どこまでもひろがる青い空。
それがどこからはじまり、どこで終わるのか、だれひとりとして知る者はいないだろう。
「わわっと……まぁ……!」
がまんできずに馬車の窓から顔を出したセフィリアは、ヒュルリと吹きつける風に呼吸をとめる。
が、そろそろとまぶたをひらいた一瞬後には、感嘆の息をもらした。
毎日見上げていた空が、近い。
「見てください、カイルさん! 空を飛んでますよ!」
「飛んでますねぇ」
セフィリアたちを乗せた馬車はいま、はるか上空を飛行していた。
もちろん馬が空を飛べるわけがないので、公爵家が使用するのは特別な『馬車』である。
「すごいです、街があんなにちいさく見えるなんて……!」
「あ、お嬢さま、あんまり身を乗り出すとだめですよ。気をつけないと──」
「お嬢さまぁーっ! 落ちます、危険です、なりませぇんっ!」
「とまぁ、団長が秒で発狂するので」
「私って、そんなに信用ありませんか……?」
ちょっと窓から顔を出しただけなのに、すかさず後方からジェイドの絶叫がひびきわたる。
ジェイドの乗った荷馬車を引くのは、光沢のあるワインレッドの鱗をもったモンスター、ワイバーン。翼竜とも呼ばれる。
当然、馬とくらべれば気性は荒いはずだが、よく手懐けられていることがわかる。
「せっかくの絶景なのに、カイルさん、反応が薄くないですか?」
「あれかな、訓練のときに問答無用でワイバーンと楽しい楽しい空の旅を経験したからですかね。飛行訓練にもってこいだって、公爵家が誇る竜騎士、われらがジェイド・リーヴス卿がおっしゃってましたよ」
「なんですって……カイルさんは経験済み……」
「大丈夫です。お空のおさんぽにはしゃぐお嬢さまは、めちゃくちゃかわいいです」
「それなんのフォローですか……?」
ほほ笑ましげなカイルのまなざしが腑に落ちないものの、たしかに落ちてしまってはたいへんなので、セフィリアも気をつけることに。
「でも、リアがはしゃぐのも無理はないよ。僕もおでかけは楽しみだからねぇ」
のんびりとした声が、セフィリアの乗る馬車の前方から聞こえる。
ノクターだ。今回の外出にあたって、なんと彼が御者役を買って出たのである。
しかもノクターのつれてきた『馬』というのが、衝撃的で。
「グリフォン……何回見ても、グリフォンだわ……」
そう。セフィリアたちの馬車を引いているのは、上半身は鷲、下半身は獅子のすがたをしたモンスター、グリフォンなのである。
言わずと知れた、獰猛なモンスターだ。
「ペロのことが気になるかい? 人懐っこくてかわいい子だよ」
ノクターは右手で手綱をもったまま、左手で慣れたようにグリフォンの首もとをなでた。
ちなみに「甘えるときにペロペロしてくるからペロ」というのが名前の由来らしい。
「ガァ!」
「うわ、びっくりした……!」
「はは、これは『ぼくに任せて〜』って言ってるよ」
「旦那さまって、ただ者じゃないよな……」
突然グリフォン──もといペロが翼を大きく羽ばたかせて鳴いたのだが、ノクターいわくあいさつのようなものらしい。
これにはカイルもおどろくとともに、面食らっていた。
ツッコミどころが多すぎる点については、セフィリアもあえて考えないことにした。
「さてと、もうすぐ到着だね」
そうこうしているうちに、正面へ向き直ったノクターが手綱をにぎり直す。
バサリ、バサリ。
窓からそっと顔を出したセフィリアも、力強い羽ばたきの向こうに『目的地』を見つけた。
「貧民街……」
貴族たちの住むきらびやかな景色から一変。
寂れ、荒廃した廃墟のような街並みが、目下にひろがった。
セフィリアがふと馬車内へ視線をもどすと、カイルがじっと窓の外を見つめている。
「カイルさん、大丈夫ですか?」
屋敷を出てから、セフィリアは気になることがあった。
いつもとくらべ、カイルの口数がすくないのだ。
彼が生まれ育った街。けれど、けしてよい思い出ばかりとはいえない場所。
カイルも、思うところがあるのだろう。
「そうですね……正直、ちょっと緊張はしてるかもしれないです。でも、大丈夫です」
セフィリアの気遣わしげなまなざしを受け、カイルは持ち前の明るい笑みを浮かべる。
「なんたっていまの俺は、セフィリアお嬢さま専属のお世話係兼騎士。どーんと胸張って里帰りしときゃいいんですから!」
非力だったあのころとはちがう。
その思いが、カイル自身の力になっているのだ。
「そうですね。行きましょうか」
セフィリアの目的は、ふたつ。
ひとつ。貧しいこどもたちに、パンを届けること。
そしてもうひとつは──
「あいつ、元気にしてるかなぁ。あんまり顔見せてないから、すねてるかも」
──いまだ貧民街で暮らす弟のもとへ、カイルを『里帰り』させることだ。