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第69話 手は出さないで

「私とお話をしましょう、ヘラ」


 ユリエンのまなざしを受け、ヘラはくすりと笑みをもらした。


「お話ですって? どのような?」

「とぼけるな。貴様がセフィリアお嬢さまの紅茶に毒を混入させたことについて、すでに証拠はあがっている」


 厳しく瞳を細めたジェイドが一歩、前へ出る。

 ノクターとユリエンを背にかばうかたちである。


「あれは、新人のメイドによる犯行のはずでは?」


 ヘラはあくまで、否認するつもりのようだ。


「それについては、僕が説明しようか」


 ジェイドについで、今度はノクターが口をひらく。


「リアが倒れたという知らせを受けて、僕はすぐに血液を採取してもらうよう、ジェイドにおねがいしていたんだ。なんの毒か調べなければ、治療もできないからね」


 ノクターの言葉はすらすらと流暢で、確信を得たものだった。

 ひやり。ヘラのこめかみに汗が流れる。


「でも、送ってもらった血液サンプルを急いで解析したら、おかしなことになって。血中に毒性反応が見られなかったんだよね」


 人体に影響をおよぼすほどの毒が、一夜とたたず代謝されるなど不可能だ。


「不思議だよね。毒そのものがきれいサッパリ消え去ったみたいだ。まるで、証拠を残すまいとするかのように」


 そこで言葉を切ったノクターは、凪いだエメラルドのまなざしをヘラへ向ける。


「証拠がない。だ」

「っ……!」

「状況証拠しか得られない中で、ほかのひとに無実の罪を着せるつもりだったんだろうけど、残念だったね。僕が原因物質がなにかもわからないのに、事件をあやふやなまま終わらせるやつだと思う?」


 ノクターは現場で治療を行う医療者であると同時に、医療の発展に力を尽くす研究者でもある。

 原因がわからないならば、なにがなんでも究明する。

 そうした彼の貪欲な一面を、事件の真犯人は──ヘラは失念していたのだ。

 それこそが、彼女のおかした最大のミス。


「これまでの状況を整理して、僕はこう推測したんだ。リアの紅茶に入れられたのは毒のようであって毒ではない、魔力性物質なんじゃないかってね。たとえばそう、妖精ニンフの鱗粉だとか」

「──ッ!」


 とたん、ヘラの顔色が変わった。

 それを、ノクターは見逃さない。


 植物や化学的に調合された毒物であれば、すぐには代謝されず、かならず血中に残留する。

 そうでないとなれば、第一に魔力性物質の存在が挙げられる。

 モンスターなど人外生物から得られるそれは、魔力に影響をおよぼすもの。


妖精ニンフにもさまざまな種族がある。その中でも、今回の犯行に使用したのは黒妖精インプの鱗粉。そうだろう?」


 ちいさな悪魔とも称される黒妖精インプの鱗粉は、あびてしまうと魔力を吸収される。


「つまりリアが倒れた原因は、黒妖精インプの鱗粉による魔力枯渇」


 魔力は生命力と同義だ。

 それでいて、通常の生体活動とはまったく異なる代謝機序をもつ。

 あっという間に魔力を奪ったあとは、きれいサッパリその存在を消してしまうのだ。それこそ、魔法のように。


「たしか、きみの家門の領地では、黒妖精インプの大量発生が報告されていたよね、ヘラ」

「……」


 カラスが宝石を好むように、彼らはきらびやかなものに目がない。

 公爵家のメイド長をつとめるヘラほどの財力をもってすれば、手懐けることは簡単だったろう。


「だけど、ここまでだ。リアには光の精霊ウィスプの加護を受けた妖精ニンフの鱗粉を処方した。阻害されていた魔力生成機能は正常にもどるはずだ」


 沈黙を貫くヘラだが、その手には硝子の小瓶がにぎられている。黒ずんだ粉のようなものが入っている小瓶だ。

 あれこそが、黒妖精インプの鱗粉。その残りのすべてをセフィリアにぶちまけようとしていたのだ。

 そうなれば、数日寝込む程度では済まされない。急激な魔力枯渇は、生命を危険にさらす。


「きみは、けっして許されない過ちをおかした。……リアが、なにをしたっていうんだ……」


 愛する娘の命が脅かされた。

 ノクターは抑えきれない怒りで、こぶしをふるわせる。


「なにも。けれど、このアーレン公爵家に生まれた。それだけで理由として事足ります」

「ヘラ……!」

「あなた」


 もはや言い逃れはできないと観念したのか。ヘラも開き直ったようだ。

 あまりに身勝手な物言いに詰め寄ろうとしたノクターを、ユリエンが制する。

 夫を押しとどめたユリエンは、静かなまなざしで、ヘラへ向き直る。


「ヘラ、あなたが私のことをよく思っていなかったことは知っています。笑顔でお茶会にまねいてくださった裏で、お菓子になにを入れていたのかも」

「あら、気づいていらしたの?」


 黒妖精インプの鱗粉を紅茶に混入させるヘラは、手慣れたものだった。

 今回がはじめてではない。それが示すことはつまり。


「じっくりと、時間をかけて苦しめてあげようとは思ったけれど、あなたってばいつまでたっても死なないんだもの!」

「貴様……!」

「ジェイド」

「ですが、奥さま!」

「私のために怒ってくれて、ありがとうございます」


 たまらずジェイドが剣の柄に手をかけるが、それすらもユリエンは制止する。


 ──手は出さないで、と。


 言外の命令に、ジェイドは引き下がらざるを得ない。


「……長年黒妖精インプの鱗粉を摂取した私のからだは、もうまともに魔力を生み出すことができなくなっています。リアのように中和剤を服用したところで、どうにもならないでしょう」

「そうよ。どうあがいたってあなたは死ぬのです。死を前にしたいまの気持ちはどうですか、ユリエン・アーレン!」


 ──ユリエンが病弱であったのは、仕組まれたこと。

 病死に見せかけ殺害しようとした、ヘラの罠だったのだ。


 衝撃的な事実を知ってなお、ユリエンは取り乱しはしない。

 物悲しそうに、アクアマリンの瞳を伏せるだけだ。


「……あなたのお母さまが原因であなたたち家族が家門から除名され、遠い領地に追いやられたことは、あなたのせいではありません」

「いきなりなにを言い出すの!」


 ヘラの顔が、怒りによって一瞬で上気する。

 無理もない。『それ』こそ、彼女がかかえているコンプレックスそのものであることを、ユリエンは知っていた。


 ヘラの母は、男性関係について社交界でもうわさになる女性だった。

 高級娼館で男娼相手に豪遊し、多額の負債をかかえてしまう。

 その責任を問われ、家門から追い出された末に、辺境の地で貧しい暮らしを強いられる羽目になった。それが、ヘラの幼いころの境遇。


「みじめな私を間近でながめて、さぞ愉快だったのでしょうね!?」

「なによそれ。ただの逆恨み、被害妄想じゃない!」

「なっ……」


 ユリエンの思考が、一瞬停止する。

 なぜなら、この場で耳にするはずのない声が響きわたったから。


「あなた、とんだひねくれ者ですね! 救いようがないわ! こうなったら……むぎゅっ」

「はーいお嬢さま、ちょっとおしとやかにしましょう。いまの絶対出てくるタイミングじゃなかったですよー」


 信じられない。だがユリエンの見間違いではなかった。

 興奮したようにずんずんとやってきたセフィリアも、その口をふさいで物理的になだめていたカイルも。


「おいカイル! どういうつもりだ!」

「お叱りはあとで受けますから、いま優先すべきことをしましょうよ、団長」

「この小僧が……!」

「すいませんね、お嬢さまLoveなもんで。上目遣いでおねだりされたら断れないんですよ」


 カイルはそうおどけてみせるが、目はちっとも笑っていない。

 じたばたともがくセフィリアを引き戻して、背にかばう。

 状況をじゅうぶんに理解しているようだ。


「リア、からだは大丈夫なの!?」

「んーっ、ぷはっ! ご心配なく! お母さまこそ、ご無事で安心しました。それとお父さま、あとで折り入ったお話がありますので、覚悟してください!」

「わぁ、心当たりしかないぞぉ……」


 まさかのセフィリア登場に、ユリエン、ノクターも度肝を抜かれたようだ。

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