「あーいたいた! お嬢さまー!」
聞き慣れた声がして、セフィリアはふり返る。
陽気な声の主は、もちろんカイル。ワゴンを押しながら、軽快にセフィリアたちのもとへやってくる。
「はーい、お待ちかねのアフタヌーンティーセットです。紅茶をお淹れしますね」
「まぁ、ありがとうございます。いい香り……あら?」
慣れた手つきでティーポットから紅茶を注ぐカイル。そこでふと、セフィリアはテーブルに用意された『あるもの』に気づき、目を丸くした。
「こちらのマカロン、いつもとちがいますね?」
「そうそう、料理長の新作だそうです! キラキラしてて、きれいですよねー」
セフィリアの目にとまったのは、マカロンだ。
ディックのマカロンといえば、季節のフルーツを使い、パステルカラーのピンクやイエロー、グリーンなど、淡い色合いをしたものが多い。
ところが新作だというマカロンは、原色に近い鮮やかな色合いで、ラメのようなものが散りばめられている。
「む? これは……」
テーブル上に飛び乗ってきたわたあめが、くんくん、とマカロンを嗅ぎ、いぶかしげにルビーの瞳を細めた。
「こらこら、これはお嬢さまの! つまみ食いしちゃダ・メ!」
「むぐっ……」
すかさずカイルがわたあめの首根っこをつかんで、マカロンから引きはがす。
(わたあめちゃん、そんなに食いしんぼうでもないはずなんだけど、どうしたのかしら……?)
なにか物言いたそうに短い手足をじたばたと動かすわたあめだが、カイルに口をふさがれ、羽交い締めにされている。
カイルの浮かべた満面の笑みの理由が、気になるところだ。
「このマカロンは、僕がディックにお願いして作ってもらったものなんだよ。『魔法の粉』を使った特別製だ」
「『魔法の粉』……ですか?」
「そうさ。遠征先の森で仲良くなった
セフィリアはもう一度、マカロンをまじまじとのぞき込んだ。
ラメのようにキラキラとした粉は、
「物珍しいかい?
回復魔法に長けたノクターが言うのなら、そうなのだろう。
なにより、見た目が宝石のようにきらびやかなスイーツは、セフィリアの乙女心をくすぐる。
ノクターは愛娘を喜ばせたくて、このようなサプライズをしたのかもしれない。
「お気遣いありがとうございます、お父さま。いただきますね」
ノクターやカイルからにこやかに見守られる中、セフィリアはマカロンをひとつ手に取る。真っ赤なルビーレッドのマカロンだ。
さくり。
ひとくち食べると、セフィリアの口内に甘酸っぱいストロベリーの風味がひろがる。
クリームも濃厚な味だったが、表面にまぶされた
「どうだい?」
「とっても、おいしいです……!」
「それはよかった」
エメラルドの瞳を輝かせるセフィリアを、ノクターも頬杖をついて満足げにながめている。
「お父さまは召し上がらないのですか?」
「うん、いっぱい食べてるリアを見てたら、胸がいっぱいになっちゃって」
「そーですねぇ、俺もいっぱい食べてるお嬢さまが好きです!」
なぜかノクターとカイルがやたらとにこやかだが、『いっぱい食べて大きくなぁれ』という意味なのだろうか。
注目されるのは気恥ずかしいものの、目の前においしいスイーツがある誘惑には逆らえない。
これまた濃い紫をしたブルーベリーのマカロンを食べ、カイルの淹れた紅茶を飲んだところで、セフィリアはふぅ……とひと息ついた。
すると腹が満たされたためだろうか。頭がぽやぽやしてきて、眠気がやってくる。
「おやおや。お昼寝の時間かな、リトル・レディー?」
「大丈夫、です……おきて、ます……」
そうと返す言葉は舌足らずで、セフィリア自身も吹けば飛ばされそうな風船のように意識が危うい。
くすくすと笑っていたノクターが、おもむろに席を立ち、セフィリアのもとへ歩み寄る。
「僕のかわいいリア。なにをそんなにがんばっているの?」
腰をかがめ、セフィリアをのぞき込んだノクターの声は穏やかなもので。
陽だまりに包まれたようなあたたかい心地に安心しきったセフィリアは、ぽろりと言葉をこぼす。
「だって、だって……」
「だって?」
「おかあさまが、いじめられる……わたしが、たすけ、なきゃ……」
さぁっ……
そよ風が吹き抜け、木漏れ陽を揺らす。
静まり返った温室に、セフィリアの寝息だけが聞こえて。
「そっか。かわいいリアのねがいは、叶えてあげないとね」
セフィリアの頭をするりとなでたのち、腰を上げたノクターは、カイルへ目配せをする。
カイルはうなずき、寝入ったセフィリアを椅子から抱き上げた。
「あるじっ……やはり菓子になにか盛ったな、父上殿!」
カイルの拘束がなくなったわたあめが、すぐさまセフィリアの肩に飛び乗り、ほほに鼻先をこすりつけて容態を確認する。
「わたあめは鼻がいいんだねぇ。安心して、
そこまで言って、ノクターは困ったように眉を下げる。
「まぁ、リアの目がさめたら、しばらくは口を聞いてくれなくなるかな……」
要するにノクターは、セフィリアがなにをしようとしているのか聞き出すために、このような手段を取ったのだ。強引な手を使った自覚はあるらしい。
「きみにも損な役回りさせちゃったね、カイル」
「いえ。俺には、お嬢さまの安全を確保する義務がありますので」
ノクターへ言葉を返すカイルに、ふだんのおちゃらけた様子はない。
セフィリアのためならどんな手段でも取るという、強い意志があるだけ。
「そういうことだから──きみもいいよね? ユリエン」
ノクターがふり返ると、そこにはユリエンのすがたがある。
いつものほほ笑みをひそめたノクター同様、ユリエンも真剣なまなざしでしゃんと背を伸ばし、たたずんでいる。
「はい、あなた。……リアのことをよろしくお願いしますね、カイル」
「かしこまりました。セフィリアお嬢さまは、俺がお守りいたします」
ユリエンの言葉を受け、カイルが深々と頭を垂れる。セフィリアを抱く腕には、自然と力が入っていた。
「ジェイド・リーヴス」
「はっ」
凛としたユリエンに、気配を殺して後ろにひかえていたジェイドが応える。
「──最後の闘いを、はじめましょう」
「わが主の、おおせのままに」
音もなく、木もれ陽の揺れる昼下がり。
少女の知らぬ場所で、運命の歯車が回りはじめていた。