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第92話 やりすぎです

 広い闘技場を、セフィリアは猛然と疾走する。

 うずくまるカイルのもとへ駆け寄ると、鉄錆のにおいが鼻についた。

 外套の右肩部分をべっとりと濡らす染み。出血が予想以上に酷い。このままでは命に関わる。


「カイルさん! しっかり!」

「すみません……ヘマ、しちゃって……」

「そんなことはないです! いまはじぶんのことだけを考えてください。リーヴス卿、手当てを!」

「はっ」


 セフィリアへうなずき返したジェイドが、すぐさまふところから厚手の布を取り出す。止血帯だ。

 これでカイルの患部を保護するとともに強く圧迫、止血がほどこされると、次はセフィリアが両手をかざす。


「『回復ヒール』」


 ぱぁあ──


 淡い光が、止血帯越しに患部へ溶け込んでゆく。


(お父さまから、治癒魔法を習っていて正解だったわ)


 セフィリアは桃花生功とうかせいこうによる浄化のすべに長けてはいるが、この世界でいう治癒魔法の取り扱いについてはからっきしだった。

 ヘラとの一件があった後、あいまを見てノクターに治癒魔法の指導をたのんでいたことが功を奏したようだ。

 流血のせいで血の気が引き、苦悶を浮かべていたカイルの表情が、わずかながらやわらぐ。


(傷口をふさぐことはできなくても、鎮静効果くらいはあるはずよ)


 応急処置を終えたセフィリアは、立ち上がりざまにジェイドへ指示を飛ばす。


「カイルさんの治療が最優先です。撤退します」

「承知いたしました」


 治療魔法の作用でうつらうつらとしているカイルを、ジェイドが片腕で軽々と抱えあげる。

 それを見届けたセフィリアがきびすを返すと、投げかけられる声がある。


「おや、いいのかい? ここには『さがしもの』があって来たんだろう?」


 声の主を問うまでもない。クラヴィスだ。

 腕を組み、首をかしげてみせるなどいちいち言動がわざとらしいのは、じぶんを置き去りにするセフィリアへの不満があるからこそだろう。


「きみたちは、奴隷を売買するヤンスを摘発するためにやってきたんだよね。奇遇だね、僕もなんだよ」

「不運にもヤンスの手下にさらわれてしまったその子を助けるため、ですか」


 おもむろにたたた、と走り出した幼子が、クラヴィスに抱きつくと、黒いローブのすそをぎゅっとにぎる。

 人ならざる尖った耳に、クラヴィス同様頭に山羊のような巻角がある。先ほどバジリスクに襲われていた魔族の少年だ。


 人間に興味を示さないクラヴィスだが、同じ魔族の危機には駆けつけたところを見れば、同族への情けはそれなりに持ち合わせているらしい。

 かと言って、クラヴィスのやり方に賛同するわけではないが。


「きみにとっての敵を排除してあげたよ。これできみがさがしていた奴隷の子たちは無事助け出せる。じぶんで言うのもなんだけど、僕ってけっこういい仕事をしたと思わない? セフィリア?」

「いっそ清々しいくらいの自画自賛ですね。あなたがどれだけのことを成し遂げようとも、カイルさんを傷つけた時点ですべて無効です。あなたについていくつもりもサラサラありません」

「どうしてそんなに冷たいことを言うんだい、セフィリア……」


 クラヴィスの声音から抑揚が消え、セフィリアを見つめるまなざしにほの暗い影が宿る。


「やるか? 俺はかまわないぞ。兄さんに好き放題してくれた礼をまだしてないからな」


 レイがジェイドに抱えあげられたカイル、そしてセフィリアをかばうように身がまえる。


「きみは──」


 レイを前に、クラヴィスがアメジストの瞳を険しく細める。


(まずい! リン師兄にいさまは星藍シンランを嫌悪していたわ……!)


 レイが星藍の生まれ変わりと知れたら、どうなることか。


「こちらこそ、さっきのお礼がまだだったね」


 おもむろに、右手をかかげるクラヴィス。

 クラヴィスを見据えたまま、動こうとはしないレイ。


「待ちなさい、魔王クラヴィス!」


 いくらレイが並外れた身体能力の持ち主であっても、クラヴィスを相手にしてはただではすまないはず。

 夢中でレイのもとへ駆け出したセフィリアだが──


 ──ドォオン!


 突如、轟音とともに闘技場の天井が爆散する。


「えっ……」

「きみ、こっちに!」

「わわっ、あのっ、きゃああっ!」


 身を反転させたレイが、セフィリアをかついでたんっと跳躍する。

 あわや崩れ落ちた瓦礫の直撃を食らうところ、なんとか退避したのだ。


「お嬢さま、ご無事ですか!」

「な、なんとか……でも、いきなり何なんでしょうか……」


 セフィリアがレイにおろされるころ、ジェイドが鼻息も荒く駆け寄ってくる。

 なにが起きたのか理解できないセフィリアをよそに、ジェイドははるか頭上へ向かって叫んだ。


「ですからぁ! やりすぎです、旦那さまぁ!」

「へっ……」


 まさか、とはセフィリアも思ったが。

 バラバラと崩れる土煙の中から、羽ばたくなにか──強靭な翼を持つグリフォンに乗って現れたのは、間違いなく。


「ごめんごめーん!」

「お父さま!?」


 ──ノクターだった。

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