「──冗談じゃないッ!」
ひとときの静けさに、金切り声がひびく。
声の主がだれなのかは、深く考えるまでもない。
「どいつもこいつも、ほんっとうに使えないわ……私は、こんなところで終わるわけにはいかないのよ!」
観覧席から鼻息も荒く立ち上がったヤンスが、血走った目でセフィリアを捉える。右手ににぎりしめた扇を、セフィリアに突きつけながら。
扇の先端から、魔法陣が出現する。
たちまちに集束する魔力の矛先は、セフィリアへ向けられていた。
「魔法具か! ヤンスめ、血迷ったな!」
「お嬢さまっ!」
ジェイド、カイルが血相を変え、セフィリアのもとへ駆け寄ろうとするも。
「もう遅い」
せせら笑ったヤンスが、魔法弾を解き放つ。
すさまじい魔力をおびた球体が、はるか頭上からセフィリアを襲う。
(避けきれない……魔力で相殺するしか!)
とっさに両手を突き出し、迎撃をこころみる。
しかし、そんなセフィリアの視線をさえぎる影があった。
全身黒のローブを身にまとった男だ。
おもむろに右手をかかげる男の動作が、やけにスローモーションに見え──
ヴゥン……
漆黒の魔法陣が展開。
まばたきのうちに張りめぐらされたバリアが、いともたやすく遅い来る魔法弾をはじき返す。
ヒュッ……ドゴォン!
ヤンスの脇すれすれを突き抜けた魔法弾が、背後の壁に衝突。爆音を立て、瓦礫が崩れ落ちる。
「んなっ……」
なにが起きたのか、ヤンスは理解できていないようだった。
それは、セフィリアもおなじ。
(このひとが、私をかばった……? どういうこと? ヤンスの手下じゃないの!?)
混乱するセフィリアをよそに、それまで沈黙を貫いていた男が声を発する。
「失礼。あまり手荒な真似は好きではないもので、手を出させていただきました」
落ち着きのある、若い男の声だ。
しばらく呆けていたヤンスの顔が、やがて真っ赤に染まりゆく。
「どういうことよ、話が違うじゃない……こっちだって高い金を払ってるのよ!」
「えぇ、金銭のやり取りでのみ成立した関係です。逆を言えば、僕にとってのあなたは、それ以上の何者でもない」
男の口調はやわらかなものだが、流暢に、容赦なく、ヤンスの反論を一蹴する。
「そしていま、僕はこちらのレディーに、金銭などでは成立しないあなた以上の価値を見出したというわけですよ、マダム」
ふいにふり返った男が、セフィリアのほうへ一歩ふみ出す。
「それ以上、お嬢さまに近づくな」
「ろくに主人を守れもしないのに、よく言えたものですね」
セフィリアの前に出たジェイドだが、す……と男の手が腕にふれた一瞬後、ぐりんと視界が一回転する。
「……ぐぅっ!」
受け身は取ったものの、背中を強打し、ジェイドはうめき声をあげる。
「そんな……」
セフィリアは絶句する。
だが、男がひと回りは体格差のあるジェイドを、腕のひとひねりで投げ飛ばしたことは事実だ。
コツリ、コツリ……
悠々と靴音を鳴らして、男がセフィリアの目前へやってくる。
キッとエメラルドの瞳を細めたセフィリアが身がまえると、フードの影でふ……と男が笑う。
「そんなに警戒しないで」
幼い妹をなだめるような、親しみのこもった口調だった。
「そう言われましても、あなたとは初対面の赤の他人ですし」
「なら、これから仲を深めていけばいいね。簡単なお話だ」
「なっ……」
警戒をゆるめていたつもりはない。にもかかわらず、セフィリアが気づいたときには、両足が宙に浮いていた。
まばたきのうちに、男に抱き上げられていたのだ。
「なにをするんですか!」
「危害は加えないから、安心して」
「そんなこと、だれが信じるとっ……!」
「セフィリア・アーレン」
「……!」
セフィリアは思わず思考停止する。
男はためらいなく、セフィリアの名を呼んだ。
アーレン公爵家の令嬢、王家に次ぐ高貴な血すじをもつセフィリアに、敬称をつけることなく。
「きみは『僕たち』に理解を示してくれたね。そんなきみに、僕は興味がわいたよ。セフィリア、きみはほかの人間とは違う」
「まさか、あなたは──」
くすり。もう一度、男が笑ったような気配がして。
「あぁ、ごめん。自己紹介がまだだったね」
セフィリアを片腕にかかえたまま、男が器用にフードを脱いでみせる。
現れたのは、ふわりとしたアッシュグレーの髪に、アメジストのような瞳の美青年。
やわらかな笑みをたたえた彼は、一見して人間のようだったが──
──すぅ。
青年の頭部に、山羊のような巻角がふたつ浮かび出る。
先ほどレイが助けた少年と、おなじものが。
「僕の名前はクラヴィス。魔族の王、と言ったほうがわかりやすいかな。うちの子を助けてくれてありがとう、セフィリア」
彼とは初対面のはずだ。
それなのに、セフィリアは激しい既視感に見舞われた。なぜなら。
(魔族の王って……『花リア』に登場するあの、魔王クラヴィス!?)
魔王クラヴィス。メインヒーローのレイと、対をなす存在。
つまり彼も、乙女ゲームでいう『攻略対象』のひとり。
(これはまずいわ……非常に、まずい)
なんとか平静を保ちながらも、セフィリアは内心焦っていた。
というのも、クラヴィスの性格に大きな問題があり。
「ねぇセフィリア、僕のお嫁さんにならない?」
原作でも、セフィリアが幼いころから目をつけていた困った人物。
要するに、まごうことなき
極めつけに、クラヴィスはすこしというかかなり、ヤンデレとストーカー気質があったりする。
(現実でぜったいに相手にしたくないひと──!)
突然現れたフラグを、へし折りたいセフィリアだった。