『花リア』に関して、ほかにもセフィリアが思い出したことがある。
レイ推しかクラヴィス推しか、ファンは大きく二分されるということだ。
ロリコンでヤンデレなストーカーであるクラヴィスがそれほどまでの人気を博しているのは、イケメンだからだ。
(アニメのキャラクターだから許されること。現実にいたらふつうに犯罪者よ)
『花リア』も元々は乙女ゲームがアニメ化した作品なので、彼との壮大なラブストーリーを描いた『クラヴィスルート』なるものがあるらしい。
が、セフィリアが
そうしたなか、クラヴィスが突如としてセフィリアの前に現れたのだ。もう困ったどころの話ではない。
(『好感度ゲージ』の色は……ひぃっ!)
そろり、とクラヴィスの胸もとを見やったセフィリアは、思わず悲鳴をあげそうになるのをなんとかこらえた。
橙色のハートが、クラヴィスの胸もとに居座っていたのだ。
(だから! 初対面なのになんでこんなに好感度が高いのよ!)
橙色は赤色の手前。つまり、あとすこしで好感度MAX、選択ひとつでクラヴィスルートまっしぐらという状況だ。
(いやいや……『もう』じゃなくて『まだ』橙色ね。まだ巻き返せるわ……たぶん!)
物は考えようだ。セフィリアは強引に、ポジティブ思考へシフトした。
「どうかしたの? 具合でも悪い?」
セフィリアが黙り込んでしまったためか、心配そうにクラヴィスがのぞき込んでくる。
あなたのおかげで頭痛がひどいんですよ! という本音を、セフィリアはぐっとこらえる。
「失礼ながら……魔王さま」
「よそよそしいなぁ。クラヴィスでいいよ?」
「いえ、馴れ馴れしく魔王さまのお名前を呼ぶなんて……」
「え?」
満面の笑みを浮かべたクラヴィスが、抱く力を強める。
とたんに身の危険を感じたセフィリアは、おそらく模範解答であろうひと言をしぼり出した。
「…………クラヴィス、さま」
「ふふ、まぁ及第点かな」
どうやら首の皮はつながったらしい。
抱き上げられたまま一向におろしてもらえそうにないことは気がかりだが、セフィリアも下手に刺激しないよう、クラヴィスへ慎重に語りかける。
「あの……せっかくのご提案なのですが、クラヴィスさまのご期待に応えるのは難しいかと」
「どうして?」
すかさず追及があり、セフィリアは口ごもる。
クラヴィスはセフィリアへ求婚した。それをセフィリアは遠回しに拒んでいるのだ。当然の反応ではある。
(ロリコンヤンデレストーカーは生理的に無理なんだけど、そんなこと馬鹿正直に言えるわけないじゃない!)
なぜならクラヴィスは、将来ルミエ王国を相手に戦争を起こす張本人なのだ。
そのクラヴィスの機嫌をそこねてみろ、早々に国が滅びかねない。
(なにか……なにかないの……! 彼のご機嫌をそこねずに納得させる魔法の言葉は!)
いまこのとき、ルミエ王国の運命はセフィリアにかかっていると言っても過言ではない。
(あーもう! こうなったら!)
脳をフル回転させたセフィリアが導き出した答え、それは。
「ロ……ロマンチックじゃないからです!」
「というと?」
「プロポーズされるなら星のきれいな夜がいいですし、永遠の愛を誓うときは純白のドレスにあこがれるものですわ、レディーなら!」
訳、状況を見ろ状況を。
悪名高い奴隷商との闘いに突然プロポーズをぶっ込んできたのはクラヴィスなのだ。これくらいの主張は許されるべきではないのか。
一周まわってセフィリアが開き直ったころ、クラヴィスも「ふむ……」と考え込むそぶりを見せる。
「たしかに、こんなところでプロポーズはナンセンスだったね。きみの言うとおりだ。よし、それならこうしよう」
パチンッ──
軽快に鳴りひびく指のスナップ音。
一瞬の静けさをはさんで、『ソレ』は現れた。
ズズ……
「──ッ!」
セフィリアは異様な気配を察知。はじかれたように頭上をあおぐ。
そしてぐにゃりと歪んだ空間から、どす黒いオーラをまとったモノがすがたを現すさまを目撃する。
『ソレ』は三つの頭を持つ、おぞましい犬のようなモンスター。
「地獄の番犬……ケルベロスっ!」
「おや、きみは物知りだね。モンスターのなかでは古代種だから、この子のことを知っている人間はすくないのに」
はっとするセフィリアだが、時すでに遅し。
ケルベロスはクラヴィスが使役する獰猛なモンスターだ。かといって、「あなたたちが出ていたアニメを観たから知ってるんです」などと説明できるはずもなく。
「こないで……いや…………いやぁっ!」
「グルァッ!」
セフィリアが返答を決めかねているうちに、女の悲鳴と獣の咆哮が闘技場にこだまする。
鋭い牙をむき出しにしたケルベロスが、扇を投げ捨てたヤンスに襲いかかったのだ。
「なっ……!」
漆黒のオーラが渦を巻き、恐怖に染まったヤンスを飲み込んでゆく。
荒れ狂うケルベロスのすがたは、まばたきのうちに虚空へ掻き消えた。
「さてと、これできみを害する者はいなくなった。もう大丈夫だからね、セフィリア」
依然としてセフィリアを腕に抱いたまま、クラヴィスが頭をなでる。
(所詮このひとは、興味のない人間のことなんて、どうでもいいんだわ)
慈愛に満ちた表情と、ためらいなくヤンスを抹消した非情さのギャップが、セフィリアをからだの芯から凍えさせる。
「セフィリア? 顔色が悪くなってきたね。みせてごらん」
おもむろに、クラヴィスが整った顔を寄せる。
ひたいをふれあわせ、セフィリアの体調を気遣うものの。
──ザシュッ!
突風が吹き抜け、クラヴィスの左のほほに赤いすじを刻む。
白いほほにつぅ……と血をつたわせたクラヴィスが、細めたアメジストの瞳で背後を見やった。
「──お嬢さまに気安くさわんじゃねぇよ、クソ野郎」
クラヴィスの首すじに、突きつけられた短剣。
激昂したカイルが、そこにいた。