サクリ。
小麦色のクッキーを口に入れた瞬間、バターの香りが鼻をすぅっと通り抜け、ほんのりとした甘さが広がる。
「焼きたてみたいに香ばしいですね……! やさしい甘さで、おいしいです!」
庭園に設置された木製のベンチにて。
セフィリアがほおばったクッキーを絶賛していると、となりに腰かけたカイルがブルーの瞳をまあるくさせる。
「そんなに?」
「すっごくおいしいです! ここ最近食べたもののなかで、ダントツです! 作ったひとを表彰したいくらいです!」
「いやぁ、それは褒めすぎってやつですよ」
「うん……?」
クッキーがおいしいと褒めたら、カイルが照れくさそうにほほを掻いている。待ってほしい。これは、つまり。
「このクッキーって、カイルさんが作ったものなんですか……!」
「あ、はい。ここの料理長と仲良くなって。最初は料理長がまかないを作ってくれてたんですけど、いろいろ話してるうちに、なんかいっしょにクッキーとか焼いてる仲になってました」
「相変わらずコミュニケーション能力が半端ないですね!?」
「え?」
「こっちの話です!」
そういえば
『前』の世界での出来事を思い出し、セフィリアはなんだか懐かしい心境になった。
「俺がすごいわけじゃなくて、料理長のふところが深いんですよ。こういう感じなんで見てたらなんとなくわかるかもですけど、俺、貧民街の出身で」
「貧民街……」
カイルの口から思わぬ言葉を聞いたセフィリアは、一気に夢見心地から覚めた。
「まぁその、夜中に食料庫からちょっと拝借することが前にありまして。すぐにバレたんですけど、そのときにあのおっさん、なんて言ったと思います? 『どうせ食うならくすねたものをコソコソと食うより、堂々とたらふく食え』って」
料理長はカイルの盗み食いを見逃すかわりに、皿洗いなどを手伝わせた。そしてその報酬として、まかないを作ってくれるようになったのだという。
「いやもう、おっしゃるとおりって感じで。汗水たらして働いたあとに食べるものって、こんなうまいもんなのかと思い知らされましたね」
それからもカイルと料理長は交流が続き、新作メニューの試食をさせてもらったり、自分用のおやつ程度なら調理させてもらえるようになったとのことだ。
カイルの話を聞いたセフィリアへ、真っ先に申し訳なさがこみ上げる。
「ごめんなさい……」
「えぇ! なんでお嬢さまが謝るんですか。むしろ盗み食いしてた俺が追い出されてもいいくらいですよ」
「それはちがいます。せっかく住み込みではたらいてもらっているのに、カイルさんたちに満足してもらえる労働環境をととのえられていない状況は、公爵家の責任になります」
「でも俺、貧民だし、雇ってもらえただけでもありがたいと思わないと……」
「カイルさん。その言葉は、カイルさん自身も納得がいかないことがあるからこそですよね。ちがいますか?」
「──!」
セフィリアが問いかけると、カイルがはっとしたように口をつぐんだ。
「家柄だとか、生まれつきの肩書きの有無はあるかもしれません。でも生まれてきた命に
「貴賤は、ない……」
「えぇ、だれかが無理を強いられることはあってはなりませんし、身分に関係なく、やりたいことをやりたいと口にできる場所。それが本当にいい職場だと私は思いますし、そうすべき立場です」
「お嬢さまってば、小難しいことを考えますねぇ……」
7歳児らしからぬセフィリアの物言いに苦笑する一方で、カイルはふと笑みをひそめる。
「それじゃあ……セフィリアお嬢さまは、俺のおねがいを聞いてくれますか?」
陽気なカイルにしてはめずらしい、真摯なまなざしだ。
その訴えを無下にあつかう権利は、セフィリアにはなかった。
「はい、私にできることでしたら、なんでも!」
セフィリアが力強くうなずき返すと、カイルは「それじゃあ」と意を決したように口をひらく。
「最近、料理長の元気がないんです。理由を聞いたら、『セフィリアお嬢さまが俺の料理を食べてくれないからだ』って……」
「えっ、私ですか?」
「ちょっと前まで、こんなことなかったですよね。最近になって急にです。どこがだめなのか、せめて料理長に理由を話してもらえませんか?」
心を込めて作った料理を突き返されて、料理長はショックを受けている。カイルも心配でならないのだろう。
とはいえこれに関しては、セフィリアも頭が痛くなる思いだ。
「そう言われますと、うぅん……胃が受けつけないというか。端的に申し上げますと、朝からステーキはちょっとつらい……ですね」
ここは変にごまかさないほうがいいと、正直に白状するセフィリア。しかし、カイルの反応は予想外のものだった。
「え? お嬢さまが食べたがってたんじゃ?」
「ステーキをですか? そんなわけないです! 病み上がりですし、ひよこ豆のスープとかがいいですよ絶対! カイルさんもそう思いますよね!」
「まぁ……でも料理長が、そう聞いたって」
「私、ステーキが食べたいとはひと言も言ってませんよ」
その瞬間、カイルの表情が凍りつく。
すれ違う会話。セフィリアもようやく『違和感』に気づく。
「『だれ』から聞いたんですか?」
「それは、えっと……」
「もしかして──メイド長のヘラ?」
ごくり。
カイルがつばを飲み下す。
否定されなかったことで、セフィリアも確信を得た。
そう。セフィリアが今世に転生してから接した人物といえば、ほぼ彼女しかいない。
(あのひと、私の知らないところで好き放題やっていたみたいね……!)
いままでは『面倒なひと』という認識しかなかったが、ここまでされてはたまったものではない。
(ひょっとして……私を『わがままな令嬢』に仕立て上げようとしてる?)
確証はない。ヘラがそんなことをする目的もわからないが、ただ。
(問い詰める必要がありそうね)
揉め事を起こすのは本意ではないが、見て見ぬふりをしてよい問題でもない。
セフィリアはため息をついたのち、気を取り直して笑みを浮かべた。
「どうやら、連絡の行き違いがあったみたいで。申し訳ないのですが、カイルさんに料理長へ私からの伝言をおねがいしたいです」
「あ、はい! なんてつたえれば?」
「『昼食はひよこ豆のスープが食べたいです。感想をそのままおつたえしたいので、直接お料理を部屋までお持ちいただけますか?』と」
ヘラが影でなにか画策しているのなら、そうする隙を与えないようにするまで。
「あぁ、そうですわ」
思い出したように、セフィリアは続ける。
実際は、こちらが本題だったりするのだが。
「カイルさん、『万能でなんでもデキる男』だそうですね?」
「うげっ……聞いてたんですか……」
「えぇ、それはもう」
七海の有能さを思い返せばいちいち聞かなくとも知れたことであるが、セフィリアは笑みが止まらない。なぜなら。
「そういうわけで、カイルさん。庭園勤務から私のお世話係へ、異動申請をしておきますね!」
心強い味方を一気にこちら側へ引きずり込む、千載一遇のチャンスに違いないのだから。