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第71話 しっかりしてください

「お母さま、顔色がよくありません」


 ジェイドによってヘラが連行されたあと。

 セフィリアはすぐさま、床に座り込んだまま動けずにいるユリエンの背を支え、声をかける。


「私は、平気ですから、心配しないで……」

「なにを言ってるんだ。すぐに治療をしなければ」

「私のベッドをお使いください。お母さま、横になりましょう」

「えぇ……」


 気丈にふるまっていたユリエンだが、ノクターに抱きあげられたとき、ふっ……と意識を飛ばす。


「お母さま!」


 だらりと手足が脱力し、完全に意識を失っている。

 顔面蒼白。呼吸もか細い。


「気をたしかにもつんだ、ユリエン!」


 くり返しノクターが呼びかけても、ユリエンは答えない。

 そのとき、最悪の事態がセフィリアの脳裏をよぎった。


(お母さまが、死んでしまう……?)


 とたんに、セフィリアの頭は真っ白になる。


(ヘラが殺意をいだいていると……命の危険が迫っていることを、私は知っていたのに?)


 ヘラの凶行を食い止めたのは、ユリエンだ。

 この場に来たところで、セフィリアはなにもできなかった。


(……私の、せいなの?)


 セフィリアをかばって、ユリエンは黒妖精インプの鱗粉をあびてしまった。

 じぶんがいなければ、ユリエンはこんな目に遭わずにすんだかもしれない。

 そんな『もしも』の未来を想像して、セフィリアのからだが凍え出す。


「──しっかりしてください、セフィリアお嬢さま!」

「っ……!」


 肩をつかまれる感覚で、セフィリアは我に返る。


「奥さまを助けるために来たんでしょう。こんなとこで迷ってるヒマはないはずです。まだ終わってません!」

「あ……」


 カイルの言うとおりだ。ユリエンは危険な状態だが、手遅れになったわけではない。

 セフィリアが迷っているあいだにも、ノクターはユリエンをベッドに横たえ、容態を確認している。

 懸命に、救おうとしている。


(私にも、できることがあるはず)


 まだ間に合う。まだ。


「私に、できることは──」


 いま一度、セフィリアはじぶんに問いかける。


 ……ぴくり。


 肩に乗ったわたあめが身じろいだのは、そのときだ。


「……来る」

「え……?」


 わたあめは、ルビーの瞳で部屋の出入り口を凝視していた。

 かと思えば、たっと駆け出し、半開きになっていたドアを限界まで押し開く。


 ……ずりずり……


 そこでセフィリアは、奇妙な物音に気づいた。


 ずりずり、ずりずり……


 重いものを引きずるようなその音は、だんだんと近づいてくる。


(なに……?)


 思わず身がまえたセフィリアの視界に、次の瞬間飛び込んできた光景は。


「……ウゥ…………ウー!」

「なっ……リッキー!?」


 そう。おどろくべきことに、現れたのは木のすがたをしたモンスター、リッキーだった。

 どこからか蔓を2本伸ばし、それを触手のように動かして移動していた。

 ずりずりと響く奇妙な音は、リッキーが植木鉢ポットを引きずる音だったのだ。


「どうしてここに!?」

「ウー!」

「『おじょうさまがたおれたから、しんぱいした』と申しておる」

「あぁ、ごめんよリッキー……リアの大事な友だちであるきみに、ちゃんと説明をしていなかった」

「ウゥウ!」

「『とてもびっくりした!』と父上殿に怒っておる」


 アフタヌーンティーの際、リッキーはセフィリアがマカロンを食べて倒れる様子を目撃していた。

 さらにノクターが事情を説明していなかったため、セフィリアが心配になって、居ても立ってもいられなかったのだという。

 わたあめの通訳の甲斐もあって、スムーズに状況を把握することができる。


「温室からここまで、大変だったでしょうに……」

「ンウ」


 へっちゃらだ、とでも言わんばかりに、リッキーが胸ならぬ幹を張る。

 リッキーの想いにじんと胸を熱くさせながら、セフィリアは植木鉢ポットをかかえあげた。


「ありがとう、リッキー……あのね、お母さまをいじめていた悪いひとをこらしめたのだけど、お母さまが私をかばって……危ない状況なの」

「ウ?」


 セフィリアの言葉を受けて、リッキーがベッドに横たえられたユリエンのほうを向く。


「ウゥ……」


 ベッドのそばまでやってきて、植木鉢ポットをおろすと、血の気のないユリエンのすがたにリッキーも悲痛な鳴き声をもらす。

 シュルシュルと蔓を伸ばし、心配そうにユリエンの頭をなでていた。


「ありがとう。あなたはやさしい子ね。……お母さまを助けたいのだけど、どうしたらいいのかわからなくて」


 視線を伏せたセフィリアが、ぽつりとつぶやく。


「ウゥッ!」


 するとリッキーが、突然声をあげるではないか。


「リッキー?」

「ンン……ンンン!」


 がさがさ。


 リッキーが左右に伸びた枝を、突然あわただしく揺らしはじめた。

 どうしたというのだろう。セフィリアが固唾をのんで見守っていると。


「ンンッ! ウァアッ!」


 がさがさ、がさがさ…………


 ……ぱっ!


「えっ……!」


 セフィリアはエメラルドの瞳を見ひらいた。

 リッキーの枝に、花が咲いたからだ。


「ンムム……ウゥウッ!」


 さらにリッキーが枝を揺らし続け、ふくらんだ蕾が、ぱぱぱっ! と次々に花を咲かせる。

 淡いピンクのちいさな花が、またたく間に満開に。


「りんごの花……」


 いじらしいその花は、桜にも似ている。


「花の、気配……」


 セフィリアの胸がざわつく。


「そうよ、私には『花』があるわ……!」


 感じる。花の吐息を。

 感じる。花の生命を。


 そうだ、なにも迷う必要などなかった。

 おのれにしかできないことが、ある。


 セフィリアはまぶたを閉じ、指先でそっと花にふれる。


 すぅ……


 深く呼吸したなら、すべきことはわかっていた。

 からだが、


「──桃花生功とうかせいこう


 この場に満ちた花の力をその手にあつめ、いざ。


「瘴気滅却──『桃花爛漫とうからんまん』」


 ……ふわり。


 セフィリアが両手をかざした刹那、そよ風が吹き抜ける。

 淡い花々が光を放ち、ほのかに甘い香りで満たされる。


 ひらひら、はらはら。


 舞い落ちた花びらが、ユリエンのほほにふれた瞬間、ぱっと光の粒子になってはじけ。


 ……キィ! キキィ!


 黒い羽根を生やしたちいさな影が、ユリエンのそばから一目散に逃げ出すさまを、セフィリアはしかと捉えた。


 青ざめたユリエンのほほに、ほのかに赤みがさす。

 それを見届けたセフィリアは、ほっと安堵する。


「……『桜花生功おうかせいこう』に、改名したほうがよかったかしら」


 やればできるものね、と薄い笑みがこぼれ。

 直後、セフィリアは糸が切れたように、その場にくずれ落ちた。

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