「そうそうカイル、たのみたいことがあるんだけどいいかな?」
屋敷へと戻る道中、ばったりと遭遇したノクターがカイルへ声をかける。
「リアとお茶をしようと思って、さっきディックにアフタヌーンティーの用意をお願いしたんだ。急だったしひとりで大変そうだから、彼を手伝ってあげてほしいな」
ノクターのほほ笑みを受け、カイルは腕に抱いたセフィリアをちらりと見た。
「かしこまりました、旦那さま」
ノクターにそう言われてしまえば、カイルもうなずくほかない。
(やった……助かったわ!)
これでカイルから解放される。
そう歓喜したセフィリアだが──
「それじゃあいいこで待っててくださいね、お嬢さま?」
「んっ……?」
にっこりと、カイルが笑った。
あれ、と違和感をおぼえても、もう遅い。
「それでは、行ってまいります」
「うん、よろしくね」
さすがにそろそろおろしてくれるだろう。
そんなセフィリアの予想に反して、カイルは腕に抱いたセフィリアをノクターに預けたのだ。
ふたたび地面を踏みしめることは叶わず、セフィリアはぽかんとあっけにとられた。
「はは、カイルには甘えたさんなんだね」
カイルがいなくなると、ノクターがふにゃりと破顔し、セフィリアへほおずりをしてくる。
「パパにももっと甘えていいんだからね?」
「あのっ、お父さま……」
「さぁ、パパとおさんぽに行こうか。かわいいかわいい僕のリア」
「えっと……」
おろして、とこの状況で言えるはずもなく。
ご満悦なノクターに抱きあげられたセフィリアは、されるがまま、昼下がりのおさんぽへとくり出すことになったのだった。
* * *
庭園にある噴水広場。
そこからさらにツル薔薇のアーチをくぐり、奥へ奥へと進むと、温室が見えてくる。
「リアはここで遊ぶのが大好きだったよね」
「はい、お父さま」
正直のところ、前世の記憶を取り戻したあの日以前のことを、セフィリアはおぼえていない。
だがノクターが言うならそうなのだろうと、セフィリアは笑ってうなずいてみせた。
(すごく広い温室ね……森のなかにいるみたい)
見渡す限りの緑、緑、緑。
ともすれば迷子になってしまう景色だが、セフィリアを抱いたノクターの足取りに迷いはない。
「たしか、このあたりだったよね。……あぁ、あそこだ」
ノクターがなにやら指さしている。が、そこにはなんの変哲もない木々があるばかりで、セフィリアは首をかしげる。
「……ウゥ……」
そんなとき、セフィリアの耳に届くものがあった。
(ひと、じゃない……なにかの、鳴き声……?)
うめくような物悲しい鳴き声が、どこからか聞こえてくる。
「ほらこっちだよ、見てごらん、リア」
ノクターはそう言って、おもむろにセフィリアを地面へおろした。
すると、ちょうど目の前に植木鉢があった。セフィリアが抱えられるくらいのちいさな植木鉢がひとつ、道端にぽつんと置かれている。
(どうしてここにだけ、植木鉢が……?)
まじまじとセフィリアが植木鉢をのぞき込んだ、その直後だ。
「ウゥウッ!」
「きゃっ……!」
植木鉢が、動いた。
おどろき、飛び上がってしまったセフィリアだが、落ち着いて目をこらしてみる。
厳密には植木鉢ではなく、そこに植えられた植物が動いたのだということに気づく。
「ははっ、ひさしぶりだねぇ、リッキー」
ノクターが親しげに話しかけていたのは、木のすがたをしたモンスターだった。
植木鉢サイズのため、それほど大きくはない。
幹の部分にくぼみのような目がふたつ並んでいて、セフィリアとちょうど同じ目線だ。
「リアのお友だち、リッキーだよ」
「あ……」
リッキー。
その名前を聞いたセフィリアの脳裏に、徐々に思い出される記憶がある。
樹木型のモンスター、トレント。
そのうち
(そうだわ。たしかリッキーは……
赤ん坊がすくすく育つようにと願いを込めて、ポット・トレントを植える。
ルミエ王国では一般的な風習だ。
「リッキー……」
「ウァア!」
うわごとのようなセフィリアの声に、ぴょこんと反応するリッキー。
先ほどまでしおれたようにうなだれていたのがうそのように、ゆらゆらとうれしそうに揺れている。
「ウ! ンゥゥ……」
そこでなにか思いついたように、リッキーが左右にのびた枝を揺らしはじめた。
ガサガサと音を立てたのち、生い茂った葉っぱのすきまから、ころんとりんごが転がり落ちた。
つやつやとした、真っ赤なりんごだ。
「リアにプレゼントだって。ひさしぶりに会えて、リッキーもうれしかったみたいだね」
ポット・トレントは仲良くなると、その身に成った果実をプレゼントするという。
(さっきの悲しそうな鳴き声って、私に会えなかったから……? 私に会いたいって、思ってくれてたんだ)
毒殺未遂事件以降、じぶんのことでせいいっぱいだった。
生まれたときからいっしょにいるリッキーにさびしい思いをさせていたのだと知り、セフィリアは胸がじんと熱くなった。
「遊びに来れなくてごめんね、リッキー……プレゼント、すごくうれしいわ。ありがとう」
「ンフフ……」
りんごを拾い、セフィリアが笑いかけると、リッキーも枝を揺らして応える。
人懐っこい様子がたまらなく愛おしくて、気づけばセフィリアは、リッキーの植木鉢を抱えあげていた。
「お父さま、リッキーといっしょにおさんぽしたいです!」
ほほ笑ましげに見守っていたノクターは、愛娘からの『おねがい』に、まぶしい笑みを返すのだった。
「もちろんだとも!」
春の木漏れ陽のようなぬくもりが、セフィリアの胸いっぱいに広がった。