目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第44話 約束ですよ

星藍シンラン!」

愛花アイファ……愛花!」


 花梨かりんはきびすを返し、星夜せいやを呼ぶ。

 星夜も、腕をひろげて花梨の名を呼んでいた。


「……許さない」


 だが、腕をすり抜けた花梨の手首を、リンがつかんで引き戻す。


「いっ……!」

「逃がすものか」

「燐師兄にいさま、離して!」


 燐は笑みを浮かべているが、その目はわらっていない。

 何より、ほの暗い影をまとったまなざしが、異様だ。


「すこし、おしゃべりがすぎたようだね」

「っ! だめ、燐師兄さま!」


 燐の右手に、シュルシュルと何かが渦巻く。

 気弾だ。

 燐は星夜めがけ、容赦なく気の衝撃波を放つ。


「くそっ……!」


 無意味とわかっていながらも、星夜は受け身を取る。

 だが、覚悟した衝撃はおとずれなかった。


 ──ガォオウッ!


 獣の咆哮とともに、迫りくる気弾の気配がかき消えた。

 やがて、星夜の視界に映り込むものがある。


「この子らに、手出しはさせぬぞ」


 思わず、星夜はまばたきをした。

 燐とのあいだに割り入るように現れたのは、真白い毛並みをし、勇健な翼を持った虎。


「きみは……騶虞すうぐ!?」

「久方ぶりだな、愛すべきこどもたちよ」


 あり得ない光景に、燐も息をのんだ。

 騶虞は天界にすむ瑞獣だ。下界におりることなど、あるはずがないのに。


「ワタシが授けた法具を使ったろう。禍々しい邪龍の気配もすみかまでただよってきた。急ぎ駆けつけたが、間に合わなんだ……」


 法具。騶虞から譲り受けた短剣と羽扇のことだ。

 騶虞は邪龍の出現を察し、すぐさま駆けつけてくれたのだ。

 だが騶虞の思いもむなしく、星藍と愛花は命を落としてしまった─


「かの夜のことは、悔やんでも悔やみきれぬ。ゆえにワタシは、そちらの魂をさがしていたのだ。その迷える魂をどうにか導けるようにと……この『ゲンダイ』という地は龍脈に乏しいゆえ、ワタシもただの猫程度の力しか発揮できなかったが」

「猫……白い、猫……まさか、きみだったのか、騶虞!」


 花梨と星夜、ふたりの記憶に共通して姿を現していた、不思議な白猫。

 その正体こそ、騶虞だったのだ。


「わからないな……瑞獣が、なぜそこまで肩入れをする?」

「そこの若いの。よもや、自覚しておらぬのか?」


 星夜に対するものとは打って変わり、厳しい声音で問い詰める騶虞に、燐は瞳を細める。


「何のことだ?」

「哀れなことよの……小妹シャオメイに向けた劣情、その身にうずまく妬み嫉みこそ、邪龍の餌だったというのに」

「……待て」

「自覚がないならば言わせてもらうぞ。邪龍を呼び寄せたのはこの子たちではない。小僧、そちの激しい嫉妬心だ」


 ──沈黙。

 誰もが、衝撃的な真実に絶句するしかない。


「そんなはずはない……そんな、ことは」

「その嫉妬が、邪龍を呼び寄せた。仙界を、この子らを、みずからの母親すら脅かしたのは、まぎれもなくそち自身だ」

「そんなことはないッ!」

「きゃっ……!」

「花梨!」


 半狂乱になった燐が、乱雑に花梨を抱き寄せる。


「目をそらさないで、いい加減認めてよ……燐師兄さまのそれは、親愛ではないわ……!」


 必死に呼びかける花梨。

 はたと気づいたように、燐が荒い呼吸をひそめた。


「愛……そうだ。愛は、罪などではなかったか。それなら僕の気持ちも、罪ではない。そういうことだよね……愛花?」


 うわごとのようにこぼした燐が、いま一度笑みを浮かべる。

 完全に光を失くしたそのまなざしに、花梨はぞっとした。


「いいことを教えてあげようか、愛花。きみが邪龍の呪いを受けたとき、僕が真っ先にきみの魂を救おうとしたんだよ。ほかの誰にも、邪魔はされたくなかったからね」

「な、にを……っ!」

「ほかの男に奪われるくらいなら、僕の手で……そうだね、この煮えたぎる感情は、愛欲だ。僕は異性としてきみを愛している。もう言い逃れはしない。だから──」


 ゆらり。燐を取り巻く影が、不気味に揺らぐ。


「──僕もいっしょに、堕ちるとするよ」


 ビュオオウッ!


 燐の周囲で、旋風が巻き起こる。

 それは、身を切り裂くような熾烈さで吹きつけた。


「小僧め、こんなところで内功を解放するとは!」

「燐! 関係のないひとびとを巻き添えにする気か! 愛花……花梨だってただではすまない、彼女を離すんだ、燐!」

「指図は受けない。愛花は僕のものだ」


 燐からは一切の表情が消え失せ、言葉も抑揚に乏しい。


(なぜ俺には、力がないんだ……くそっ!)


 邪龍と闘ったかつての蒼星真君であったなら、この程度の内功の暴走など、簡単に止められただろう。

 だがいまの星夜は人間。非力な弱者なのだ。


(いや、たとえこの身が引き裂かれても、花梨は俺が助ける……!)


 最愛のひとを失う悲しみ以上の恐怖など、この世には存在しないのだから。


「よせ、行ってはならぬ!」

「止めないでくれ」


 制止する騶虞へ、星夜は毅然として返す。

 自身をふるい立たせ、暴風が吹きつけるその先へ、一歩を踏み出した。


「だめよ、星藍──星夜さん」


 そこで、花梨が笑っていた。

 とたん、星夜は既視感に見舞われる。

 だってあの笑顔は、『あのとき』と同じ──


「私たちは、ともに試練を乗り越えました。この人生は、けっして無駄なものではなかったわ」

「花梨、まさか……やめろ」

「『また守れなかった』なんて、後悔だけはしないでくださいね。だって、いまこの瞬間の私が、幸せなんだもの。この世界での物語を、悲劇で終わらせないで」

「やめてくれ、花梨……花梨ッ!」

「すこし、ひと休みしましょう。私も、あなたも……燐師兄さまも」


 向かい風に阻まれながら、星夜は必死に手を伸ばす。

 あともうすこしでふれるというところで、もう一度、花梨がほほ笑んだ。


「あなたを、愛しています」


 澄んだ涙をこぼした花梨を、桃色の花吹雪が飲み込んでゆく。

 彼女が、持ちうる内功を解放したあかしだった。

 星夜の絶叫はかき消され、すさまじい力の衝突の果てに、静寂がひろがる。



「私は何度だって、あなたに恋をするわ。だから……また、私を見つけてね。約束ですよ」



 ふたりの愛を、証明するのよ、と。

 あどけなく笑った少女の表情が、青年の魂に刻まれた。



【第1章 完】

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?