セフィリアたちはルフの案内で回廊を抜け、見晴らしのいい広場へやってきた。
地面にはちいさな水たまりがぽつぽつと散在し、しずくのからんだ草花もちらほら見られる。セフィリアたちがおとずれる前に、雨が降ったのだろう。
「こちらは庭園広場です。こどもたちの遊び場になっていたり、あちらでは畑をたがやして、作物をそだてています」
現在この孤児院で暮らしているこどもたちは、3歳から10歳の30名。全員男児とのことだ。
(やっぱり、女の子はいないのね)
女児の出生率はきわめて低い。
とくに女尊男卑の伝統を重んじる貴族の家系において、女性が家督を継がなければ最悪の場合お家取り潰しもあり得る。
そのため、女児に恵まれなかった家門では身寄りのない女児をのどから手が出るほど欲していて、孤児であっても女児ならば養子にむかえるケースがめずらしくないようだ。
血すじが保たれさえすればいい、こどもならば英才教育が間に合うといった考えからである。
(男性に生まれただけで、その後の人生が決まるようなものだもの。『花リア』のお相手キャラが暗い過去を背負いがちなのも、当然というわけね)
そしてこのルミエ王国は、人間に憎しみをいだいた魔族によって侵略され、近い将来戦争が勃発する状況にある。
(お父さま、お母さま、カイルさん、ディックさん、リーヴス卿、リッキー……)
セフィリアのそばには、かけがえのないひとたちがたくさんいる。
(みんなを守るために、戦争を食い止めなくちゃ。ぜったいに)
ルミエ王国の平和を守ることは、ほかにも重大な意味をもつ。
(
彼と再会を果たし、愛を証明するためにも、戦争は回避しなければならない。
(まとめると、私がすべきことは、いま置かれた状況のよりよい改善。要するに、人助けってこと!)
乙女ゲームが舞台の世界なら、ハッピーエンドをむかえるため、それこそ世のためひとのため奔走することが鉄則。
その手始めが、この孤児院の支援というわけだ。
こどもたちに寄り添うルフのように慈愛に満ちた行動を取れば、おのずとヒロインらしい名声は高まるだろう。
「カイルさんは、こちらの孤児院で過ごされていたことがあるんですよね。よろしければ、そのときのお話もお聞きしたいですわ。……カイルさん?」
自然と話題をふったつもりのセフィリアだったが、ここで違和感に気づく。
せっかくの里帰りだというのに、カイルがやけに静かだと思えば。ルフの案内を受けるセフィリアたちのうしろで、ちらちらとあたりを見回し、どことなくそわそわした様子だ。
「あ、すみません!」
「どうかしましたか?」
「いや、ひさしぶりに来たらここは変わらないなぁとか、でもチビたちはおっきくなったなぁとか、いろいろ考えちゃって」
「2年ぶりになりますからね。私も、今日カイルに会えることを楽しみにしていました」
ふと歩みを止めたルフが、カイルをふり返ってほほ笑む。
「ほらカイル、ここでのことをお嬢さまに聞かせてさしあげたら?」
「べつに面白いもんでもないけどな……」
ほほを掻きながらぼやくカイル。じぶんのことを話すのは気恥ずかしいのだろう。
「そうですか? 私は気になります、カイルさんのこと」
「うっ……! お嬢さま、それは反則ですよ……」
しかし、きょとんとしたセフィリアの上目遣いを受け、カイルも観念。ぽつりぽつりと話し出す。
「俺がここに来たのは4年前、10歳のときです。路地裏で暮らしてた俺と弟を、先生がひろってくれて。それから2年間、ここで暮らしてました」
「当時はカイルが年長でしたから、下の子たちのお世話をよくしてくれていました。畑仕事も得意でしたし、ほんとうに働き者な子です」
「隙あらば褒め倒そうとするよな、先生……」
「それが私の教育方針だからね」
いつだったか「カイルは甘え下手」とディックが話していたように、隙あらば褒めるルフにカイルはたじたじ。
(カイルさんはみんなの『お兄さん』だったのね)
せめてじぶんだけでも、カイルを褒め、甘やかしたい。ルフの言動は、そんな心境のあらわれだろう。
「まぁ……クソガキだった俺に、読み書きとかいろいろ教えてくれた先生には、感謝してますよ」
ふとしたカイルのつぶやきで、セフィリアははっとする。
(そういえばカイルさん、私のスケジュール管理と記録を、ふつうにこなしてたわ……!)
実際のところ、それはふつうにできることではない。貧民街出身ならば、文字が読めない者のほうが大多数だからだ。
(はじめて庭園で会ったときも、『礼儀作法はサッパリ』って言っていたのに、ひととおりの受け答えはしっかりしていたし)
学校で習ったわけでもないのに、2年そこらでここまで完成されるものだろうか。
セフィリアの疑問は、カイル本人が説明する。
「先生の紹介でアーレン公爵家に雇ってもらって、読み書きだとかは料理長に教えてもらってました」
「ディックさんが……」
言われてみれば、あぁと腑に落ちる。
どうりでカイルがディックになついているわけだ。本人に自覚はないようだけれど。
「それからはまぁ、背も伸びたし、声変わりもしたし、セフィリアお嬢さまのお世話係になったりして、いまにいたりますと」
「雑な説明だね」
「いいじゃん、ほんとのことなんだから!」
「はは、大きくなっても、カイルは変わらないね」
「孫でも見るような目やめて……」
100年生きているルフにとって、カイルは孫のような存在にちがいはないのだろう。
彼らのやりとりを、セフィリアもほほ笑ましく見守っていた。
「それはともかく! あいつはどこにいるの? 食堂にも来てなかったけど」
話を変えるように、カイルが声を張る。
(あいつ……?)
先ほどから落ち着きがなかったのは、だれかをさがしていたからだったのか。
「あの子なら、今朝早くからおつかいに行ってもらってるんだ。昨晩高熱を出した子の看病で離れられない私の代わりに、魔法薬の材料を買いに……」
「もう昼は過ぎてるけど」
「雨が降ったようですから、どこかで雨宿りをしているとか? それでその……」
「あぁお嬢さま、申し訳ありません。カイルの弟のことです。レイというのですが」
「…………レイ?」
ぴくりと、思わず身じろぐセフィリア。
聞きおぼえのある名前だ。
(レイ……え?)
いや、聞きおぼえがあるどころではない。
(レイって……あのレイ……?)
『花リア』のメインヒーロー。彼の名前が、レイだ。
もちろん、同じ名前の別人という可能性もある。が……
(カイルさん、前に言ってたわよね。弟さんは、私と同い年くらいだって)
『花リア』に登場するレイも、セフィリアと同い年とされている。
されている、というのは、レイがもともと奴隷出身の孤児であり、正確な年齢がわからないためだ。
とたん、ひやりとしたものがセフィリアの背をつたう。
(まって、レイが奴隷市場に売られたのは、いつ……!?)
必死になって原作を思い返す。が、頭のなかがごちゃごちゃして、そのときのエピソードをうまく思い出せない。
「カイルさん……!」
気づけばセフィリアは、カイルを呼んでいた。
バクバクと、心臓の音がうるさい。
セフィリアの思う『彼』ではないかもしれない。
すべて思い違いかもしれない。それでも。
「弟さんを、おむかえに行きましょう」
何事もなければ、それでいいのだ。
「……はい」
セフィリアと同様の危機感を、カイルも感じていたのかもしれない。
言葉少なにうなずく彼の面持ちは、こわばっていた。