「お母さま、顔色がよくありません」
ジェイドによってヘラが連行されたあと。
セフィリアはすぐさま、床に座り込んだまま動けずにいるユリエンの背を支え、声をかける。
「私は、平気ですから、心配しないで……」
「なにを言ってるんだ。すぐに治療をしなければ」
「私のベッドをお使いください。お母さま、横になりましょう」
「えぇ……」
気丈にふるまっていたユリエンだが、ノクターに抱きあげられたとき、ふっ……と意識を飛ばす。
「お母さま!」
だらりと手足が脱力し、完全に意識を失っている。
顔面蒼白。呼吸もか細い。
「気をたしかにもつんだ、ユリエン!」
くり返しノクターが呼びかけても、ユリエンは答えない。
そのとき、最悪の事態がセフィリアの脳裏をよぎった。
(お母さまが、死んでしまう……?)
とたんに、セフィリアの頭は真っ白になる。
(ヘラが殺意をいだいていると……命の危険が迫っていることを、私は知っていたのに?)
ヘラの凶行を食い止めたのは、ユリエンだ。
この場に来たところで、セフィリアはなにもできなかった。
(……私の、せいなの?)
セフィリアをかばって、ユリエンは
じぶんがいなければ、ユリエンはこんな目に遭わずにすんだかもしれない。
そんな『もしも』の未来を想像して、セフィリアのからだが凍え出す。
「──しっかりしてください、セフィリアお嬢さま!」
「っ……!」
肩をつかまれる感覚で、セフィリアは我に返る。
「奥さまを助けるために来たんでしょう。こんなとこで迷ってるヒマはないはずです。まだ終わってません!」
「あ……」
カイルの言うとおりだ。ユリエンは危険な状態だが、手遅れになったわけではない。
セフィリアが迷っているあいだにも、ノクターはユリエンをベッドに横たえ、容態を確認している。
懸命に、救おうとしている。
(私にも、できることがあるはず)
まだ間に合う。まだ。
「私に、できることは──」
いま一度、セフィリアはじぶんに問いかける。
……ぴくり。
肩に乗ったわたあめが身じろいだのは、そのときだ。
「……来る」
「え……?」
わたあめは、ルビーの瞳で部屋の出入り口を凝視していた。
かと思えば、たっと駆け出し、半開きになっていたドアを限界まで押し開く。
……ずりずり……
そこでセフィリアは、奇妙な物音に気づいた。
ずりずり、ずりずり……
重いものを引きずるようなその音は、だんだんと近づいてくる。
(なに……?)
思わず身がまえたセフィリアの視界に、次の瞬間飛び込んできた光景は。
「……ウゥ…………ウー!」
「なっ……リッキー!?」
そう。おどろくべきことに、現れたのは木のすがたをしたモンスター、リッキーだった。
どこからか蔓を2本伸ばし、それを触手のように動かして移動していた。
ずりずりと響く奇妙な音は、リッキーが
「どうしてここに!?」
「ウー!」
「『おじょうさまがたおれたから、しんぱいした』と申しておる」
「あぁ、ごめんよリッキー……リアの大事な友だちであるきみに、ちゃんと説明をしていなかった」
「ウゥウ!」
「『とてもびっくりした!』と父上殿に怒っておる」
アフタヌーンティーの際、リッキーはセフィリアがマカロンを食べて倒れる様子を目撃していた。
さらにノクターが事情を説明していなかったため、セフィリアが心配になって、居ても立ってもいられなかったのだという。
わたあめの通訳の甲斐もあって、スムーズに状況を把握することができる。
「温室からここまで、大変だったでしょうに……」
「ンウ」
へっちゃらだ、とでも言わんばかりに、リッキーが胸ならぬ幹を張る。
リッキーの想いにじんと胸を熱くさせながら、セフィリアは
「ありがとう、リッキー……あのね、お母さまをいじめていた悪いひとをこらしめたのだけど、お母さまが私をかばって……危ない状況なの」
「ウ?」
セフィリアの言葉を受けて、リッキーがベッドに横たえられたユリエンのほうを向く。
「ウゥ……」
ベッドのそばまでやってきて、
シュルシュルと蔓を伸ばし、心配そうにユリエンの頭をなでていた。
「ありがとう。あなたはやさしい子ね。……お母さまを助けたいのだけど、どうしたらいいのかわからなくて」
視線を伏せたセフィリアが、ぽつりとつぶやく。
「ウゥッ!」
するとリッキーが、突然声をあげるではないか。
「リッキー?」
「ンン……ンンン!」
がさがさ。
リッキーが左右に伸びた枝を、突然あわただしく揺らしはじめた。
どうしたというのだろう。セフィリアが固唾をのんで見守っていると。
「ンンッ! ウァアッ!」
がさがさ、がさがさ…………
……ぱっ!
「えっ……!」
セフィリアはエメラルドの瞳を見ひらいた。
リッキーの枝に、花が咲いたからだ。
「ンムム……ウゥウッ!」
さらにリッキーが枝を揺らし続け、ふくらんだ蕾が、ぱぱぱっ! と次々に花を咲かせる。
淡いピンクのちいさな花が、またたく間に満開に。
「りんごの花……」
いじらしいその花は、桜にも似ている。
「花の、気配……」
セフィリアの胸がざわつく。
「そうよ、私には『花』があるわ……!」
感じる。花の吐息を。
感じる。花の生命を。
そうだ、なにも迷う必要などなかった。
おのれにしかできないことが、ある。
セフィリアはまぶたを閉じ、指先でそっと花にふれる。
すぅ……
深く呼吸したなら、すべきことはわかっていた。
からだが、
「──
この場に満ちた花の力をその手にあつめ、いざ。
「瘴気滅却──『
……ふわり。
セフィリアが両手をかざした刹那、そよ風が吹き抜ける。
淡い花々が光を放ち、ほのかに甘い香りで満たされる。
ひらひら、はらはら。
舞い落ちた花びらが、ユリエンのほほにふれた瞬間、ぱっと光の粒子になってはじけ。
……キィ! キキィ!
黒い羽根を生やしたちいさな影が、ユリエンのそばから一目散に逃げ出すさまを、セフィリアはしかと捉えた。
青ざめたユリエンのほほに、ほのかに赤みがさす。
それを見届けたセフィリアは、ほっと安堵する。
「……『
やればできるものね、と薄い笑みがこぼれ。
直後、セフィリアは糸が切れたように、その場にくずれ落ちた。