目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第62話 はじめてだわ

 ノクターとユリエンが屋敷に戻ってすぐ。

 セフィリアのすがたは、彼らとともにグレートホールにあった。


(いつも部屋で食事をとっていたから、こうしてだれかと食卓をかこむのははじめてだわ)


 ホールにつくやいなや、「お帰りなさいませ、奥さま、旦那さま」と脱帽したディックがむかえた。


「ひさしぶりだね、ディック。あいかわらず美味しそうな料理だ」

「お褒めにあずかり光栄です。本日のメインディッシュは仔羊とフォアグラのパイつつみ焼き。デザートにりんごのガレットをご用意してございます」


 ほかにもとろとろのオニオングラタンスープに、ほうれん草とサーモンのキッシュ等々、ディックが腕によりをかけて作ったであろう色とりどりの料理が、純白のテーブルクロス上にところ狭しとならべられていた。


「僕たちの好物を用意してくれたんだね。ありがとう」


 おだやかにディックへ語りかけるノクターのエメラルドのまなざしが、席についたセフィリアのうしろにひかえるカイルへ向けられた。


「きみは、はじめましてだね」

「お初にお目にかかります、奥さま、旦那さま。セフィリアお嬢さまのお世話をおおせつかりました、カイルと申します」

「あぁ、やっぱりそうか。ジェイドから話に聞いているよ。若いのに剣の腕がすばらしいんだってね。リアのこと、よろしくね」

「もちろんでございます。セフィリアお嬢さまのことは、このカイルにおまかせください」


 恭しく一礼するカイルの仕草は慣れたもの。とてもではないが、つい最近まで頭に葉っぱをからませて庭園の掃き掃除をしていた少年とは思えない上品さだ。


「外面のいいカイルさんだわ……」

「え? 俺がなんですって、お嬢さまー?」


 つい本音がもれてしまったセフィリアにつられ、カイルも素で返す。


「ふふ、私たちの前だからってかしこまらなくていいんですよ。自然体で話してもらってかまいませんからね、カイル」


 ノクター同様、ユリエンもジェイドから話は聞いていたのだろう。

 セフィリアへ親しげに口を聞くカイルを不快に思うどころか、むしろほほ笑ましげに見つめるだけだ。


「いやぁ、さすが奥さまと旦那さまです!」


 カイルもカイルで肝が据わっている。顔合せ1分でいつもの人懐っこい笑顔をのぞかせていた。

 ディックは「やれやれ……」と肩をすくめていたが。

 セフィリアはそっと、ともに食卓をかこむ両親を見やった。


(本当に、お父さまとお母さまだわ……)


 セフィリアの瞳はノクター譲り。髪はユリエン譲り。

 美少女設定であるセフィリアの両親ゆえか、ふたりとも美男美女と言われる顔立ちだ。年齢は30代後半だが、それよりも若く見える。

 ただ容姿こそちがえど、その言動も性格も、芳彦よしひこ櫻子さくらこそのものだった。


「リア? どうかしましたか? 食欲がないのかしら」


 セフィリアが黙り込んでいるので、ユリエンが気遣わしげに問いかけてくる。


「いえ……お父さまとお母さまに会えたことが、うれしくて」


 夫婦だった者が同じ世界に転生するとは限らない。

 ふたたび夫婦になるとも限らない。

 わたあめはそう言っていたが。


(奇跡は起こるのね……!)


 そして結ばれたふたりは、またセフィリアのもとにやってきてくれた。

 今世では、血のつながった家族として。

 これは現実なのだと実感したとき、セフィリアの目頭に熱がこみ上げる。


「……セフィリアお嬢さま」


 思わずうつむいてしまったセフィリアの目もとに、カイルがふところから取り出したシルクのハンカチを添える。


「あらためて……帰ってくるのが遅くなって、本当にごめんね、リア」

「怖い目に遭いましたね。体調はもう大丈夫なのですか?」

「はい。後遺症もありませんし、日々の授業も問題なく受けることができています」

「それなら、いいのだけど……」


 なぜセフィリアが倒れたのか、ふたりにはまっさきに知らされたはずだ。

 だがユリエンは心臓の病のために療養中。ノクターも領地内でモンスターが暴れていたため、その対応に追われ、すぐに屋敷へ戻ってくることができなかった。

 愛娘の一大事に駆けつけられなかったことを、ふたりはひどく悔やんでいる。


「タイミングが悪かったのです。お父さまとお母さまのせいではありませんわ」


 セフィリアはそう笑い返す。


(いえ……タイミングが悪かったというより、良すぎね)


 両親が運悪く留守にしているあいだに起きた、令嬢の毒殺未遂事件。偶然にしては、話がよくできすぎている。


「現在お嬢さまが召し上がるお食事はすべて料理長が調理し、直接お部屋にご用意しております」


 すかさず、カイルが真摯な面持ちで補足する。


(事件について再調査している……とは、言わなかったわね。さすがカイルさんだわ)


 ノクターとユリエンの中では、新人のメイドが解雇されたことでこの事件は終わっている。いたずらに不安をあおるべきではないと、カイルは判断したのだろう。


(新人のメイドがアフタヌーンティーの支度、それも隙を見て毒を混入させられるほど責任のある仕事を、いきなりまかせられるもの?)


 セフィリアが最初におぼえた違和感はそれだ。

 ならば、セフィリアが倒れたことで得をしていた人物はだれなのか。


(思えばヘラは、監督責任を感じて退職を申し出るわけでもなく、『犯人を追い出してやった』と武勇伝のように語っていたわね)


 では病床のセフィリアのために尽くしていたかというと、答えは否。

 それどころかセフィリアが満足に動けないのをいいことに、ディックをはじめとした使用人たちに虚偽を吹聴してまわっていた。


(待ってましたと言わんばかりのやりたい放題よ。これで怪しむななんて言うほうがおかしいわ)


 ヘラがなにかを画策していることは明らか。


(でも、公爵令嬢相手にリスクをおかしてまでヘラが私をおとしめようとする目的はなに?)


 目的は不明。証拠もない。


(まだよ……まだ、『そのとき』ではないわ)


 確実に追い詰めたとき、そのときは、両親にすべてを打ち明けようと思う。


「セフィリアお嬢さまは、俺が命をかけてお守りします。ご安心ください」

「このとおり、私には信頼のおけるみなさんがついてくださっています。もう心配なさらないで」


 セフィリアはカイルの言葉を継ぐようにして、両親に心配は無用だとうながす。


「そうですね。たのもしい騎士さんがいらっしゃるみたいですし、安心だわ。さて、せっかくのお料理が冷めてしまいますから、いただきましょうか」

「はい、お母さま」


 にっこりと笑みを浮かべたユリエンにならい、セフィリアもナイフとフォークを手にとる。


「────」


 そうして食事をはじめたセフィリアは、じぶんを見つめる母の視線が一瞬だけ細められたことに、気づかなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?