「『商品』はお気に召されましたか? よろしければ、商談に入らせていただき──」
ヤンスの言葉は最後までつむがれない。
おもむろに、無言のセフィリアが右手を持ち上げたためだ。
「……お嬢さま」
すぐさま、なにかを察したジェイドがセフィリアを呼ぶ。
カイルも表情を引きしめ、セフィリアの動向を注視していた。
パチン──
セフィリアが指を鳴らすと、桃色の光をまとった蝶が現れる。
ひらり、ひらり──
優雅に羽ばたいた蝶は、最後にヤンスの目前でパッと光の粒子をはじけさせ、消えた。
──ひらり。
蝶の代わりに現れた桃色の封筒が、テーブル上に舞い落ちる。
そのさまに、ヤンスは息をのんだ。
「バピヨン・メサージュ……」
パピヨン・メサージュ。伝書蝶とも呼ばれる魔法具の一種だ。
あらかじめ魔法が組み込まれており、宛先を書いて手紙を出すと、蝶にすがたを変える。そして自動的に手紙を届けたい場所まで飛んでいくという仕組みだ。
「こちらのパピヨン・メサージュには、高度な転移魔法がほどこされています。請求書はこちらで。後日、ご希望の代金をお支払いしましょう」
それは『言い値で買う』ということにほかならない。
「失礼ですが。お嬢さま、ここがどこかわかっておいでで?」
セフィリアに問うヤンス。扇で口もとを隠してはいるが、言動は挑発的なものだ。
ヤンスは奴隷商。そこらの善良な商人とはわけがちがう。
そしてここは貧民街。貧しい者が路地裏でおびえ、闇取引で私腹を肥やす犯罪者が太陽のもとを歩く場所だ。
奴隷の購入で法外な金額を突きつけられることは、火を見るよりも明らか。
しかし、ヤンスが警戒をあらわにしても、セフィリアは動じない。
「もちろんです。わが家門に、恐れるものなどありませんから」
いま一度手もとの封筒を見下ろし、ヤンスは目を見ひらいた。
封筒にあらかじめ記された宛先──それが、すべての答えだ。
「まさか……!」
状況を理解したヤンスが焦りの声をもらしたとき、セフィリアは外套のフードに手をかけていた。
「──あなたの悪事もここまでよ、奴隷商ヤンス」
ストロベリーブロンドを惜しげもなくさらけ出したセフィリアは、エメラルドの視線でヤンスを射抜く。
「アーレン公爵家……っ!」
アーレン公爵家の領地内に位置する貧民街。そこで奴隷を売買するヤンスのもとに、セフィリアたちアーレン公爵家の人間がやってきたのだ。
これがなにを意味するのかは、わかるだろう。
「おまえたち……!」
言い逃れはできないとふんだのか。手下の男たちに命令を試みようとするヤンスだが、もう遅い。
「ふッ!」
「ぐがぁっ!」
ジェイドのこぶしを顔面に受けた手下が、卒倒する。
先制攻撃。一瞬の出来事に、手下の男たちは怯む。
「セフィリアお嬢さま、正体を明かすのが早くありませんか!」
「緊急事態です。レイは猛毒におかされている可能性があります。もたもたしている時間はありません」
──私が正体を明かしたとき、遠慮はいりません。盛大に暴れてください。
これは潜入する前に、セフィリアがジェイドたちと決めていた作戦のひとつだ。
はじめは慎重に相手の出方をうかがうが、『もしも』のときは実力行使に出ると。
「そう言われましてもね、たいへんやりづらいのですが!」
狭い室内では、剣が使いづらい。ジェイドは身の丈ほどもある大剣をあつかうため、余計だ。
「剣が使えなくても、リーヴス卿の実力なら大丈夫ですわ」
「あぁだから、そうじゃないんです、お嬢さま!」
「がふぅっ!」
もどかしそうに振りあげられたこぶしの直撃をあごに食らい、男が宙を舞う。
「半殺しにするのが難しいんですよ、素手のほうが手加減できないので!」
「あぎぃっ!」
ついで、ヴン! と振りかぶったこぶしを横っ面に受けた男が吹っ飛んだ。
ひとり、またひとりと、ジェイドによって男たちが床に沈められる。
残るヤンスの手下の男は、レイの周囲にいる2人のみだ。
「リーヴス卿が道をひらいてくれました。行きましょう、カイルさん!」
「はい!」
外套をひるがえし、カイルが駆け出す。
「小僧が、舐めたもんだな……!」
ジェイドとくらべれば、ひと回りは華奢な体格のカイルだ。屈強な男が立ちはだかるも。
「舐めてるのはどっちだよ」
ビュオウッ!
突然巻き起こった風に足をとられ、男が大きくよろめく。
「のわっ! がッ!?」
間髪をいれずに男の頭をつかんだカイルは、壁めがけて男を放り投げる。
ゴン、と鈍い音とともに、石造りの壁に頭部を強打した男がくずれ落ちる。その衝撃によって、壁に飾られた鹿の剥製が落下。男を下敷きにする。
が、男は立ち上がることができない。脳震盪を起こしているようだ。
「ま、待ってくれ……!」
「ごちゃごちゃうるさい」
最後に残った男がなにかを言いかけるが、カイルは冷たく一蹴。
「──その汚い手を退けろよ」
そして目にも止まらぬ速さで、ふところから取り出した短剣を放つ。
「うぁああっ!」
短剣はレイの鎖を持つ男の右腕に命中。
絶叫した男が、鎖を放棄する。
「レイっ! 大丈夫か、レイ!」
真っ先に駆け寄ったカイルが、レイに呼びかける。
「どうした、俺がわからないのか? しっかりしろ、レイ!」
カイルが肩をゆさぶっても、レイは答えない。依然としてうつろな表情のまま、立ちすくんでいるだけだ。
「失礼しますね」
「カイルよ、そこを代われ。ワタシたちにまかせるのだ」
「お嬢さま、わたあめ……!」
カイルに続いてやってきたセフィリアの胸もとから、わたあめが飛び出す。
「こんなに酷い目に遭って、かわいそうに……」
ぴょんとレイの肩に飛び乗ったわたあめは、病的なほどに白く痩せこけたほほにすり寄る。
「あるじ、できそうか」
「やってみせます」
「よし、ならばこちらはワタシにまかせよ」
わたあめはするりと床に降り立つやいなや、シャキン、と前足に鋭い爪をあらわにする。それを
「私は、私のすべきことを──」
セフィリアはひと呼吸を置いて、動かぬレイのほほに両手を添える。
「瘴気滅却──『
刹那、淡い桃色の光を放つ花びらが、レイをつつみ込んだ。
(大丈夫……いまはじゅうぶんに魔力もあるわ。ぜったいに、治せる……!)
この力を使って、彼を助けたい。その一心で、セフィリアは魔力を内功に変換する。
(おねがい、もどってきて、
ぱぁああ──
ひときわ強い光が、あたりを埋め尽くす。
あまりのまばゆさに腕で顔を覆ったカイルは、恐る恐るまぶたをひらく。
「……にい、さん?」
か細い声が聞こえた。
物言わぬ人形のようだった少年が、きょろきょろとあたりを見まわし、その瞳にカイルを映し出す。
「カイル兄さん……」
声はかすれていて、疲労が色濃くにじみ出るやつれた表情ではあったけれど、カイルを呼ぶそのすがたは、たしかに。
「レイ! よかった……っ!」
「わ……!」
感極まって、飛びつくカイル。
その熱い抱擁を受け、レイは危うくうしろへ転びそうになっていた。
(さいわい、彼をあやつっていたのは麻薬ではなく催眠系の薬だったみたいね……後遺症がなくてよかったわ)
最大の懸念を、見事払拭することに成功した。
これにはセフィリアも、安堵の息をもらす。