緊迫した状況で、突然前触れもなく父が天井をぶち破って現れたのだ。当然セフィリアも度肝を抜かれた。
「あの翼が生えたでかい鷲みたいなモンスターに乗った紳士、きみのお父さんなのか? すごいな、天井がバラバラだ」
「あ、あはは……」
頭上を見上げたレイが、感心したようにうなずく。
「助けてくれて、ありがとうございます」
「いや、これくらいはどうってことない」
礼を言うとレイは謙虚に返してくるので、「まともなのは彼だけかしら」と考えていたセフィリアであったが、すぐに思い直す。
そういえばレイも先ほどバジリスクを投げ飛ばしていた。
「遠征をご一緒させてもらうとよくわかりますが、こういった現場で、旦那さまはいろいろと豪快なんですよ」
「そ、そうなんですね……」
ジェイドが呆れたように補足をする。ノクターと付き合いが長いからこその反応だろう。
ここにまともなひとはいないのかもしれない。
「まったく……旦那さま! 思いきりがよすぎるにも程があります! 野山を駆け回る感覚で建物を破壊しないでください!」
「ごめんってば! ペロとひさしぶりのおでかけではしゃいじゃったら、つい〜!」
旦那さまってただ者じゃないよな、とカイルがこぼしていたが。
(もしかしてお父さまって……けっこうな問題児?)
ふだんはのほほんと人畜無害そうな笑みを浮かべているのに、コレだ。
先ほどの一撃で、地下施設にしては広大だった闘技場が半壊している。モンスターを使役した戦闘能力だけでいえば、ひとつの組織を壊滅させられるくらいはあるのでは。
もはやツッコミどころがわからず、セフィリアは苦笑いをもらすことしかできなかった。
「ふぅ……とにかく、これでみんなと合流できた。ありがとう、ペロ」
「ガァッ!」
ばさりと羽ばたいて、ペロが瓦礫だらけの地面に着地する。その背から飛び降りたノクターは、ペロの頭をなでながらセフィリアたちをふり返った。
「僕のほうは、この子のおかげで無事ミッション完了したよ」
アォン──……
遠吠えのようなものがこだまする。
「あれは……」
どこからか白銀の毛並みを持つ狼型のモンスターが現れ、颯爽とノクターのもとへ駆け寄った。
「フェンリル、ですか?」
「あぁ。ここにきて、一番にこの子に会えたのは幸運だった。とても鼻がよくて、こどもたちのところまですぐに案内してくれたからね」
「ガルル……クゥン……」
グリフォンであるペロ同様、獰猛なモンスターであるフェンリル。しかしノクターにのど元の毛並みをわしゃわしゃとなでられて、気持ちよさそうな鳴き声をもらす。
すりすりと鼻先をノクターの手のひらにこすりつけるさまは、まさに犬が飼い主に甘える光景だ。
(ふふ、お父さまったら。作戦は成功ね)
奴隷商ヤンスの拠点へ潜入するに当たって、セフィリアたちが考えた作戦はみっつ。
ひとつ。セフィリア、カイル、ジェイドの3人で『客』をよそおい、ヤンスの注意を引くこと。
ふたつ。ノクターは闘技場で飼われているモンスターを
そしてみっつ。奴隷のこどもたちの安全を確保した上で、ヤンスらを一網打尽にすること。
セフィリアたちがヤンスの注意を引いている隙に、ノクターはフェンリルをテイムし、無事奴隷のこどもたちの救出に成功したようだ。
モンスターの力を借り、臨機応変かつ縦横無尽な行動を可能とする。それがノクター最大の武器。
(人質を助け出せば、あとはこっちのもの。『最後の仕上げ』はお父さまにお願いしていたけど……)
セフィリアたちの最終目標は、ヤンスを一網打尽にすること。つまり奴隷を売買する彼女の拠点を、再起不能なまでに破壊することだった。
そうした意味で、『最後の仕上げ』としてノクターがモンスターを大暴れさせる予定であったが──
「状況を教えてくれる?」
現状を一目見て、予想外の事態が発生したことは把握したのだろう。ノクターの問いに、すぐさまジェイドが答える。
「カイルの弟の救出に成功しましたが、カイルが出血多量の重傷です。そこにいる魔王が、セフィリアお嬢さまにひとめぼれしたようで。お嬢さまへのプロポーズで、ヤンスが地獄の番犬に喰われました」
「なるほど」
淡々と要点のみをつたえるジェイドに、うなずくノクター。あまり驚いたそぶりを見せないのは、ちょっとやそっとのことでは動じない冷静な状況把握能力ゆえ。
ノクターもまた、ジェイドたちとともに幾度となく戦場を駆け抜けてきた猛者なのだ。
「お父さま! 一刻も早く、カイルさんの治療をしないと……!」
「わかってる。そういうことなので、娘へのプロポーズでしたら、また日をあらためていただけますか、魔王さま」
ノクターの口調は穏やかなものだが、クラヴィスをみつめるエメラルドのまなざしは毅然としたものである。
危うく愛娘をさらわれかけたのだ。その心境は穏やかではないだろう。
「これは失敬。可憐なレディーを前に、少々気が急いてしまいました」
そしてノクターへ恭しく一礼するクラヴィスの仕草は、わざとらしく演技がかったものだ。
「お言葉に甘えて、また後日あらためてごあいさつにうかがわせていただきます」
「いったいどの面を下げて……!」
「あぁそうだ。お急ぎのようですから、今日は私がみなさんをお送りさせていただきますね」
不信感もあらわに噛みつくジェイドをさえぎり、クラヴィスが右手をかかげてみせる。
やたらとにこやかな表情に、セフィリアが嫌な予感をおぼえたのもつかの間。
「それじゃあ寂しいけれど、またね。きっと迎えに行くから──僕の可愛いセフィリア」
──パチンッ。
クラヴィスが指を鳴らした刹那、セフィリアの目前に黒い渦のようなものが出現する。
「な……」
ずず……と渦巻くソレに、セフィリアは一瞬にして飲み込まれ。
……ふわ。
風に乗ってやってきたかぐわしい香りが、ふいにセフィリアの鼻をくすぐった。
それは、セフィリアが好きな花の香り。
「ここは……」
ぱちりとまばたきをしたセフィリアは、我に返る。
目の前に、見慣れた景色が広がっていたのだ。
(アーレン公爵家……!)
そう。セフィリアはアーレン公爵家の門前にたたずんでいたのだ。庭園のほうから風に運ばれてくる甘い花の香りが、『帰ってきた』ことを実感させる。
「っ、みんなは!?」
「大丈夫、みんな無事だよ、リア」
はっとしたセフィリアが周囲を見渡すと、まっさきにノクターが答える。
ジェイドにかつがれたカイル、そしてそれに付き添うレイのすがたもある。
「あの魔王とやらが、俺たちをここまでテレポートさせたらしいな。まぁ、どうせきみに下心があってのことだろう」
鎮静がきいたのか、深い眠りに落ちたカイルから視線を上げたレイが、セフィリアをふり返る。
「兄さんを助けたい。たのむ、力を貸してくれ」
まっすぐな紅蓮の瞳を前にして、セフィリアも力強くうなずく。
「もちろんです!」
すべきことは、とうに決まっているのだから。