「お嬢さま……どういうおつもりですか、セフィリアお嬢さま!」
ある日のこと。
公爵家が雇った講師によるマナーのレッスンを終えたセフィリアは、部屋の前で待ちかまえていたヘラに詰め寄られていた。
「どういう、とは?」
「最近お嬢さまのそば仕えになった使用人のことです。お嬢さまのお世話は、私の役目なのですよ」
ここ最近、ヘラはセフィリアから呼ばれることがめっきり減った。
その一方で、突然セフィリアが庭師見習いの少年を『お世話係』として引き抜いてきたのだ。
プライドの高いヘラが、黙っているはずがない。
こうなることは、セフィリアも予想はしていた。
「そもそも、礼儀もなっていない貧民の出ではありませんか。品性のかけらもないあのような者は、公爵家にふさわしく……」
なんと自分勝手な物言いだろうか。
見かねたセフィリアは、ヘラの語尾をさえぎるように口をひらく。
「そうですか。ではヘラ、あなたは、私に人を見る目がないと、そう言いたいのですね?」
その瞬間、ヘラの表情が青ざめる。
「そ、そういうつもりでは!」
「あなたの発言は、そう受け取られてもしかたのないものです」
いまさら失言に気づいたところで、もう遅い。
どもるヘラへ、セフィリアは容赦なく追い討ちをかける。
「『そんなつもりはなかった』という言い訳は、いじめっ子がするものと一緒ですよ。そもそも、息をするようにだれかの陰口を叩くあなたのほうが品性のかけらもないと、私は思いますが?」
「お、お嬢さま、お待ちください!」
「──口をつつしみなさい、ヘラ」
口調こそやわらかいものだが、セフィリアの射抜くようなエメラルドのまなざしに、ヘラはすくみ上がる。
「料理長に虚偽の情報をつたえた件もあります」
「な……!」
「私が気づいていないとでも? 見くびりすぎましたね。最近のあなたの身勝手な行動は目に余ります。しばらく謹慎をなさい」
「そんな、お嬢さま……セフィリアお嬢さ──!」
セフィリアはかまわずきびすを返し、自室のドアへ向かう。
そしてなおもすがりつこうとするヘラの手がふれる前に、ドアがひらき、中から伸びてきた腕がセフィリアを室内へ引き入れる。
──パタン。
ヘラの目の前で、無情にもドアは閉ざされるのだった。
「まーたあのひとですか、懲りないですねぇ。大丈夫ですか、セフィリアお嬢さまー?」
強制的にヘラをセフィリアから引き剥がしたのは、ブルーの髪の少年。
彼を目にしたとたん、セフィリアは安堵感につつまれる。
「ありがとうございます、カイルさん! もうほんとにしつこくて、殴り飛ばしてやろうかと思ったくらいでした」
「あははっ! お嬢さまって意外とおてんばですよねぇ」
からから笑いながら、しっかりとドアに鍵をかけることを忘れないカイルに、セフィリアはあらためて感心させられる。
「マナーのレッスンお疲れさまです。もうじき料理長がランチを持ってきてくれるはずですけど、紅茶でも飲みます?」
「はい、おねがいします」
「りょーかいです。すぐお持ちしますねー」
事前に準備してあったのだろう。
セフィリアがレッスン道具を机に置き、ソファーに腰かけたところで、カイルがティーセットを運んできた。
つい最近までティーセットをさわったことすらなかったはずだが、ティーポットからカップに紅茶をそそぐ手つきは流れるように自然なものだ。
「あのう、お嬢さま。あんまり見られると照れるんですけど」
「さすがだなぁと思いまして」
なんでもそつなくこなすこともさることながら、セフィリアの行動を予測し、前もって支度をしておく。
それが当たり前のようにできてしまうカイルは、生まれつきの器用さ以上に、人を気遣う能力がずば抜けているのだ。
(
カイルの『前世』であった青年のすがたを思い返し、セフィリアは懐かしくなるとともに、ふと気がついた。
(ボディーガード……そうだわ!)
いいことを思いついた。これは名案かもしれない。
そうとなれば、早速話を切り出すセフィリアである。
「そうそうカイルさん、午後のことなんですけれど」
「ダンスのレッスンでしたよね?」
「はい、それで私、いいことを思いつきまして」
「えぇ? 俺はダンスとかできないから、練習相手にはなれませんよー」
そうやって冗談めかしながら、カイルのことだ、一度習えば器用にダンスを覚えてしまうのだろう。
だがセフィリアの『名案』は、カイルを付き合わせることではない。
「そのことなんですが、私がレッスンをしているあいだ、カイルさんをひとりにしてしまいますよね?」
「そうですねぇ。部屋の掃除もやったし、ヒマになるなぁ」
「はい、なので、カイルさんにも時間を有意義に使っていただこうかと思いまして」
「あはは、お嬢さまってば、今度はどんな驚きの提案をしてくれるんですか」
陽気な笑みを浮かべるカイルは、このあとに待ち受けているものを知らない。
そして、セフィリアも。
「剣に、興味はありませんか?」
「…………え?」
いったい、なにを言われたのか。すぐに理解できずにぽかんとするカイルへ、セフィリアはソファーから身を乗り出すようにして告げた。
「騎士団の訓練を、受けてみませんか?」
カイルに訓練を受けさせる。
それこそが、セフィリアの考える『名案』だ。
(『花リア』では従者のレイがセフィリアの護衛もつとめていたけど、レイに会うために奴隷市場に行くのはすぐには難しいわ。なら、カイルさんにボディーガードをおねがいすればいいのよ!)
カイルの転生前である七海の強さは、セフィリアもよく知っている。
アーレン公爵家は私的な騎士団をかかえており、王国騎士団にも引けを取らないほどだ。
訓練を受ければ、カイルもすぐにその実力をあらわにすることだろう。
なんという名案なのだろう。そう自負するセフィリアだったが──
「セフィリアお嬢さま──それ、本気で言ってますか」
いつの間にか、カイルが真顔になっていた。
抑揚に乏しいカイルの口調からは、感情が読み取りづらい。
(……あれ?)
そこでようやく、セフィリアは違和感に気づくのだった。
(私……なにかまずいことでも言っちゃった!?)