カイルの弟が行方不明になった。
一刻もはやくさがしに向かいたいセフィリアへ、異議をとなえる者があった。
「なりません! お嬢さままでゆかれる必要はありません。こちらでお待ちください」
「リーヴス卿……」
当然ながら、ジェイドがセフィリアの同行を却下する。
彼の仕事はセフィリアの護衛。治安の劣悪な貧民街の奥地へ、そう簡単にセフィリアを向かわせるはずがなかった。
(『花リア』のレイは、こどものころに誘拐され、奴隷市場に売られた過去がある……もしカイルさんの弟が私の思うレイなら、もたもたしてるヒマはないわ!)
いままさにセフィリアたちの直面している状況が、原作どおりのエピソードである可能性が高いのだ。
ならば、原作を知るじぶんが同行するメリットは、すくなくないはずだ。
セフィリアはぐっと顔をあげ、ひとまわりもふたまわりも体格の大きいジェイドを見据える。
「お言葉ですが、リーヴス卿。私はカイルさんの弟さんの『おむかえ』に行くと申しあげただけです。それをそこまで必死に止めるということは、あなたも異常事態が起きている可能性を言外に認めたことになりますよ」
「お嬢さま……!」
「私とて、アーレン公爵家の者です。領民に危険がせまっている可能性があるなら、行動を起こします。小娘だからと見くびらないでください」
毅然と告げたセフィリアは、ついでカイルをふり返る。
そして暗い面持ちで黙りこくったカイルの手を取り、彼にしか聞こえない声でつぶやいた。
「私の考えているとおりなら、いま行動を起こさないと後悔することになります。私は、後悔したくはありません」
「セフィリアお嬢さま……」
「大丈夫です。まだ間に合います。だからいっしょに行きましょう、カイルさん」
「っ……」
不安げにゆれていたブルーの瞳にセフィリアを映したカイルは、ぐっと唇を噛みしめる。
深く息を吐き出し、ふたたびまぶたをひらいたカイルのまなざしからは、迷いが消え去っていた。
「ありがとうございます。なにが起きても、お嬢さまは俺が命を懸けて守ります」
ぎゅうとセフィリアの手をにぎり返す手は、痛いくらいに力強い。
「僕もリアに賛成かな。リアもいろんな景色を知るべきだ。この世界が見せる、さまざまな景色をね」
ここで、思わぬ人物から賛同がある。
ノクターがセフィリアの意思に同意を示したのだ。
「ジェイド、このあいだの事件で、きみもよく知ったろう。リアは僕たちが思う以上に賢く、行動力がある。こどもだからとあなどってはいけないよ」
蝶よ花よと愛でるばかりではいけないと、ほかでもないノクターが告げている。
「旦那さま……では」
「みんなで行こう。きみやカイルがいるんだから、なにも心配はいらないだろう?」
「……旦那さまが、おっしゃるならば」
そこまで言われてしまえば、ジェイドも納得せざるを得ない。
「申し訳ございません、あの子が帰ってきていないことに、私がはやく気づけていれば……」
「熱を出した子の看病でたいへんだったでしょうし、ルフ先生のせいではありません。それに、私たちの思い過ごしならそれでいいんですから。ね?」
「……はい。こどもたちのことは、私におまかせください。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
思い詰めた様子のルフは、セフィリアの言葉のおかげですこし気が楽になったようだ。深々と頭を下げる。
「行きましょう!」
カイル、ノクター、ジェイドのうなずきを受けて、セフィリアはきびすを返した。
* * *
あたりを見わたせば、苔むした地面。ぼろぼろに風化した廃墟のような建物。
ぼろをまとったやせぎすのひとびとが、亡霊のようにさまよう。
そんな場所に、セフィリアはやってきた。
「なじみの魔法薬店の店主は、レイがたしかに魔法薬の材料を買いに来たと言っていました」
孤児院や魔法薬店のあるエリアは貧民街のなかでも比較的整備されていて、さほど距離もない。
今朝大雨が降っていたために雨宿りをした可能性を考慮しても、昼を過ぎても帰ってこない現状は明らかに異様だった。
つまり魔法薬の材料を買った帰りに、レイの身になにかが起こった。そう考えるのが妥当。
そのためセフィリアはカイルの案内で、魔法薬店から孤児院へもどる道を外れた裏通りへやってきたのだった。
細い路地裏を1本通り抜けただけだというのに、目前にひろがる景色は一変。セフィリアも身がまえる。
「このあたりは、先生にひろわれる前に俺たち兄弟が住んでたエリアです。……煙突掃除だとかこどもでもできるような日雇いの仕事をして、それ以外は物乞いをして食いつないでました」
「ちょっと待ってください、カイルさん」
身の上話を語る際、カイルが声をひそめる。その理由がわからないセフィリアではない。
「煙突掃除のためにこどもを雇用することは、20年前に法律で禁じられたはずです!」
そのむかし、煙突掃除にこどもが多く雇用されていた。からだのちいさなこどもは、せまい煙突の掃除に適していたからだ。
しかし、こどもが誤って煙突の奥に落ち、火あぶりになったり窒息死してしまう事故が多発。それを受けて、国はこどもによる煙突掃除を禁止した。
「法律なんて、ここではあってないようなもんなんで」
セフィリアに返すカイルの声は、淡々としていた。
おさないこども、それも身寄りのない男児ならば、なおのこと人権はない。
身の危険をおかさなければ、生活できなかったのだ。
「おやぁ……上等な身なりをしてるね。あんたたち、貴族かい?」
想像を超える惨状にセフィリアが唇を噛んだころ、どこからともなくしゃがれた声が聞こえた。
ふと視線を脇にそらせば、ひび割れたレンガ造りの壁に、骨と皮ばかりの老人がもたれ座り込んでいる。
「じいさん、黒髪のこどもを見なかったか? 7〜8歳くらいのこどもだ」
それとなくセフィリアを背にかばいながら、カイルが老人へ問う。
「黒髪のこども……なにやら紙袋をかかえていたこどもなら、このへんで見た気がする」
「ほんとうですか! その子はどこに?」
やはり、レイはここを通ったようだ。
希望を見出すセフィリアだが、老人が首をかしげ、ひと言。
「それがなぁ、もう歳だもんでな……うぅん、もぉすこしで、思い出せそうなんだがなぁ……」
ぼさぼさの白髪からちらりとセフィリアを見上げる老人。その口調は、演技がかったものだ。
「ジェイド」
「は。旦那さま」
すぐさま、ノクターがジェイドを呼ぶ。
ずんと大股で前に出たジェイドが、ふところに右手をさし入れたかと思えば、なにかをピンッと指ではじいた。
チャリチャリと音がして、銀貨が数枚老人の目の前にころがる。
「ここでつつましく暮らしていれば、向こう3ヶ月は食っていけるだろう」
「おぉ……! 慈悲深い貴族さまだ!」
目の色を変えた老人が、銀貨に飛びつく。
「それで、そのこどもはどうした?」
「ならず者たちに追われていたよ。ありゃあ、人買いの連中だね」
「なんだって!」
おしゃべりになった老人の言葉に、ジェイドは眉間にしわを寄せ、カイルがたまらず声をあげた。
「ここいらで奴隷をあつかっているとすれば、武器屋の店主、ヤンスだろうね。あいつは違法闘技場もやってるって話だ。さらってきたこどもにモンスターと殺し合いをさせて、その賭博金で、荒稼ぎしてるわけさ」
べらべらとしゃべる老人の声が、セフィリアにはどこか遠くに聞こえる。
「気の毒だが、こどもはほっといたほうが身のためだよ。平和ボケした貴族さまじゃあ、返り討ちに遭うのが関の山だ」
確証のなかったことが、これではっきりした。
(カイルさんの弟さんが、『花リア』のレイで間違いないわ……!)
つまり、原作でレイがさらわれ、奴隷市場に売られるエピソードが、現実としてセフィリアの前に立ちはだかっているのだ。