「ちくしょう……!」
壁を殴りつけたカイルが、苛立たしげにブルーの髪を掻き乱す。
たったひとりの家族である弟がさらわれたのだ。気が気ではないはず。
「そのヤンスという人物の経営する武器屋に向かいましょう」
セフィリアの行動は早かった。
老人が指し示していた方角に向かって、先陣を切ったのだ。
血相を変えたジェイドが、セフィリアの肩をつかむ。
「お嬢さま、本気ですか!」
「人買いにさらわれたなら、買いもどせばいいことです」
「相手は闇の売人ですよ。そんなやつと取引をしたことが公になれば、アーレン公爵家をゆるがすスキャンダルになります!」
「もちろん、すべてがうまく行くとは思っていません。相手が平和的に私たちを帰してくれる保証もありませんし」
「ですが」と言葉を切ったセフィリアは、足を止め、ジェイドをふり返る。
「ただの取引ではなく潜入捜査なら、話は違ってきますよね?」
「お嬢さま、まさか……」
「えぇ、そうです。違法な人身売買を行う奴隷商を、私たちが摘発します。ごちゃごちゃ言ってますが、要はヤンスの店をぶっ壊しましょう、ということです。物理的に」
「セーフィーリーアーおーじょーうーさーまー!」
「あら、できませんか?」
「そう簡単におっしゃらないでいただきたい!」
「おてんばなところは、ユリエンに似たのかなぁ」
「おてんばどころのお話ではありません、旦那さま!」
「でもまぁ、かわいいリアのおねがいだし。僕としてもこどもたちが危険な目に遭っているのは見過ごせないなぁ」
この状況下にあっても、ノクターはふだんの笑みをくずさない。
それは、『打開策』を思いついているがゆえなのだろう。
「僕は治癒魔法以外はサッパリだから、剣の腕もイマイチだけど……案外どうにかなったりして」
にこにこと、ノクターが笑っている。
それはもう、満面の笑みで。
「だってペロが、遊びたそうにしているから!」
ガァア──!
頭上高くから、グリフォンの雄叫びがとどろく。
孤児院に残してきたはずのペロが、ノクターを追ってやってきたのだ。
のほほんとしているから忘れがちだが、ノクターは一流
獰猛なグリフォンの使役も、なんのそのだ。
「はぁああ……」
長ーいため息を吐いたジェイドが、虚無顔でぽつり。
「やるからには、徹底的にやります」
どうやら開き直ったようだ。開き直らなければやっていられなかったとも言える。
「そういうわけなので。みんなで力を合わせればきっと大丈夫です。弟さんを助けに行きましょう、カイルさん!」
「……セフィリアお嬢さまには、敵いませんね」
険しい表情でいまにも飛び出して行きそうだったカイルが、ふ……とほほをゆるめる。
協力を惜しまないセフィリアの言動に、落ち着きを取りもどしたようだ。
「みなさん、どうか俺に、力を貸してください」
セフィリアたちに向き直り、深々と頭を下げるカイル。
その訴えを無下にする者は、ここにはいなかった。
「もちろんです。悪者をこらしめる作戦を立てましょう!」
* * *
目的地を見つけるのは、そう難しいことではなかった。
さびれた貧民街において妙に小奇麗な、手入れの行き届いた外観の武器屋──そこが、奴隷商ヤンスの営む店だ。
カラン、カラン──
扉をひらくと、古ぼけたドアベルが鳴り、セフィリアたちを迎える。
店にはジェイド、セフィリア、カイルの順で足をふみ入れた。
3人とも外套を身にまとい、フードをまぶかにかぶっている。ここへ来るまでに立ち寄った露店で購入したものだ。
(剣に槍、斧……表向きは武器屋というのは、ほんとうみたいね)
フードの影から、セフィリアはざっと店内の様子を確認する。
壁一面に立てかけられた武器。
窓には鉄格子がはめられている。まるで、外部からの観察も侵入もさせまいとするかのように。
(とはいえ、お父さまなら『最後の仕上げ』を完璧にこなしてくれるはずよ)
ノクターだけを残し、敵の本陣へ向かうことにしたのは、セフィリアの作戦があってこそである。
「ご用件は」
カウンターで短剣を磨いていた男が、無愛想に問いかけてくる。
(きた……!)
セフィリアは直感する。何気ないこの問いが、今後を左右する重要なものであることを。
奴隷を買うことができるのは、『合言葉』を知っている者だけだ。
だが、セフィリアはこの世界が舞台の『原作』を知っている。どうすれば『合言葉』を入手できるのか、知っていた。
「めずらしい『お茶』が入ったと聞いたわ」
──奴隷を買いたいときは、『茶がほしい』と注文するんだ。
これは、この店の向かいで外套を売っていた露店の店主から仕入れた極秘情報だ。
「鮮度のいい『お茶』がほしいの。用意してくださるかしら」
小柄な背丈から、セフィリアがこどもであることはすぐに知られるだろう。
しかし、この際それは問題ではない。
重要なのは、セフィリアの言動が平凡なこどもらしからぬもの──貴族の令嬢であることを暗に知らしめることだ。
羽振りがよいことさえわかれば、向こうもそれ以上の素性は詮索してこない。
しばしの沈黙を挟み、男が腰かけていた椅子から立ち上がる。
「オーナーのもとへご案内します。2階の商談室へどうぞ」
──かかった!
たしかな手応えを感じる一方で、まだ気を抜いてはならない状況だ。セフィリアは気を引きしめる。
カウンターを出て階段をのぼる男に、まずジェイドが続く。
カイルへひとつ目配せをすると、セフィリアもジェイドを追った。
2階の一番奥、商談室へ通されたセフィリアは、思わず顔をしかめた。
(悪趣味な部屋ね……)
まず目についたのは、鹿の頭部。剥製だ。それが木枠におさめられ、まるで絵画のように壁に飾られている。
部屋にはテーブルを挟んで、ソファーがふたつ。
窓を閉め切っているため、室内の空気もよどんでいる。
「あるじ、ここは嫌なにおいがする」
「わたあめちゃん?」
ふいに現れたわたあめが、しかめっ面でセフィリアの肩に飛び乗る。
「たしかに、お酒と煙草が混ざったような、なんとも言えないにおいがただよってますものね」
「それもだが……もっと不快なにおいがする」
わたあめはもともと仁愛をつかさどる瑞獣であり、悪しき感情に嫌悪を示す。悪の巣窟ともいえるこの場所を不快に思うのも当然だ。
「無理はせず、隠れていていいんですよ?」
「それがな……ムズムズしてたまらんのだ」
「ムズムズ?」
「なんというか、走り出したくなるようなムズムズだ。これは不快ではない。しかしにおいは不快だ。むぅ……ワタシはいったいどうすればいいのか」
くしゃみでもがまんしているのかと思ったが、そういったわけでもないらしい。
身の置きどころが定まらず、わたあめはそわそわしている。
「ようこそおいでくださいました。わが『ヤンスの隠れ家』へ」
そんな中、新たなひとの気配が。
セフィリアはとっさに外套の前をひらき、わたあめを囲い込んだ。
やがてすがたを現したのは、女だった。
年の頃は40代程度。ふくよかなからだに真紅のドレスをまとい、両手にはめられた指輪がギラギラと目に痛い。