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第86話 ばかばかしい

 誰しも、ふつうは燃えている暖炉に手を突っ込みたいなどと思わないだろう。

 その心理を利用して、くだんの幻覚魔法はほどこされていた。

 暖炉に見えていた場所は、めったに使われない秘密の場所。隠し通路の入り口だったのだ。


「足もと気をつけてくださいね、お嬢さま」

「ありがとうございます」


 カイルの手を取り、暖炉のなかへ飛び込む。

 ぐにゃりとなにかを通り抜けるような感覚があり、次にセフィリアが目にしたのは、大人ひとりが通れるほどの薄暗い通路だった。


「手の込んだカムフラージュですね。もしものときの逃走経路の確保にも、抜かりはないということですか……って、あのっ!?」


 冷静に状況を把握するセフィリアだが、直後にはすっとんきょうな声をもらしてしまう。

 というのも何食わぬ顔のレイが、スタスタと先陣を切って歩きはじめたためだ。


「どうした、来ないのか? ヤンスを追うんだろ?」


 しまいには不思議そうにセフィリアたちをふり返って、そんなことを言う始末。


「さすがはカイルの弟というか、肝の据わった小僧ですね」

「団長ー、俺のことなんだと思ってますー?」

「可愛げのない生意気小僧」

「なんでですか、俺めっちゃ可愛いじゃないですか!」

「じぶんで言うな」

「まぁまぁ、ふたりとも」


 こんな状況だ、ジェイドもカイルもまさか本気で口論をしているわけではないだろう。

 セフィリアがなだめると、カイルが前方、ジェイドが後方と、セフィリアを守るかたちで歩き出す。


(下っている……? ずいぶんと長い通路だわ。地下にでも続いているのかしら)


 相変わらず、先頭を歩くのはレイだ。

 レイが歩むたび、ぽう……と通路にあかりが灯る。

 壁には等間隔に燭台が設置されており、これに人感センサーのような魔法がかけられているようだ。

 あたりが照らされると、通路がゆるやかな下りのスロープであることがより鮮明にわかる。


「入り口の幻覚魔法といい、精巧な魔法ですね」

「おかかえの魔術師でもいるんでしょうか。奴隷商に金で買われた魔術師なんて、ろくでもないやつでしょうがね」

「そうですね……」


 先ほどの乱戦での狼狽ぶりを見た限りでは、ヤンス自身は魔法が得意なわけではなく、かといって剣をあつかうこともなかった。

 つまりジェイドの言うとおり、ヤンスには協力者がいる可能性が高い。そしてこの先警戒すべきは、ヤンスよりもその協力者の動向だろう。


「ついたぞ」

「──!」


 気づけば、立ち止まったレイがセフィリアたちをふり返っていた。

 レイの向こうには、開け放たれた木製のとびらがある。


「俺が先に行きます。お嬢さまはここに」

「わかりました。気をつけて」

「レイ、様子を確認するから、おまえはこっちで──」

「ひとの気配はない。大丈夫だ」

「こら、レイ!」


 慎重にカイルが偵察を試みようとするも、レイはさっさととびらをくぐってしまう。


「怖いもの知らずですね、あの小僧。やれやれ」

「あはは……」


 転生をしても、マイペースなのは変わらないようだ。

 呆れたように肩をすくめるジェイドへ、セフィリアは苦笑するしかない。


「だから、勝手に行くなって……!」

「しっ! あんまりさわいだら気づかれてしまうぞ、兄さん」

「おーまーえーなぁ! ……はぁ」


 もはやレイを論破するのは無理だと判断したのだろう。カイルはため息をつき、いろいろとあきらめていた。

 前世も含め彼にふり回されまくったセフィリアとしては、カイルにはおおいに同情する。


 ひと悶着ありつつも、隠し通路を出たセフィリアたちは、レイの案内でひとけのない建物内を進んでいた。

 窓がまったくない点は武器屋と同じだが、照明にはクリスタルのシャンデリアがふんだんに使用され、床にはレッドカーペットが敷きつめられている。


「豪華なものですね。あまり好みのセンスではないですが」

「ここは地下だ。出入りが外からまったく見えないようになっている。いまは『来客』がないからひとけもないが、この先に目的の場所がある」

「違法闘技場、ですか」


 貧民街で『合言葉』を買収した露天商の話によれば、違法闘技場には賭博のためにさらわれた奴隷のこどもたちと、モンスターがいる。


(気がかりなのは、奴隷のこどもたちね。でもどこに閉じ込められているかわからない以上、ヤンスをとっ捕まえて吐かせるのが手っ取り早いかしら)


 そういうわけで、セフィリアは肩に乗ったわたあめを呼ぶ。


「わたあめちゃん、鼻がききましたよね。ヤンスの居場所はわかりますか?」

「うむ。あの者がまとっていたキツイ香の残り香をたどればいいのだろう。おそらく──」

「おい待て、レイっ!」


 わたあめの言葉を、カイルがさえぎる。

 はっとセフィリアが視線を向けると、駆け出したレイの背中があっという間に遠ざかってゆくところだった。


「何事ですか、カイルさん!」

「わかりません、急に走り出して!」

「あぁ、あの子は! あるじ! あの子が走って行ったほうから、嫌な『におい』がする!」

「ヤンスがいるんですね。とにかく、すぐに追いかけましょう!」

「ばかやろっ! レイのやつ!」


 真っ先にカイルが駆け出し、セフィリアたちもあとに続くが。


(速いっ! もうすがたが見えない! カイルさんが追いつけないなんて……!)


 騎士団員のなかでは華奢な分、身軽なカイルでさえ追いつけないのだ。

 セフィリアと同い年ほどのこどもであるはずだが、レイの驚異的な身体能力をまざまざと見せつけられる。

 赤い絨毯の上を無我夢中で疾走するセフィリア。彼女たちを待ち受けていたのは──


「うぅ……ひくっ……もう、やだぁ……!」


 セフィリアは絶句した。

 とても地下とは思えぬ広大な空間に、白亜の円形闘技場。

 その中心に、そう年端もいかぬ幼子が放り出されているのだ。

 そして幼子の目前には──体長3メートルはあろうかという、大蛇が。


「あれは、毒蛇バジリスク……!」

「ふふ……わたくし自慢の闘技場はお気に召しまして?」


 はじかれたようにセフィリアが顔をあげると、はるか頭上の観覧席に、扇をひろげたヤンスが悠々と腰かけていた。


「ヤンス! あんなにちいさい子をモンスターと闘わせていたのね……なんて非道な。許せないわ!」

「そうおっしゃられましても、こちらも商売ですので」


 先ほどとは一変し、ヤンスは余裕の表情だ。

 彼女のそばには、黒いローブをまとった人影がある。


(だれ……? 背丈からして男性ね。もしかして、ヤンスに手を貸している魔術師……?)


 謎の人物はフードをまぶかにかぶっているため、それ以上の情報は読み取れない。


「それよりお嬢さま、よろしいんですの? のんびりしていては、そちらのぼうや、バジリスクに丸呑みにされてしまいますわよ? パクリ、とね」

「ヤンスっ……!」


 どうやらヤンスは、無抵抗のこどもを人質に取り、セフィリアたちに揺さぶりをかけるつもりらしかった。

 闘技場には、好きに使えとばかりにふよふよと武器が浮いている。だが長剣に斧、槍など、力のないこどもがあつかうには困難なものばかりだ。


「誤解しないでいただきたいのですが、わたくしは闘技場の運営を通して、この街をきれいにしているのですよ」

「……どういう意味です?」

「お嬢さまもわかってらっしゃるくせに。男という劣等種、生まれること自体が罪……それも、人間でないならなおさらね! 必要のないモノは排除しなくては!」


 ヤンスの高らかな笑い声がひびきわたる。

 幼子へ視線をもどしたセフィリアは、はたと呼吸を止めた。


(尖った耳に、山羊のような巻角……)


 それは幼子が、人間ではないあかしだった。

 そうだ。この世界では、女性が優遇される。

 セフィリアの生まれたアーレン公爵家のように身分も性別も問わずみなが助け合って暮らしているのはまれで、本来は男性を蔑視する風潮のほうが一般的。

 さらには人間以外の種族を迫害する過激派のせいで、『花リア』のストーリーでは、魔族との戦争が引き起こされてしまうのだ。


(魔族は男性が主体の一族だと聞くわ。そりゃあ理不尽に迫害されたら、怒るに決まってるわよ)


 しばし眉間を押さえていたセフィリアは、たっぷりの沈黙ののち、ヤンスへこう告げる。


「──ばかばかしい」


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