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第76話 知ってますか?

 パン作りがひと段落するころ、荷物が届いた。

 アーレン公爵家御用達の仕立て屋から納品された特注品──それが、カイル宛に。


「すごいな、ぴったりだ」

「当然です。カイルさんのためにオーダーメイドしたんですもの」


 濃紺のコートに、カシミアのグレーベスト。

 純白のワイシャツに、ネクタイはシルク素材のシルバーグレー。

 カイルの部屋に届けられた荷物は、いわゆるモーニングコートと呼ばれる執事の正装一式だ。


「奮発しすぎじゃないですか?」

「あら、私のお世話係さんでしたら、これくらい普通ですわ」

「もー、お嬢さまってば口がお上手なんですから」


 カイルも成長期の男子だ。

 これまでの仕事着が合わなくなってきたので新調しようかなぁという本人のひとり言を、セフィリアが耳ざとく聞きつけたのがはじまり。

 そういうわけで、最高級ブランドの正装をまとったカイルは、どことなく気恥ずかしげである。


「今後また丈が合わなくなることもあると思いますので、遠慮せずにおっしゃってくださいね」

「太っ腹ですねぇ」

「必要経費です。仕事着なので。というわけで、私個人から出世のお祝いにプレゼントさせていただくのは、こちらです」


 セフィリアは満を持して、用意していたものをさし出す。

 光沢のある黒いベロアのケース。そこには、大粒のエメラルドのようなカフスボタンがひと組おさまっている。


「これ……」

「風の魔法石パワージェムからつくったカフスボタンです」


 カイルは風魔法が得意であるからして、このカフスボタンを身につけることで単純に魔力アップが見込める。そしてもうひとつ。


「こちらは簡易的な魔法記憶機能もあります。ちょっとした魔法でしたら、記憶、書き換えができますので、お好みの魔法をカスタマイズなさってください」


 なんでもそつなくこなすカイルだからこそ、機能面に重きを置いたプレゼントを選んだつもりだ。


「って……あら? カイルさん?」


 しかしカイルの反応は、セフィリアの予想とは大きくちがっていた。真顔のまま、じっとカフスボタンを見つめているのだ。


「あれっ、もしかして、お気に召しませんでした……!?」

「いや、ちがくて」


 セフィリアが焦りを見せると、カイルは首を横にふって否定する。


「夢みたいだなぁって思って」

「夢……ですか?」

「だってセフィリアお嬢さまが、俺のことを考えて、俺のためだけに選んでくれたんですよね。うれしくないわけないじゃないですか」


 噛みしめるようにつぶやいたカイルが一変、まばゆい笑みを浮かべる。そしてセフィリアの手ごと、さし出されたカフスボタンをそっと両手でつつみ込む。


「俺、こうやってプレゼントをもらったのはじめてで。しかも、それがお嬢さまからなんて……ありがとうございます。ほんとに、うれしいです。一生大事にします」

「えぇと……カイルさんの役に立ったらいいな、くらいにしか考えてなかったので、そこまで言われると、逆に恥ずかしいですね……」

「でしょうね。お嬢さまはそういうとこ、無自覚ですし」

「むぅ……」


 セフィリアがなんだか居たたまれなくなっているあいだも、カイルは笑って、手際よくカフスボタンでシャツの袖をとめる。


「せっかくなんで、収納魔法を記憶させましょうかね。もうじき騎士団の装備も支給されるはずなので、いざというとき、お嬢さまの騎士に一瞬で変身できるように」


 やはりというか、カイルのアイデアには無駄がない。

 一方で、カフスボタンを指先でなでるカイルの瞳は、どこかうっとりとしていて。


「セフィリアお嬢さまの瞳みたいですね……」

「え……あっ」


 そう言われて、はじめて気づくセフィリア。

 カイルが風魔法を使うから、風の魔法石パワージェムを贈っただけ。そう、他意はなかった。


「お嬢さま、知ってますか? 女性から男性にカフスボタンを贈る意味」

「えっと……」


 だからふいの問いにも、セフィリアはすぐに答えることができない。


「ふふ、それはね」


 いたずらっぽい笑みを浮かべたカイルが、ぐっとのぞき込んでくる。


「『私を抱きしめて』」


 間近にブルーの瞳が迫ったかと思えば、次の瞬間、セフィリアはカイルに抱きしめられていた。


「わ……カイルさん!」

「はい、自業自得ですから、おとなしく抱きしめられてくださいねー」


 あたふたと慌て出すセフィリアをよそに、カイルはじつに楽しそうだ。


「あーもう、なんでこんなにかわいいんだろ。愛しさが止まんない。決めた、俺一生お嬢さまから離れません」

「物理的に無理ですからね!?」


 日頃の感謝をつたえるべく計画した『プレゼント大作戦』であったが……

 その結果、上機嫌なカイルにぎゅうぎゅうされ、なかなか離してもらえなかったセフィリアであった。

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