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第77話 ただ者じゃない

 どこまでもひろがる青い空。

 それがどこからはじまり、どこで終わるのか、だれひとりとして知る者はいないだろう。


「わわっと……まぁ……!」


 がまんできずに馬車の窓から顔を出したセフィリアは、ヒュルリと吹きつける風に呼吸をとめる。

 が、そろそろとまぶたをひらいた一瞬後には、感嘆の息をもらした。

 毎日見上げていた空が、近い。


「見てください、カイルさん! 空を飛んでますよ!」

「飛んでますねぇ」


 セフィリアたちを乗せた馬車はいま、はるか上空を飛行していた。

 もちろん馬が空を飛べるわけがないので、公爵家が使用するのは特別な『馬車』である。


「すごいです、街があんなにちいさく見えるなんて……!」

「あ、お嬢さま、あんまり身を乗り出すとだめですよ。気をつけないと──」

「お嬢さまぁーっ! 落ちます、危険です、なりませぇんっ!」

「とまぁ、団長が秒で発狂するので」

「私って、そんなに信用ありませんか……?」


 ちょっと窓から顔を出しただけなのに、すかさず後方からジェイドの絶叫がひびきわたる。

 ジェイドの乗った荷馬車を引くのは、光沢のあるワインレッドの鱗をもったモンスター、ワイバーン。翼竜とも呼ばれる。

 当然、馬とくらべれば気性は荒いはずだが、よく手懐けられていることがわかる。


「せっかくの絶景なのに、カイルさん、反応が薄くないですか?」

「あれかな、訓練のときに問答無用でワイバーンと楽しい楽しい空の旅を経験したからですかね。飛行訓練にもってこいだって、公爵家が誇る竜騎士、われらがジェイド・リーヴス卿がおっしゃってましたよ」

「なんですって……カイルさんは経験済み……」

「大丈夫です。お空のおさんぽにはしゃぐお嬢さまは、めちゃくちゃかわいいです」

「それなんのフォローですか……?」


 ほほ笑ましげなカイルのまなざしが腑に落ちないものの、たしかに落ちてしまってはたいへんなので、セフィリアも気をつけることに。


「でも、リアがはしゃぐのも無理はないよ。僕もおでかけは楽しみだからねぇ」


 のんびりとした声が、セフィリアの乗る馬車の前方から聞こえる。

 ノクターだ。今回の外出にあたって、なんと彼が御者役を買って出たのである。

 しかもノクターのつれてきた『馬』というのが、衝撃的で。


「グリフォン……何回見ても、グリフォンだわ……」


 そう。セフィリアたちの馬車を引いているのは、上半身は鷲、下半身は獅子のすがたをしたモンスター、グリフォンなのである。

 言わずと知れた、獰猛なモンスターだ。


「ペロのことが気になるかい? 人懐っこくてかわいい子だよ」


 ノクターは右手で手綱をもったまま、左手で慣れたようにグリフォンの首もとをなでた。

 ちなみに「甘えるときにペロペロしてくるからペロ」というのが名前の由来らしい。


「ガァ!」

「うわ、びっくりした……!」

「はは、これは『ぼくに任せて〜』って言ってるよ」

「旦那さまって、ただ者じゃないよな……」


 突然グリフォン──もといペロが翼を大きく羽ばたかせて鳴いたのだが、ノクターいわくあいさつのようなものらしい。

 これにはカイルもおどろくとともに、面食らっていた。

 ツッコミどころが多すぎる点については、セフィリアもあえて考えないことにした。


「さてと、もうすぐ到着だね」


 そうこうしているうちに、正面へ向き直ったノクターが手綱をにぎり直す。

 バサリ、バサリ。

 窓からそっと顔を出したセフィリアも、力強い羽ばたきの向こうに『目的地』を見つけた。


「貧民街……」


 貴族たちの住むきらびやかな景色から一変。

 寂れ、荒廃した廃墟のような街並みが、目下にひろがった。

 セフィリアがふと馬車内へ視線をもどすと、カイルがじっと窓の外を見つめている。


「カイルさん、大丈夫ですか?」


 屋敷を出てから、セフィリアは気になることがあった。

 いつもとくらべ、カイルの口数がすくないのだ。

 彼が生まれ育った街。けれど、けしてよい思い出ばかりとはいえない場所。

 カイルも、思うところがあるのだろう。


「そうですね……正直、ちょっと緊張はしてるかもしれないです。でも、大丈夫です」


 セフィリアの気遣わしげなまなざしを受け、カイルは持ち前の明るい笑みを浮かべる。


「なんたっていまの俺は、セフィリアお嬢さま専属のお世話係兼騎士。どーんと胸張って里帰りしときゃいいんですから!」


 非力だったあのころとはちがう。

 その思いが、カイル自身の力になっているのだ。


「そうですね。行きましょうか」


 セフィリアの目的は、ふたつ。

 ひとつ。貧しいこどもたちに、パンを届けること。

 そしてもうひとつは──


「あいつ、元気にしてるかなぁ。あんまり顔見せてないから、すねてるかも」


 ──いまだ貧民街で暮らす弟のもとへ、カイルを『里帰り』させることだ。

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