毒に倒れた幼い令嬢が無事目を覚ました、アーレン公爵家において。
4日ぶりの晴れ間がのぞいた、朝のこと。
「お嬢さまー! どちらにいらっしゃるのですが、セフィリアお嬢さま!」
セフィリアは屋敷の外で草影に隠れ、自身をさがすメイド長のヘラをやり過ごそうとしているところだった。
「今朝も朝食を召し上がらないで、いったいなにが不満なの……!?」
ひととおりあたりを見まわしたヘラは、まさかセフィリア本人に見られているとは思いもしないのだろう。
ぷりぷりと苛立ちを隠しもせず、足早に行ってしまった。
「なにが不満って、不満しかないわよ。つい最近まで寝込んでた病人に、朝からステーキとか正気!?」
ガサリ。
草影から顔を出したセフィリアは、だれもいなくなった屋敷の隅で文句をこぼす。
「しかも異様にしょっぱいステーキだし、夜は寝る前にダダ甘いホットミルク持ってくるし、私を塩分と糖分過多でぶっ倒れさせたいのかしら!」
「
セフィリアについで、ひょっこりと真っ白な毛玉がすがたを現す。
猫のようでもリスのようでもあるその生物は、このファンタジー世界において『カーバンクル』と呼ばれるモンスターに似ている。
「やっぱり、
セフィリアが問い返すと、肩に乗ってきた白毛玉が、ルビーのようにあざやかな紅の瞳で見上げてくる。
「うむ、適当にあしらっておくのがよかろう。ときに小妹、いまのワタシは仙界にすむ瑞獣ではない。そちの使い魔である」
「使い魔……守護精霊みたいなものでしょうか?」
「あぁ。『前』の世界でのことを覚えておるか? あの若造が、仙力を暴走させたときのことだ」
「はい……
「それで、そちを助けようと
「
「むろん無茶にちがいないゆえ、ワタシの力をそちの内功に上乗せした。その結果、そちとワタシの力が交わったようでな、このとおりだ」
燐の暴走を止めるためにすべての力を解放した『花梨』に、騶虞がその力で加勢をした。
そして思いがけず、『花リア』の世界に転生してしまったセフィリアの『一部』となったのだという。
「そちの力を受け、ここに顕現しておる。そちはワタシの主人も同然。ワタシに遠慮することはない、好きに呼ぶがよい」
「騶虞……ありがとうございます。それでは、その」
「うん?」
もじもじと視線を泳がせるセフィリアに、こてりと小首をかしげる白毛玉。
そのもふもふ感を前にがまんできなくなったセフィリアは、思いきって声をあげる。
「その! わたあめちゃんとお呼びしてもいいですか!」
「ワタアメチャン?」
「真っ白くてふわふわで、美味しい砂糖菓子のことなんですが!」
「なるほど、ワタシがそのワタアメチャンに見えると。よい、好きに呼びなさい」
「わたあめちゃん……!」
「ふふ、苦しゅうない」
セフィリアはたまらなくなって、騶虞あらためわたあめのもふもふの毛に顔をうずめる。
わたあめもセフィリアになでられ、上機嫌そうにゴロゴロとのどを鳴らしていた。
「わたあめちゃんがいてくれて、心強いです。この世界で私が置かれている状況を調べたいのですが、味方がいなくて……」
ひとしきりわたあめのもふもふを堪能したセフィリアが、眉を下げてため息をつく。
世話係のヘラとは仲良くできそうにないし、セフィリア自身の体調も万全とはいえない。
今朝だって食べたくもない朝食を運んできたヘラの隙をつき、気だるさの残る手足を動かしてなんとか部屋を抜け出したところなのだ。
「そのことについてだが。ワタシも考えていたことがある」
「考えていたこと、ですか?」
「うむ。そちの兄代わりが言っていたろう。『前』のそちらの人生は、神仙らが課した試練のひとつであったと」
「えぇ……『
嫉妬、欲望、悲哀、恐怖、憤怒。
仙界でこれらは『五悩』と呼ばれ、滅すべき負の感情とされる。
──すべての試練を乗り越え『五悩』を克服したあかつきには、きみたちの情愛を認め、ふたたび仙界へ迎え入れる。頭の硬いおじいさまたちもそう仰せだよ。
燐はそう語っていた。
(ひとを愛することは、罪なんかじゃないのに……!)
だが古くからの固定概念にとらわれた長老たちは、それを知らない。
純粋に愛し合っていた星藍と
(私たちが死にもの狂いで生きていた人生は、あのひとたちの酒の肴でしかなかったんだわ……! 冗談じゃないわよ!)
いまも気まぐれな神仙たちは、幼いセフィリアが孤軍奮闘しているさまを、面白おかしくながめていることだろう。
「しかし小妹、いや、あるじ。考えてもみよ。これがそちらふたりに課せられた試練であるならば、裏を返せば、そちらふたりに平等に与えられなければ成り立たぬということでもある」
「それって……!」
「うむ。『前』の世界でそうであったように、あの子も……星藍も、そちと同じく転生しているはずだ。この世界のどこかに、必ずいる」
「あぁ……!」
その言葉は、先行きの見えないセフィリアの道をまばゆく照らすようだった。
「星藍も……星夜さんも、ここにいるんですね!」
「間違いない。たがいに強くねがえば、きっと再会できようぞ。とはいえそちも、黙って待っているだけのおなごではなかろう?」
「もちろんです! なんなら私から彼を見つけに行ってやります!」
「ほほ、それでこそ、わがあるじだ」
ふにゃりと笑ったわたあめが、たっと軽快にセフィリアの肩から飛び降りる。
「そこで、だ。ワタシも使い魔らしく、そちの役に立とうと思う」
「え? どこへ行くんですか?」
「行けばわかる。ついておいで」
「わたあめちゃん!」
とててっと駆け出すわたあめ。
すぐさまセフィリアは、慌てて後を追うのだった。