目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第63話 つながった

「それではお嬢さま、あとでお部屋におうかがいしますね」

「はい、お待ちしています」


 ひさしぶりに家族そろっての昼食をすませた後。

 午後からはじまる訓練の準備のため、カイルが一足先にホールを退出した。


(それにしても、リーヴス卿は心がひろいのねぇ)


 刺繍の課題を片付けてから騎士団の訓練を見学する予定だったが、ジェイドから持ち込みの許可がおりた。

 カイルによると「『お嬢さまが俺の視界に入ってるならなんでもいい!』とかなんとか」──だそう。過保護は健在のようだ。

 そういうわけでセフィリアは刺繍道具を手に、カイルとともに訓練場へ向かうことになったのだ。


「──ねぇリア、ちょっといいかしら?」


 カイルを追ってホールを出ようとしたところで、セフィリアは呼びとめられた。

 ふり向くと、そこにはユリエンがいた。

 セフィリアは無意識のうちに、ノクターをさがす。ディックと談笑しているようだ。

 しかし声をひそめてセフィリアを呼びとめたユリエンが、ただ談笑をしにきたとは思えなかった。

 セフィリアはユリエンへ向き直り、こわごわと問う。


「お母さま……? どうかなされましたか?」

「変な質問をするようだけど……リア、悩みごとはありませんか?」

「えぇっ、悩みごとですか? それはどうしてまた?」

「だって、ちょっと前までは『あのケーキが食べたい』『このアクセサリーがほしい』って、いっぱいおねだりしてきたじゃありませんか」

「あぁ……」


 そうだった。『花リア』冒頭では両親にでろでろに甘やかされてわがままに育ったセフィリアが、悪役令嬢として断罪されるシーンからはじまるのだった。


(でも私は例の事件で『前』の記憶を取り戻したし、カイルさんたちの信頼を得るために奔走していたから)


 ちょっと見ないあいだに愛娘の性格が180度変わっていれば、そりゃあユリエンも変なものでも食べたのではないかと心配もする。いや、たしかに紅茶に毒を盛られたが。


(さすがにこどもらしからぬふるまいだったかしら。うーん……でもいまさらこどもぶるのは、無理があるし)


 いろいろと悩んだ末、セフィリアは現状維持を選択した。


「今回の事件で、じぶんの無力を痛感しました。私だってアーレン公爵家の娘。お父さまやお母さまがいないからと、なにもできないままではいたくないのです」

「いえ、私はただ……」

「ご心配くださり、ありがとうございます。もうわがままは言いませんわ。悩みごともありませんので、大丈夫です。それより、長旅でお疲れでしょう? お部屋でお休みに……」

「ちがうんです。そうじゃないのよ、リア……!」

「……え?」


 母想いの娘らしい、満点回答をしたつもりだった。

 それなのにユリエンは、もどかしくてたまらないといった表情でセフィリアの言葉をさえぎる。


「──お嬢さま、セフィリアお嬢さま!」


 だが、ユリエンが言葉を続けることは叶わなかった。

 ふいにセフィリアを呼ぶ声があったがために。


 意識を引き戻されたセフィリアは、わずかに顔をしかめた。忘れたくとも忘れられない声だ。

 すぐに愛想笑いをはりつけたセフィリアは、回廊の向こうからやってきた『彼女』をふり返った。


「まぁ、ごきげんよう、ヘラ。そんなにはりきらなくてもいいのに」


 訳、まだ謹慎中だろうが。なにをしにきた。


 セフィリア渾身の皮肉にぐ、とひるみながらも、ヘラはなおも食い下がろうとする。


「ごきげんよう、お嬢さま。明日からまたお世話をさせていただくのですから、ごあいさつをと──」


 ここまで言って、はっと息をのむヘラ。

 その視線は、ユリエンへ向けられている。


「ずいぶんとおひさしぶりね……ヘラ」


 そしてユリエンも、ヘラへほほ笑みかけているものの、声音がどこか硬い。


「奥さまにごあいさつを申し上げます」


 エプロンドレスのすそをつまみ、深々と頭を垂れたヘラの表情は見えない。


(……えっ……)


 だがセフィリアは、信じられない光景を目にした。

 ヘラの胸もとに浮かんだ青いハートがゆらぎ、黒に変色する光景だ。

 おどろき、もう一度セフィリアがまばたきをするころには、ハートは青色をしていた。


(気のせい……よね? 『好感度ゲージ』は、私に対する好感度しか見ることができないはずだし……)


 それに、黒いハートは邪悪の証。他者を死にいたらしめんとする激情をいだいたときのみ、発現するものだ。

 一度殺意に支配された者は、簡単には戻ってはこれない。


「……お時間をとらせてしまい、申し訳ございません。わたくしはこれにて失礼いたします」


 ヘラは再度頭をさげると、そう言い放ったきり足早に回廊の向こうへ消えていった。


(……さっき、ちらりと見たわよね。お父さまのこと)


 ノクターの存在に気づいていなかったわけではない。だがヘラは公爵家の主人であるノクターに声をかけることはしなかった。


(これは……間違いないわね)


 無言でヘラの消えていった回廊を見つめるユリエンを前に、セフィリアは確信した。


 ──なにかがある。ただならぬ、なにかが。



  *  *  *



 青空がひろがる昼下がり。

 訓練がひと段落ついたころ、セフィリアはカイルに呼ばれた。

 あまり進まなかった刺繍の課題をベンチに置き、カイルのもとへ駆け寄ると、ジェイドのすがたがあった。


「こいつからあらかたの話は聞きました。メイド長のことがお聞きになりたいんですね?」


 セフィリアへ問うジェイドのまなざしは、すくなくない事情を知っている者のそれだ。


「はい。ささいなことでもいいのです、ごぞんじのことを教えていただけませんか」

「われらがセフィリアお嬢さまの、おおせのままに」


 セフィリアとカイル、ふたり分の視線を受けたジェイドは、ひと呼吸を置いて口をひらく。


「まずはじめに、少々口汚くなりますがご容赦を。──あの女は、ヘラは、おそろしい野心家です。そしてアーレン公爵家に20年も仕えている者であれば、奥さまとヘラが険悪な仲であることはみな知っています」

「お母さまと……」

「といっても、あの女が一方的に奥さまを敵視しているだけなんですがね」


 ジェイドの話は事実だろう。

 それならば、先ほどヘラと顔を合わせたとき、ユリエンの表情がこわばったつじつまも合う。


「団長、そもそもなんでヘラは、奥さまを目の仇にしてるんですか」

「ヘラは奥さまの従姉にあたる」

「んなっ……!」

「さらに奥さまは本家の令嬢で、ヘラは傍系の人間。奥さまのほうが4つ年下だが、血すじもよく、おやさしい人柄で多くの人間に慕われていた」

「そんな奥さまと比較されてきた末、世界樹よりもプライドが高く性根のねじ曲がったモンスターが完成したわけか。ひぇ、おっかな」


 ジェイドの話を簡潔にまとめたカイルが、わざとらしく身震いをする。


「お母さまとの関係はわかりました。それで、お父さまと接点はありましたか? 先ほどのヘラの態度を思い返すと、お父さまにもなにか思うところがあるように感じましたが」

「お待ちください。お嬢さま、ヘラに会ったんですか?」

「あっ……」


 そういえば、ヘラと思わぬ遭遇をした一件について話していなかった。


「明日から復帰するからと、あいさつにやってきました。そのときにお母さまと顔を合わせて……お父さまとはお話をしませんでしたが」

「冗談だろ、あのひと。俺がちょっといないあいだに、お嬢さまと奥さまに突撃してたのかよ。油断も隙もないな……」

「まったくだ」


 苦々しげにぼやくカイルにうなずいてみせたジェイドが、セフィリアへ向き直る。


「お嬢さま、ヘラはそのむかし、旦那さまに想いを寄せていたようです」

「あらまぁ……」

「ですが相手が異性かつ既婚者の場合、伴侶の許しがなければ話しかけてはならない。それがわがルミエ王国の法律なのです。もちろん両親や兄弟姉妹などの近しい血縁者や未成年者は除外するなど、この限りではありませんが」


 ユリエンに反感をいだいていたヘラ。

 その上想いを寄せていたノクターがユリエンと結婚したとなれば、彼女のプライドはズタズタに引き裂かれたことだろう。


(それじゃあなに? ヘラがたくらんでいることって、もしかして──)


 ここまできて、セフィリアはひとつの『可能性』を見いだす。

 そして、戦慄した。

 あまりに恐ろしい、その『可能性』に。


「セフィリアお嬢さま。無礼を承知で、お嬢さまの疑問にお答えさせていただきます」


 ジェイドが怖い顔をしている。

 彼がそんな顔をしてしまうのも、無理はない。なぜなら。


「先日の毒殺未遂の件、真犯人はヘラである可能性が高いと思われます。ヘラはあえてお嬢さまをねらったのです。──奥さまを、失脚させるために」


 ──あぁ。

 点と点が、つながった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?