婚約パーティー会場となるホテルのバックヤード、セキュリティー管理室の扉を開け放ち、
(これは罠だ! くそっ……!)
誤作動などではなかった。セキュリティーシステムは、正常に作動していた。
何事もない風景を映し出していた防犯カメラの映像は、ハッキングにより書き換えられていたのだ。
至急、防犯カメラの映像を解析した星夜の目に飛び込んで来たものは、レンズ越しにこちらをふり返る男の笑みだった。
(
そこで、星夜は衝撃的な光景に遭遇する。
「おや、遅かったじゃないか」
その異様な現場で、ひとり佇んでいる男のすがたがある。
男の腕には、花梨が抱かれていた。
刹那、燃え上がるような怒りが、星夜のからだの芯からこみ上げる。
「
「あぁ、やっぱり思い出してたか。『今世のきみ』は、どこか違う気がしていたんだよね──
「彼女を離せ! さもなくば……!」
「こらこら。せっかく可愛い妹に再会できたんだから、すこしは感動にひたらせてくれよ」
やれやれ、と肩をすくめた男のすがたは、一瞬後に豹変する。
現代日本にそぐわぬ純白の
浮世離れした美貌をもつ男が、そこにいた。
燐の手前には、
「和紗! うちの嫁さんに何しやがった、このコスプレ野郎……!」
遅れて駆けつけた七海が、倒れた和紗を目にし、怒りをあらわにする。
星夜はすぐさま、声を張り上げて制止した。
「来るな七海!」
「んなこと言われて黙ってられますか!」
「来るな! おまえが敵う相手じゃない!」
「社長……!」
なんと言われようが、譲るつもりはない。
七海を守るためにも、星夜はここで引くわけにはいかなかった。
(この状況で、俺がなすべきことは)
深く息を吐き出し、星夜は正面へ向き直る。
「何を企んでいる、燐」
「人聞きが悪いな。きみたちの最期があまりに可哀想だったから、その哀れな魂を救いにきただけだよ」
「この……!」
「おっと、下手な真似はしないほうがいい。いまのきみはただの人間だ。僕に敵うわけがないだろう?」
星夜はぎり、と奥歯を噛みしめる。螢斗、いや燐の言葉は真だ。
『あの日』──仙界を襲った邪龍を、
(そうだ、思い出した。愛花が一身に受けた呪いを、俺は引き受けたんだ)
星藍はすでに邪龍に致命傷を負わされていた。
その上呪いを肩代わりしようとしたのだから、無理が祟ったのだろう。どうりで転生後の肉体にも呪いが刻まれていたはずだ。
「情愛に溺るるべからず。『
「まだそんなばかけたことをほざくのか。情愛が
「変わらないねぇ……きみも」
話が通じる相手ではないと解釈したのか、燐は星夜からふいと顔をそむけ、腕に抱いた花梨へ視線を落とす。
「本来ならば、この子の双修道侶になっていたのは僕だったのに。きみみたいなよそ者に奪われて、僕は……あぁいけない、嫉妬はいけないね。邪龍に食べられてしまう」
燐はにこりと笑みを浮かべる。
人形のように温度のない笑みだ。
「僕も無慈悲じゃないから、きみたちがとほうもない人生をくり返しているのを、哀れに思っていたんだ」
「くり返す? どういうことだ」
「おや、そこは自覚がなかったか」
怪訝な視線を向ける星夜へ、燐は驚くべき真実を口にする。
「
「なんだと……」
「その証拠に、この子は『前』の記憶があったろう? どうして『前』の記憶だけ引き継がれたのかは、僕もわからないけれど」
信じられないが、燐の言葉には心当たりがあった。
──私には、前世の記憶があるんです。
星夜も、花梨の口からそう聞いたのだから。
(愛花には、ひとの心情を色彩変化で感じ取る能力があった)
生まれ変わりの花梨にも、その能力が『好感度ゲージ』として受け継がれたのだろう。
「皮肉なことだけど、『不破螢斗』が引っ掻き回したことで、きみたちの絆はより深まった。『五悩』のひとつ、嫉妬の試練を乗り越えたんだ」
「それは、ほかにも四つの試練があるとも取れるが?」
「そうだね。すべての試練を乗り越え『五悩』を克服したあかつきには、きみたちの情愛を認め、ふたたび仙界へ迎え入れる。頭の硬いおじいさまたちもそう仰せだよ」
「思ってもないことを……」
つまり長老たちは、燐を通じて星夜たちの魂を監視していたのだ。
仙界を破滅に陥れた、罪人として。
『五悩』を克服してみせろ。
それは慈悲を与えられたわけではない。
そんなこと、はなからできるはずはないのだと、嘲笑われているのだ。
ただの人間でしかなくなった星夜たちがくり返す人生は、仙人たちの娯楽のひとつにすぎなかった。
「でも今回は運がよかっただけ。『五悩』を克服するなんて、現実的に無理な話だろう? だから、この子は僕がもらうね」
花梨を抱きすくめた燐は、指で髪を梳き、その脳天にちゅ、と口づけを落とした。
「可愛い可愛い愛花……つらかっただろう。もう苦しまなくていいんだよ」
そのときだ。うなだれていた花梨の指先がぴくりと動き、ゆっくりと、顔を持ち上げた。
「……燐、
花梨の口からつむがれた言葉に、燐はまばたきをひとつ。それから、歓喜に声を上ずらせた。
「愛花、思い出したのかい? そうだよ、僕がきみの
燐は涙ながらに、花梨を両腕で掻き抱く。
「でも愛花、星藍と契りをむすんでしまったね? いけない子だ。まだ、まだ間に合うよね。僕が上書きしてあげる。禊を行い、正しい方法で双修をおさめれば、きみは僕の伴侶になって、永遠の時を幸せに生きることができるんだよ。情愛にまどわされず、師兄として愛することを誓うよ、僕の
もはや、燐には花梨以外の何者も見えてはいないようだった。
「いい加減にしろ、燐!」
もう我慢の限界だった。たまらず詰め寄ろうとする星夜だったが──
「思い出しました。えぇ、ぜーんぶ思い出しましたよ」
「愛花……」
「散々好き勝手やってくれたわね……こんのばかやろうッ!」
ごちんっ!
盛大な音が、ひびきわたる。
「は……」
星夜は目を疑った。まさか花梨が、燐へ頭突きを食らわせたなんて。
「あぁもう、いったいわね!」
「う……何をするんだ、愛花……!」
「燐師兄さまこそ何してくれちゃってんのよ! この過保護! はっきり言ってウザい! 何回言えばわかるわけ!?」
ぎゃあぎゃあとまくし立てる花梨のすがたを見て、星夜はそうだった……と思い出す。
愛花は花のように可憐な乙女だが、その性格は負けず嫌いで、目上の者が相手だろうが言いたいことは言わないと気がすまない、肝っ玉の持ち主なのだった。
「そんな言い方はないだろう! 僕がどれだけきみを想っていると……!」
「もしかして燐師兄さま、こどものころにした結婚の約束とか真に受けるタイプ? 頭の中お花畑なロマンチストなの?」
「愛花!」
だめだ。一度ブチ切れた彼女は止められない。
たとえそれが星夜であっても、だ。
「あのね燐師兄さま、孤児だった私を師匠のもとに連れていってくれた恩は、忘れてないわ」
「なら……!」
「だ・け・ど! それとこれとは話が別! 後から来た星藍のこと目の敵にしてたし、そのころからじゃない、燐師兄さまが私を外に出してくれなくなったの。私、閉じ込められて、さびしかったのよ……!」
「それは、愛花を守るためだったんだ! きみの力を狙うやからに、傷つけられないように……!」
「そんなことたのんでないわよ! 傷つけられるのを恐れて、何を得られるっていうの? 孤独にさいなまれる以外の何を? 私が蝶よ花よと愛でられて喜ぶお姫さまだとでも思っていたの? 燐師兄さま!」
燐は唇を噛む。反論できないことを、自覚しているためだ。
「でも、星藍が私を連れ出してくれたの。星がきれいだって、外の世界を教えてくれたの。ひとを愛する心の豊かさと尊さを、燐師兄さまは理解できていないのよ。だから星藍に勝てないんだわ」
「っ、愛花ッ!」
余裕を崩さなかった燐が、そこでようやく声を荒らげる。
「だめじゃない、燐師兄さま。怒りも『五悩』のうち、でしょう?」
「くっ……!」
ひるむ燐へ、花梨は最後の刃を突き立てる。
「燐師兄さま、いい加減認めて。あなたの『それ』は、愛欲よ。だからこそ、私があなたと夫婦になることはない」
……沈黙。
燐は茫然自失に陥り、うなだれていた。