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第85話 ついてきてくれ

 レイ──カイルの弟が『花リア』メインヒーローであり、星夜せいやの魂を持つ少年だった。

 もし本当にそうなのだとすれば、セフィリアにとって思ってもみないうれしい誤算だ。


「あ、あの……!」

「無事で安心したぞ、星藍シンランよ!」


 高鳴る胸をおさえ、セフィリアが思いきって声をかけようとすると、ひと足先にわたあめがレイの肩に飛び乗る。ほほにすり寄って、じゃれつきたい気持ちを抑えられなかったようだ。

 はしゃぐわたあめを前にして、「もう、わたあめちゃんったら……」とセフィリアもほほ笑ましい気分になる。


「……しんらん……?」


 ところがレイの反応は予想外のもので、不思議そうにわたあめを見つめ返すのみ。

 ぱちぱちと紅蓮の瞳をまたたかせる様子は、なにを言われているのか理解していないようだった。


「え……?」


 まさか、記憶がないというのだろうか。

 とたんに、ひやりとしたものがセフィリアの背をつたう。だがすぐにかぶりをふって、嫌な思考をふり払う。


(『前』の世界でも、最初は前世の記憶がなかったじゃない。きっと思い出してくれるわ。だから、大丈夫)


 あきらめさえしなければ、道はかならずひらくのだから。


「星藍、そんな……」

「わたあめちゃん、大丈夫です」


 長い耳を垂らし、しゅんと落ち込むわたあめを抱きかかえたセフィリアは、気丈に笑ってみせる。


「名乗りもせずにごめんなさい。私は──」


 ところが、セフィリアの言葉は最後まで続かない。

 視線をさまよわせたレイが、ふらりと突然よろめいたためだ。


「どうされましたか!?」

「う……」


 とっさに抱きとめたものの、レイの手足は脱力しきっている。意識も朦朧としているようだ。

 戦慄するセフィリアをよそに、カイルは冷静だった。


「失礼しますね、お嬢さま。おーいレイ、こっち向け」


 カイルはセフィリアの腕からひょいとレイをさらうと、ほほをぺちぺちと軽く叩きながら、ふところから取り出した『なにか』を口もとに添える。

 その『なにか』の正体がわかったセフィリアは、エメラルドの瞳を丸くした。


「クッキー……?」


 そう、どこからどう見てもクッキーだ。

 孤児院を訪問した際、パンやスープといっしょにこどもたちへ配っていた、おやつのクッキー。それがレイの口もとに。


「ん……」


 はむ。

 カイルに支えられたレイが、クッキーをひとくち。


「──!」


 すると、なんということだろう。

 がばっと身を起こしたレイが、クッキーにかぶりついたのだ。


「だと思った。ほら、もっと食べろ」


 カイルは笑いながら、さらにクッキーをふところから取り出す。

 合計5枚のクッキーが、あっという間にレイにたいらげられてしまった。


「えーっと……カイルさん?」


 いまいち状況がわからず、首をひねるセフィリア。

 するとここで、ようやくカイルからの説明がある。


「こいつ、ひとより大食らいなんですよ。それで、腹ぺこになると動けなくなるんです」

「なんだこの菓子、甘くてめちゃくちゃ美味いな……」

「こらレイ。感心してないでセフィリアお嬢さまにあいさつしろ」

「セフィリアお嬢さま? あぁ、兄さんが世話になってる貴族のお嬢さまか」


 死人同然だった先ほどの様子とは打って変わり、けろっとしたレイがセフィリアに向き直る。


「………」


 そして、固まった。


「あら……?」

「…………」

「私の顔に、なにかついてますか……?」

「…………」


 いろいろあってこのときはじめてセフィリアの存在を認識したのだろうが、それにしてもレイの様子が異様だった。

 ボンッと音がしそうなほど一瞬で顔を茹で上がらせ、耳まで真っ赤で──


「花の精……」

「はい?」

「いや、絵本で見た妖精も、こんなにかわいらしかったか……?」

「妖精って……わ、私のことを言ってるんですか!?」

「はッ! 俺としたことがつい口に!」

「ちがいます、私は妖精ではなくてセフィリア・アーレンです!」

「俺はレイだ! 兄がいつもお世話になってます! ……貴族のお嬢さまへのあいさつってこれで合ってるのか!?」


 あたふたとしながらも、礼儀正しくあいさつをするレイに、セフィリアはなんだか肩すかしを食らう。

『前』にも、こんなやり取りをしたことがある気がする。


「この大真面目で天然なところ、間違いなく星夜さんですね……」


 もう疑いようがない。レイは星藍、そして星夜だ。


「はいはい、落ち着け! ったくもう……こっちは心配したんだからな、レイ?」


 気の抜ける一連の会話を、カイルがパンッと手のひらを打ち鳴らして終了させる。するとレイが気まずそうに視線を伏せた。


「悪い……いつもならゴロツキに絡まれても逃げ切れるんだが、捕まってしまった」

「どうせチビたちにじぶんの食い物やって、ろくに食ってなかったんだろ」

「人並みには食べてる」

「おまえは人並みじゃ足りないんだっての!」

「む……」


 図星だったらしい。カイルに反論できず、レイは押し黙る。


(ひとよりたくさん食べるのに、ちいさいこどもたちに食べ物をわけて、熱を出した子のためにお薬の材料を買いに走って……)


 じぶんの身をかえりみず、だれかのために奔走するすがたは、まさに彼そのものだった。


「でもま、結果的に無事だったからよかったよ。お嬢さまにめちゃくちゃ感謝しろよな?」

「うん……助けてくれて、ありがとう」


 今世では兄弟という関係性からか、はたまた記憶がないゆえに精神が肉体年齢に引っ張られているためか。

 前世では七海ななみに憎まれ口を叩いていた彼ではあるが、カイルに返すレイの言葉は、こどもらしい素直なものだった。


「きみも、見ず知らずの俺を助けてくれて、ありがとう」

「そんな……カイルさんの、弟さんですもの」


 あなただから助けにきたんですよと、のどのすぐそこまで迫っていた言葉を、セフィリアは飲み込む。

 きょとんとしたレイをごまかすように、さびしい気持ちは、笑顔の裏に隠した。


「そのこども……瞳が赤いですね。まさか……」


 乱闘の末、男たちをこぶしで床に沈めたジェイドが合流する。その視線はどこか険しい。


「だからなんですか? レイはレイです」


 すぐさま、レイをかばうようにカイルが立ちはだかる。

 そういえば、レイは『赤眼』と呼ばれていた。


(この世界で赤い瞳には意味があって……あれ、なんだったかしら。思い出せない……)


 まただ。だいじなところだけやぶり捨てられたように、セフィリアの記憶から消え去っている。


「なんなのよ、もう! どいつもこいつも使えやしないわ!」


 突如金切り声がひびきわたり、セフィリアは思考を中断する。


「こんなところで捕まるわけにはいかない……おまえ! 死にたくなかったら私が逃げる時間をかせぐのよ!」

「ひぃ……」


 見れば顔を真っ赤に上気させたヤンスが、手下の男をヒールで蹴飛ばしていた。先ほどカイルに短剣を投げつけられた男だ。

 手負いの者を転がして寄こしたところで、たいした足止めにもならないだろうに。


「この期に及んで逃走するつもりとは、舐められたものですね」

「確保いたします。邪魔だ、退け!」

「うわぁあっ!」


 男を投げ飛ばしたジェイドがヤンスを追う。


「しつこいんだよっ!」

「っ、この女っ……!」


 が、ヤンスはテーブル上に放置されていた灰皿を引っつかむと、ジェイドに向かって放り投げる。

 間一髪、純金製の灰皿を手で叩き落としたジェイドだが、ぶわりと灰がひろがり、視界をおおい隠した。


「風よ──」


 ──ヒュオウ。


 カイルが右手をかざすと、風によって灰が吹き飛ばされる。

 やがて映し出された光景は、おどろくべきものだった。


「なんだと……!」


 商談室から狭い通路でつながった二間続きの部屋に、ヤンスのすがたはなかった。

 窓は一切なく、空の酒瓶が無造作にころがったテーブルと、丸椅子、パチパチと火がおどる暖炉があるだけだ。


「消えた……魔法具でも使って、外部にテレポートでもしたんでしょうか」

「それにしては、魔力性の発光現象などは見られませんでした」


 ジェイドに続き、ひととおり部屋を見わたしたセフィリアは、あごに手を当てて思案する。


(ここでヤンスを取り逃がすわけにはいかないわ。彼女にさらわれた奴隷のこどもたちの居場所もわかっていないし……)


 なにか、仕掛けがあるはずだ。


「そこの暖炉」

「……え?」


 ふいにレイが暖炉を指さし、セフィリアは顔をあげる。


「使われている暖炉にしては、まわりがほこりだらけだろう」

「言われてみれば……そうですね」


 今朝大雨が降ったとはいえ、そこまで気温も下がってはいない。露出の多い派手なドレスをまとっていたヤンスが、わざわざ暖炉を使うとも思えない。

 すると暖炉に近寄ったレイが、おもむろに右手を突っ込む。


「なにをっ……えっ?」


 レイの右手は、たしかに火の中へ入ったはずだ。

 だが燃え上がることなく、ふれた空間がぐにゃりとゆがむ。


「これはまさか……幻覚魔法」

「あぁ。この奥に隠し通路がある。薬を使われていたときも、途切れ途切れだが、意識はあったからな」


 セフィリアは息をのむ。レイの言葉は、つまり。


「ついてきてくれ。この先に、違法闘技場がある」


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