──カイルと話をしよう。
そう意気込んだはいいものの、いざ訓練場にやってきたセフィリアは、冷や汗をかいていた。
「ジェイド・リーヴスです。おひさしぶりです、セフィリアお嬢さま」
「ごきげんよう……リーヴス卿」
セフィリアの目前には、右の目もとに十文字の傷痕が刻まれた強面の男がそびえ立っている。
彼の名はジェイド・リーヴス。セフィリアとは体格も年齢もふたまわり以上ちがう。
ジェイドはアーレン公爵家に属する騎士団の団長で、新人教育もになう人物であった。
カイルを騎士見習いとして訓練に参加させるにあたって、ジェイドに話を通している。
顔を合わせるのは、これで二度目。初対面ではないが、セフィリアは思わず身構えてしまっていた。
以前目にしたジェイドのひととなりが、あまりに強烈すぎたために。
「ところでお嬢さま、こんなところに、おひとりでいらしたんですか? 供もつけずに?」
「だれかを呼びつけるほどではありませんわ。みなさんの訓練の様子を、見学させていただきたくて。お邪魔はしませんので、お気になさらず……」
渾身の笑みを浮かべ、すすす……とジェイドの脇を通り抜けようとしたセフィリアだが、現実はそう甘くはない。
「いけません……それは聞き捨てなりませんな、セフィリアお嬢さまぁ!」
「えっ……きゃあっ!」
がしりと肩をつかまれたかと思えば、突然セフィリアの両足が地面を離れる。
「病み上がりだっていうのに、こんなちいさくて細っこいからだで無理して歩いて! また倒れたらどうするんですか!」
「え……ええと」
片腕でひょいっと抱き上げられたセフィリアは、そのままジェイドのひろい右肩に着席させられていた。
「見習い小僧に会いにいらしたんですよね、わかっておりますとも。じぶんがご案内しますので、お嬢さまはじっとしていること、いいですね!」
「あはは……はい」
そう、ジェイドはセフィリアを見ると、こうして抱えて歩こうとする。目を離すと外敵に食べられるヒナとでも思っているのだろうか。
聞くところによると、例の『毒紅茶事件』でセフィリアが倒れてから、ジェイドの過保護が悪化したらしい。
(でも、事件のことも、以前のジェイドさんがどうだったかも覚えていないから、なんとも言えないわ……)
結局、これ以上ややこしいことにならないよう、ジェイドにされるがままでいることが、唯一セフィリアにできることだった。
セフィリアは気を取り直し、それとなく話題をふってみることにした。
「急なお話だったのにも関わらず、カイルさんの訓練を引き受けてくださり、ありがとうございます」
「われらがセフィリアお嬢さまのお望みとあらば、お安い御用です。が……」
そこまで言って、ジェイドは眉間にしわを寄せる。
「お嬢さま、とんでもないやつを連れてきましたね」
「とんでもないやつ……?」
「えぇ。カイル……あいつは、やばいですよ」
やばいとは、具体的になにがどうやばいのか。
素朴な疑問を投げかけようとしたセフィリアだが──
──おぉっ!
どこからともなく聞こえた歓声が、セフィリアの思考をさえぎった。
「うわさをすれば」
セフィリアを肩に乗せたまま、ジェイドは迷いのない足取りで訓練場の奥へ進む。
やがて、ひらけた場所へやってくる。どうやら団員たちが集まり、対人訓練をしていたようだ。
が、人だかりの中央に見知った顔を見つけたセフィリアは、エメラルドの瞳を極限まで丸くした。
「あのなぁ……すこしは先輩に遠慮したっていいんだぞ。瞬殺はやめろよな、瞬殺は」
剣を落としてしまい、両手を上げてやれやれとため息をついている青年がいる。
その青年ののどもとに、木製の剣のきっさきを突きつけていたのは、カイルだった。
(カイルさん……!? 騎士団の先輩を瞬殺って、うそでしょう!?)
あぜんとするセフィリアをよそに、ジェイドが声を張る。
「そこまで! おまえたち、休憩時間だ」
「団長、俺はまだやれます」
「カイル。休憩といったら休憩だ。セフィリアお嬢さまがいらしてるんだぞ」
「はっ……」
ジェイドにたしなめられ、カイルもようやく気がついたらしい。
「──セフィリアお嬢さま!?」
すっとんきょうな声を上げながら、ふり向くカイル。
「えへへ……お邪魔してます」
セフィリアはというと、苦笑を返すしかなかった。
* * *
「野郎ばっかでむさ苦しいでしょ。すいませんね、こんな格好で」
「いえ、マイナスイオンたっぷりで、いいと思います」
「え?」
「こっちの話です」
ジェイドの肩から訓練場の隅にあるベンチへ移動させられたセフィリアは、遅れてやってきたカイルに笑みを返す。
首にかけたタオルでひたいの汗をぬぐうカイルのすがたは、部活終わりの学生のような爽やかさだ。
「それにしても、どうしたんです? 急に見学なんて」
「カイルさんと、お話をしたくて」
「俺と?」
カイルの受け答えは、ふだんどおりの気さくなものだ。
「そうです、お話です。なので……こっちにきて、座ってくれませんか?」
だが、セフィリアがそういってベンチのとなりを示したとき、カイルの表情が引きしまる。
「遠慮します、汗くさいですから」
カイルの言葉は、セフィリアをふとさびしくさせる。
はじめて出会ったときは、となりに座って、いっしょにクッキーを食べてくれたのに、と。
セフィリアは、カイルの胸もとに浮かぶハートを見た。やはり、以前と変わりはない。
(『好感度ゲージ』の色は黄色……嫌われてるわけじゃない。でも、それならなおさら聞かないと)
最近になって、カイルがどこかよそよそしくなった理由を。
「カイルさん、無理はしてませんか?」
「……え?」
「私がここでの訓練を提案したとき、あまり喜んでいないように見えたので……もし私が余計なことをしたのであれば、遠慮なくおっしゃってください。責任は、取りますから」
「ちょっ……ちょっと待ってください、セフィリアお嬢さま!」
深刻な面持ちで告げるセフィリアに、カイルがあたふたと焦りを見せる。
「俺が訓練に乗り気じゃないとか、なんでそうなるんですか!?」
「ちがうんですか? 最近よそよそしいというか、話していると距離を感じます。それに、ふとしたときに思い詰めたような顔をされているので、悩みがあるのかと……」
「よそよそしい……あー……そうか、そう見えたか……うーん……」
心当たりはあるらしい。しばらくうなっていたカイルは、セフィリアへ向き直ると、がばりと頭を下げた。
「まぎらわしくてすみません! それに関しては、俺が全面的に悪いです!」
「えっと、それはどういう……?」
「はぁ、柄にもないことするもんじゃないな……正直に白状しますね」
ばつが悪そうにほほを掻いていたカイルは、やがて意を決したようにセフィリアを正面から見据える。
そして、ぽつりぽつりと語りはじめた。