「私とお話をしましょう、ヘラ」
ユリエンのまなざしを受け、ヘラはくすりと笑みをもらした。
「お話ですって? どのような?」
「とぼけるな。貴様がセフィリアお嬢さまの紅茶に毒を混入させたことについて、すでに証拠はあがっている」
厳しく瞳を細めたジェイドが一歩、前へ出る。
ノクターとユリエンを背にかばうかたちである。
「あれは、新人のメイドによる犯行のはずでは?」
ヘラはあくまで、否認するつもりのようだ。
「それについては、僕が説明しようか」
ジェイドについで、今度はノクターが口をひらく。
「リアが倒れたという知らせを受けて、僕はすぐに血液を採取してもらうよう、ジェイドにおねがいしていたんだ。なんの毒か調べなければ、治療もできないからね」
ノクターの言葉はすらすらと流暢で、確信を得たものだった。
ひやり。ヘラのこめかみに汗が流れる。
「でも、送ってもらった血液サンプルを急いで解析したら、おかしなことになって。血中に毒性反応が見られなかったんだよね」
人体に影響をおよぼすほどの毒が、一夜とたたず代謝されるなど不可能だ。
「不思議だよね。毒そのものがきれいサッパリ消え去ったみたいだ。まるで、証拠を残すまいとするかのように」
そこで言葉を切ったノクターは、凪いだエメラルドのまなざしをヘラへ向ける。
「証拠がない。
「っ……!」
「状況証拠しか得られない中で、ほかのひとに無実の罪を着せるつもりだったんだろうけど、残念だったね。僕が原因物質がなにかもわからないのに、事件をあやふやなまま終わらせるやつだと思う?」
ノクターは現場で治療を行う医療者であると同時に、医療の発展に力を尽くす研究者でもある。
原因がわからないならば、なにがなんでも究明する。
そうした彼の貪欲な一面を、事件の真犯人は──ヘラは失念していたのだ。
それこそが、彼女のおかした最大のミス。
「これまでの状況を整理して、僕はこう推測したんだ。リアの紅茶に入れられたのは毒のようであって毒ではない、魔力性物質なんじゃないかってね。たとえばそう、
「──ッ!」
とたん、ヘラの顔色が変わった。
それを、ノクターは見逃さない。
植物や化学的に調合された毒物であれば、すぐには代謝されず、かならず血中に残留する。
そうでないとなれば、第一に魔力性物質の存在が挙げられる。
モンスターなど人外生物から得られるそれは、魔力に影響をおよぼすもの。
「
ちいさな悪魔とも称される
「つまりリアが倒れた原因は、
魔力は生命力と同義だ。
それでいて、通常の生体活動とはまったく異なる代謝機序をもつ。
あっという間に魔力を奪ったあとは、きれいサッパリその存在を消してしまうのだ。それこそ、魔法のように。
「たしか、きみの家門の領地では、
「……」
カラスが宝石を好むように、彼らはきらびやかなものに目がない。
公爵家のメイド長をつとめるヘラほどの財力をもってすれば、手懐けることは簡単だったろう。
「だけど、ここまでだ。リアには光の精霊ウィスプの加護を受けた
沈黙を貫くヘラだが、その手には硝子の小瓶がにぎられている。黒ずんだ粉のようなものが入っている小瓶だ。
あれこそが、
そうなれば、数日寝込む程度では済まされない。急激な魔力枯渇は、生命を危険にさらす。
「きみは、けっして許されない過ちをおかした。……リアが、なにをしたっていうんだ……」
愛する娘の命が脅かされた。
ノクターは抑えきれない怒りで、こぶしをふるわせる。
「なにも。けれど、このアーレン公爵家に生まれた。それだけで理由として事足ります」
「ヘラ……!」
「あなた」
もはや言い逃れはできないと観念したのか。ヘラも開き直ったようだ。
あまりに身勝手な物言いに詰め寄ろうとしたノクターを、ユリエンが制する。
夫を押しとどめたユリエンは、静かなまなざしで、ヘラへ向き直る。
「ヘラ、あなたが私のことをよく思っていなかったことは知っています。笑顔でお茶会にまねいてくださった裏で、お菓子になにを入れていたのかも」
「あら、気づいていらしたの?」
今回がはじめてではない。それが示すことはつまり。
「じっくりと、時間をかけて苦しめてあげようとは思ったけれど、あなたってばいつまでたっても死なないんだもの!」
「貴様……!」
「ジェイド」
「ですが、奥さま!」
「私のために怒ってくれて、ありがとうございます」
たまらずジェイドが剣の柄に手をかけるが、それすらもユリエンは制止する。
──手は出さないで、と。
言外の命令に、ジェイドは引き下がらざるを得ない。
「……長年
「そうよ。どうあがいたってあなたは死ぬのです。死を前にしたいまの気持ちはどうですか、ユリエン・アーレン!」
──ユリエンが病弱であったのは、仕組まれたこと。
病死に見せかけ殺害しようとした、ヘラの罠だったのだ。
衝撃的な事実を知ってなお、ユリエンは取り乱しはしない。
物悲しそうに、アクアマリンの瞳を伏せるだけだ。
「……あなたのお母さまが原因であなたたち家族が家門から除名され、遠い領地に追いやられたことは、あなたのせいではありません」
「いきなりなにを言い出すの!」
ヘラの顔が、怒りによって一瞬で上気する。
無理もない。『それ』こそ、彼女がかかえているコンプレックスそのものであることを、ユリエンは知っていた。
ヘラの母は、男性関係について社交界でもうわさになる女性だった。
高級娼館で男娼相手に豪遊し、多額の負債をかかえてしまう。
その責任を問われ、家門から追い出された末に、辺境の地で貧しい暮らしを強いられる羽目になった。それが、ヘラの幼いころの境遇。
「みじめな私を間近でながめて、さぞ愉快だったのでしょうね!?」
「なによそれ。ただの逆恨み、被害妄想じゃない!」
「なっ……」
ユリエンの思考が、一瞬停止する。
なぜなら、この場で耳にするはずのない声が響きわたったから。
「あなた、とんだひねくれ者ですね! 救いようがないわ! こうなったら……むぎゅっ」
「はーいお嬢さま、ちょっとおしとやかにしましょう。いまの絶対出てくるタイミングじゃなかったですよー」
信じられない。だがユリエンの見間違いではなかった。
興奮したようにずんずんとやってきたセフィリアも、その口をふさいで物理的になだめていたカイルも。
「おいカイル! どういうつもりだ!」
「お叱りはあとで受けますから、いま優先すべきことをしましょうよ、団長」
「この小僧が……!」
「すいませんね、お嬢さまLoveなもんで。上目遣いでおねだりされたら断れないんですよ」
カイルはそうおどけてみせるが、目はちっとも笑っていない。
じたばたともがくセフィリアを引き戻して、背にかばう。
状況をじゅうぶんに理解しているようだ。
「リア、からだは大丈夫なの!?」
「んーっ、ぷはっ! ご心配なく! お母さまこそ、ご無事で安心しました。それとお父さま、あとで折り入ったお話がありますので、覚悟してください!」
「わぁ、心当たりしかないぞぉ……」
まさかのセフィリア登場に、ユリエン、ノクターも度肝を抜かれたようだ。