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第68話 叶えてくれますよね?

 まだ朝日も顔を出さない未明のこと。

 ほかに人影のない薄暗い屋敷内で、ヘラはとある部屋の前にたたずんでいた。


 ……カチリ。


 閉ざされた扉は、ヘラがふところから取り出した鍵によって解錠される。

 ヘラはすぐさまドアノブに手をかけ、扉のすきまから室内へからだを滑り込ませた。

 一直線に向かう先は、白いレースの天蓋付きベッド。


「お嬢さま、おはようございます」


 抑揚のない声で、ヘラは発声する。

 ベッドに横たわるちいさな影が身じろぐことはない。深く寝入っているようだ。

 相手がだれだろうと知ったことか。所詮はこどもだ。


「お嬢さま、さぁお目覚めになって。そうでないと後悔されますわよ?」


 コツコツ。

 大理石の床でわざと靴音を立てるようにしてベッドへ向かいながら、ヘラの口もとに笑みがこぼれた。

 あぁ。やっとこのときがきた……と。


「おはようございます、親愛なるお嬢さま。そして──どうぞ、安らかに」


 歪んだ笑みを浮かべたヘラが、無遠慮にシーツのふくらみへ手をかける。そして。


 ばさ……


「…………な」


 引き剥がすようにシーツを投げ捨てたヘラは、絶句した。

 なぜなら、ベッドに横たわっていたのはセフィリアではない。少女のすがたをした、人形だったから。


「なんですって、どういうこと……っ!」

「──そこまでよ」

「っ!?」


 反射的にふり返るヘラ。

 背後には、信じられない光景がひろがっていた。


「いつの間に……っ!」


 部屋の入り口には、ユリエン、そしてノクターのすがたが。さらにふたりの背後には、帯剣したジェイドがひかえている。


「リアは、別室に避難させているよ。最近は物騒みたいだからね」

「旦那さま、これは……」

「隠さなくてもいい。きみがなにをしようとしていたのか、僕らはもう知っている。すべて、ね」


 ノクターの口調は穏やかなものだが、有無を言わせない迫力がある。

 ぐ、と口ごもるヘラを前に、ユリエンは静かにまぶたを閉じた。


「私がもうすこし早く行動していれば、こんなことにはならなかったかもしれないのでしょうね……」


 どこか物悲しさを漂わせながらつぶやいたユリエンは、やがてまぶたを上げる。


「私とお話をしましょう。ヘラ」


 アクアマリンの瞳に、相手をしかと捉えて。



  *  *  *



「……るじ……あるじ!」


 からだを揺さぶられる感覚で、セフィリアははっと目を覚ました。


「……わたあめちゃん?」

「気がついたか、あるじ!」


 真っ先に視界に入ったわたあめが、短い前足でペタペタとほほをさわってきたかと思えば、ほっとしたようにぐりぐりと鼻先をこすりつけてくる。


「えっと、ここは……?」


 まだ頭がぼんやりしている。

 セフィリアがゆっくりと視線をめぐらせると、どうやらベッドに寝かされていることがわかった。

 ただし、見慣れた私室の天蓋付きベッドではない。部屋も、木製のテーブルに椅子、クローゼット、鏡と、必要最低限のものがそろえられた見知らぬ部屋だ。


「俺の部屋です。ちょっと手狭ですいませんね」

「カイルさん……?」


 首をかしげながら身を起こしたところで、セフィリアはベッド脇にカイルがたたずんでいることに気づいた。


「私、お父さまとお茶をしていて……そうだわ! お父さ……きゃっ!」

「おっと」


 ベッドからおりようとしたセフィリアだが、思うように手足が動かない。

 足をもつれさせてしまい、大きく体勢をくずしたところを、カイルに抱きとめられた。


「急に動いたらダメですって。まだ魔法薬の効果が残ってるんですから」

「魔法薬……」

「そうです。先に白状させてもらいますと、マカロンにまぶしてあった妖精ニンフの鱗粉、アレです。旦那さまによると、強い催眠効果があるそうで」


 カイルに支えられてベッドを腰かけたセフィリアは、唇を噛んだ。


「……お父さまとグルだったんですね。この様子ですと、お菓子を作ったディックさんもですか」

「否定はしません。けど、料理長のことは多目に見てあげてくれませんか。『お嬢さまのスイーツに薬を盛るなんて!』って発狂してましたから」


 新作スイーツのおひろめだというのにディックのすがたがなかったのは、そういう事情があったためなのだろう。

 妖精ニンフの鱗粉を用意したのはノクターだ。主人であるノクターに話を持ちかけられたなら、ディックに断るすべはない。彼も葛藤したことだろう。


「状況は把握しました」


 カイルに詰め寄りたいのは山々だが、まずは冷静になるべきだ。

 セフィリアは深呼吸し、エメラルドの瞳でじっとカイルを見つめた。


「お父さまに、なんて言われたんですか?」

「『僕らがすべて解決するから、リアをよろしくね』と。そういうわけで、ちょっとのあいだだけ、ここでおとなしくしててくださいね。お嬢さまを物置きに閉じ込めるわけにもいかないですし、それでいてメイドが入らない部屋といったら、ここくらいしかないので」

「はぁ……」


 これにはセフィリアも頭をかかえ、ため息をおさえられない。

 ノクターたちも本当はじぶんたちの部屋に娘を匿いたかったのだろうが、それができなかった。


「毒殺未遂事件の真犯人がヘラだと知っていたから、ですか。では、お母さまもこのことを?」

「はい、ごぞんじでいらっしゃいます」


 セフィリアの問いを、カイルはいとも簡単に肯定してみせた。


「巧妙に犯行を隠していたヘラですが、お嬢さまのねらいどおり、かなり焦っているようです。行動を起こすとすれば、本日早朝。そこを一網打尽にするとのことです」

「……お父さまとお母さまが、直々に出向いて?」

「団長も同行しています。ヘラも言い逃れはできないでしょう」


 だから、おとなしくしていろと。

 そう言われたところで、はいそうですかと納得するセフィリアではない。


「私だってヘラに喧嘩を売られてるんです。指をくわえて待っていろっていうんですか」

「お嬢さま、わかってくださいよ。これもお嬢さまを危険な目に遭わせたくないっていうご両親のご意向なんです」

「わがままだってわかってます! だけど! こんなところでじっとしていられません! ヘラはお母さまに殺意をいだいてるんですよ!」


 ユリエンと顔を合わせたとき、一瞬だけ黒に変化したヘラの『好感度ゲージ』……あれが見間違いでなかったことは、もう疑いようのない事実だ。


(黒いハートの『好感度ゲージ』は、なにかよからぬことが起きる前ぶれ……)


 それこそ、死を覚悟するような。

 愛する家族が命の危機にさらされているとわかっていて、セフィリアは気が気でない。


「カイルよ、あるじを解放するのだ。さもなくば後悔をするぞ」


 歯がゆさからこぶしをにぎりしめるセフィリアに、助け舟があった。わたあめだ。


「白もふはお嬢さまの味方か。かわいい顔して脅迫かい」

「そちもあるじの味方であろう」

「そりゃあ、俺だってお嬢さまを助けたいんだって」

「ならばこのやり取りがたがいに無益であると、わかるはずだ」

「私のことを一番よく知っているカイルさんなら、私のおねがい、叶えてくれますよね?」


 ぱちり。

 ブルーの瞳と目が合う。

 険しいまなざしを向けられたが、セフィリアを目を逸らさなかった。


「……はぁあ。まぁ、お嬢さまならそう言うと思ってましたけど」


 ガシガシと頭を掻き回すカイル。それは事実上の降参だ。


「奥さまや旦那さまは、お嬢さまに危険がおよばないかたちで事件を解決することを望まれています。それを知った上で、お嬢さまは行かれるわけですね?」

「もちろんです」

「わかりました」


 セフィリアの予想に反して、カイルはあっさりと了承する。


「いいんですか、カイルさん!」

「いいもなにも、ひとまず旦那さまの言いつけどおりにしましたけど、もともと俺はお嬢さまが目を覚ましてから意見を聞くつもりでしたし」

「それじゃあ……!」

「はい、われらがセフィリアお嬢さまのお望みとあらば、お供しますよ。無理やり閉じ込めて、脱走されるよりマシですからね」


 あくまでカイルは、セフィリアの意思を問うている。

 はじめから、セフィリアを尊重するつもりだったのだ。


「ありがとうございます……さすがカイルさんです!」

「はは、もっと褒めてくれていいですよ。なんならご褒美を所望します」

「ご、ご褒美……?」

「ほら、俺っていろんなところに板挟みで苦労してるじゃないですか。これけっこうしんどいんですよ」

「それはまぁ……心中お察しします」

「なので、癒やしが必要だと思うんですよね。お嬢さまからのハグとか。あ、キスでもいいですよ?」

「ふぇっ?」

「事件が無事解決したら、お嬢さまとのハグまたはキスを1日1回義務化ということで、ここはひとつ」

「1回で終わらないんですか!?」

「当たり前じゃないですか〜、俺毎日苦労してんですからね〜?」

「うっ……」


 それを言われるとめっぽう弱いセフィリアである。


「ちゃっかりしておるの……」


 セフィリアの味方だったわたあめも、カイルの通常運転に遠い目をしていた。


「さーてお嬢さま、いっしょにワルイことしますか。おやつ抜きにされるくらいのお叱りだといいですねー」

「そうですね……」


 みじんも不安はなさそうなカイルに手を引かれ、セフィリアは彼の部屋をあとにする。

 この先どう転んでも、カイルの思いどおりになるのだろう。


(カイルさん、策士だわ……)


 なんだか急に不安になってきたのは、セフィリアだけの秘密だ。

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