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第50話 よろこんで!

 ディックは、由緒正しきアーレン公爵家の料理長である。

 この地位についたのは比較的最近のことではあるが、料理ひとすじ25年。自慢の腕をふるい、ひとびとを笑顔にしたいとの一心でやってきたつもりだ。

 だからこそ、ディックの気分は重苦しく沈み込んでいた。

 そんなある日のこと。


「おっさん! ディックのおっさん!」


 カイルがあわただしく厨房に駆け込んできたのは、本当に突然のことだった。

 コック服を身にまとった壮年の男──ディックは一度ため息をもらし、皿磨きを再開した。


「残念だったな、カイル。今朝のステーキは廃棄物処理用のスライムに食べさせたぞ」

「そうじゃなくて! とりあえず急いでひよこ豆のスープを作ってくれよ。昼まで時間がないから、急いで!」

「なんだ、唐突に」


 カイルはにぎやかな性分だが、それにしたって今日はやけにさわがしい。

 いぶかしげにふり返ったディックへ、カイルは驚くべきひと言を放つ。


「セフィリアお嬢さまが、ひよこ豆のスープを食べたがってる。お嬢さま本人に聞いたから、ほんとの話だ!」

「…………は?」


 カイルはいったいなにを言っているのだろう。

 ディックはしばらくのあいだ、理解できなかった。



  *  *  *



 嵐のようなカイルの訪問から小一時間ほど。

 ディックは信じられない気持ちで、この屋敷に住む唯一の令嬢の部屋に立ちすくんでいた。


「お野菜がしっかり煮込まれていて、スープのとろみ具合も絶妙……やさしいお味で食べやすいです。おいしい……!」


 なぜなら、突然セフィリアに呼び出されたかと思えば、目の前で料理を絶賛されたからだ。

 思わぬ展開に、ディックは戸惑いを隠しきれない。


「お褒めにあずかり、光栄です……しかしどうして、こんなリクエストを?」


 思わずセフィリアへ問うかたわら、ちらり、とディックは視線を横にずらす。

 食事をとるセフィリアのとなりには、カイルのすがたがあったからだ。

 カイルは庭師見習いだ。とはいえ見習いというのも言葉だけで、実際には大きな仕事はほとんど任されず、先輩の世話や雑用ばかりを押しつけられていたはずだ。

 そんなカイルがなぜ、セフィリアの部屋にいるのか。


「カイルさんには無理をおねがいして、私のお世話係になってもらったんです」

「な……」


 思考を見透かしたようなセフィリアの発言に、ディックはまたも驚愕した。

 セフィリアの物言いは落ち着いていて、とても7歳の少女が発した言葉だとは思えない。


「カイルさんからお聞きしました。ここ最近のことでつらい思いをさせてしまったこと、深くおわびいたします。その上で、誤解をとかせていただけないでしょうか」

「セ、セフィリアお嬢さま!?」


 深々とセフィリアに頭を下げられたディックは、いよいよ混乱も最高潮に達する。


(誤解……どういうことだ? なにが起きてる?)


 パニックにおちいったディックに助け舟を出したのは、カイルだった。


「メイド長がいるだろ。性格キツそうなおばさん。あのひとが、セフィリアお嬢さまのことであることないことあっちこっちに言って回ってるみたいなんだよ。セフィリアお嬢さまがステーキを食べたがってるってのも、メイド長の嘘だった」

「なんだって……!」


 ディックは雷に撃たれたかのような心地に見舞われた。


(いや、俺だって疑問に思わなかったわけじゃない……)


 体調を崩し、ベッドに伏せっていた幼い少女が、大人でも胃もたれがするようなステーキをねだるだろうかと。

 セフィリアの体調を考慮しても、まずは消化のいいメニューにすべきだ。ディックもそう提案した。

 だがメイド長のヘラは、「お嬢さまのご希望です」との一点張り。


「私がステーキを食べたいと言っている。そう聞いたなら、指示に従わざるをえませんよね。あなたのせいではありません、ディックさん」

「セフィリアお嬢さま……」


 信じがたいことばかりだけれども、セフィリアと話すうちに、ディックもだんだんと状況を受け入れられるようになっていた。

 カイルの説明どおりだとすればつじつまは合うし、なにより、まっすぐにディックの目を見て語りかけるセフィリアが、嘘偽りを言っているとは思えないのだ。


「私の目が行き届いていないせいで、ご迷惑をおかけし、すみません」

「そんな、やめてください、お嬢さま!」


 かさねて謝罪するセフィリアを、ディックは慌てて押しとどめる。

 セフィリアは7歳なのだ。まだまだ大人たちに守られなければならない年齢。

 その少女が、こんなにもおとなびた目線で、ただの使用人でしかないじぶんたちのことを気にかけてくれるだなんて。


(あぁ、俺は本当に、かん違いをしていたみたいだ)


 本当かどうかもわからないのに、嘘をうのみにして、やけになるなんて。


(俺はもう、じぶんの目で見たものしか信じない。目の前にいるセフィリアお嬢さまのことだけを、信じる)


 そう心に決めたとき、ディックに重くのしかかっていた心の霧が、晴れ渡った。


「なー? セフィリアお嬢さまって、いいこだろ?」

「なんでそうおまえが得意げなんだ」

「いいじゃん、直々に任命されたお世話係の特権ってやつ」


 カイルと軽口を叩き合いながら、ディックはおのれの選択が間違っていなかったことを確信する。

 なぜなら、愛想笑いではない自然な笑みを浮かべたカイルのすがたが、すべての答えだからだ。


「ディックさん、カイルさんを通してリクエストをおつたえするので、これからも私にお料理を作ってくださいますか?」


 ふいの問いかけ。

 ディックはセフィリアへ向き直り、胸を張って答えた。


「もちろん、よろこんで!」

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