の影響でカイルも寝入っている。

 それまでセフィリアたちとともにカイルに付き添っていたレイだが、治療が無事終わったことで気が抜けたのだろう。空腹で倒れてしまった。

 そのため、セフィリアが大急ぎで厨房に駆け込んできた──というのが一連のなりゆきだ。


「たしか、カイルに一発食らわせた魔王が、後日お嬢さまにプロポーズしに来るんでしたっけ。ははっ、望むところですよ。その日をヤツの最期の晩餐にしてやります」

「ディックさん、包丁! 気持ちはわかりますけど、危ないので包丁はしまってください!」


 こめかみに青筋を浮かべたディックが笑いながら包丁を砥ごうとするので、セフィリアは慌てて制止する。


「ったく……魔王をうしろから刺したいのは山々ですが、お嬢さまがおっしゃるならやめておきましょう、いまは」


 レイは思わず、紅蓮の瞳を見ひらいた。

 近い将来魔王に脅かされるかもしれないというのに、ディックがまったく動じていないからだ。そして。


「正直、カイルのとこに押しかけたい気持ちはありますがね……いまあいつのそばにいてやるべきなのは自分ではないので、そこはわきまえてます」


 すべてを見透かしたようなディックのまなざしが、レイの背を押した。


「……部屋は、いい。兄さんのそばにいさせてくれ」


 こどもらしく素直になっていいのだと、許された気がした。


「起きたときにだれもいないと、兄さんが寂しいだろうから」


 ディックもわたあめもセフィリアも、みなレイのことを見つめていて──


「そうですね。カイルさんのところに戻りましょうか」


 ふわり。

 花がほころぶようにほほ笑んだセフィリアが、レイの手を取った。 

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