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第43話 何してくれちゃってんのよ

 婚約パーティー会場となるホテルのバックヤード、セキュリティー管理室の扉を開け放ち、星夜せいやが飛び出した。


(これは罠だ! くそっ……!)


 誤作動などではなかった。セキュリティーシステムは、正常に作動していた。

 何事もない風景を映し出していた防犯カメラの映像は、ハッキングにより書き換えられていたのだ。

 至急、防犯カメラの映像を解析した星夜の目に飛び込んで来たものは、レンズ越しにこちらをふり返る男の笑みだった。


花梨かりんが……彼女が危ない!)


 七海ななみの制止を振り切り、飛び出した星夜は、パーティー会場へ急行する。

 そこで、星夜は衝撃的な光景に遭遇する。


「おや、遅かったじゃないか」


 櫻子さくらこ芳彦よしひこをはじめとし、パーティーに招かれたゲストたちが、意識を失って倒れている。

 その異様な現場で、ひとり佇んでいる男のすがたがある。

 男の腕には、花梨が抱かれていた。

 刹那、燃え上がるような怒りが、星夜のからだの芯からこみ上げる。


リン、貴様……っ!」

「あぁ、やっぱり思い出してたか。『今世のきみ』は、どこか違う気がしていたんだよね──星藍シンラン?」

「彼女を離せ! さもなくば……!」

「こらこら。せっかく可愛い妹に再会できたんだから、すこしは感動にひたらせてくれよ」


 やれやれ、と肩をすくめた男のすがたは、一瞬後に豹変する。

 現代日本にそぐわぬ純白のきものに、まばゆい白銀の髪。

 浮世離れした美貌をもつ男が、そこにいた。

 不破螢斗ふわけいとという人間は、はじめから存在しない。その正体は、常人などではとうてい太刀打ちできない神仙、燐だったのだ。

 燐の手前には、和紗かずさが倒れている。こちらも意識がない。


「和紗! うちの嫁さんに何しやがった、このコスプレ野郎……!」


 遅れて駆けつけた七海が、倒れた和紗を目にし、怒りをあらわにする。

 星夜はすぐさま、声を張り上げて制止した。


「来るな七海!」

「んなこと言われて黙ってられますか!」

「来るな! おまえが敵う相手じゃない!」

「社長……!」


 なんと言われようが、譲るつもりはない。

 七海を守るためにも、星夜はここで引くわけにはいかなかった。


(この状況で、俺がなすべきことは)


 深く息を吐き出し、星夜は正面へ向き直る。


「何を企んでいる、燐」

「人聞きが悪いな。きみたちの最期があまりに可哀想だったから、その哀れな魂を救いにきただけだよ」

「この……!」

「おっと、下手な真似はしないほうがいい。いまのきみはただの人間だ。僕に敵うわけがないだろう?」


 星夜はぎり、と奥歯を噛みしめる。螢斗、いや燐の言葉は真だ。

『あの日』──仙界を襲った邪龍を、愛花アイファがその命をもって退けた。


(そうだ、思い出した。愛花が一身に受けた呪いを、俺は引き受けたんだ)


 星藍はすでに邪龍に致命傷を負わされていた。

 その上呪いを肩代わりしようとしたのだから、無理が祟ったのだろう。どうりで転生後の肉体にも呪いが刻まれていたはずだ。


「情愛に溺るるべからず。『五悩ごのう』を滅すべし。さもなくば、わざわいが訪れん──男女の情愛は『五悩』を引き起こす。そして負の感情を好んで喰らう邪龍が仙界に現れたのだから、きみたちの罪は軽いものではないよね?」

「まだそんなばかけたことをほざくのか。情愛が禍事まがごとなら、なぜ愛花の力で邪龍は滅したのか。彼女は清廉そのものだ。そして俺たちの想いは、誰にも罪に問えるものではない!」

「変わらないねぇ……きみも」


 話が通じる相手ではないと解釈したのか、燐は星夜からふいと顔をそむけ、腕に抱いた花梨へ視線を落とす。


「本来ならば、この子の双修道侶になっていたのは僕だったのに。きみみたいなよそ者に奪われて、僕は……あぁいけない、嫉妬はいけないね。邪龍に食べられてしまう」


 燐はにこりと笑みを浮かべる。

 人形のように温度のない笑みだ。


「僕も無慈悲じゃないから、きみたちがとほうもない人生をくり返しているのを、哀れに思っていたんだ」

「くり返す? どういうことだ」

「おや、そこは自覚がなかったか」


 怪訝な視線を向ける星夜へ、燐は驚くべき真実を口にする。


鷹月星夜たかつきせいや愛木花梨ひめきかりん。あぁ、『前』のこの子は、愛木家には引き取られなかったか。要するにね、今世はきみたちの一度目の人生ではないんだよ。きみたちは出会うたび、命を落とす……そんな悲しい人生を何度もくり返していた。呪いのせいでね」

「なんだと……」

「その証拠に、この子は『前』の記憶があったろう? どうして『前』の記憶だけ引き継がれたのかは、僕もわからないけれど」


 信じられないが、燐の言葉には心当たりがあった。


 ──私には、前世の記憶があるんです。


 星夜も、花梨の口からそう聞いたのだから。


(愛花には、ひとの心情を色彩変化で感じ取る能力があった)


 生まれ変わりの花梨にも、その能力が『好感度ゲージ』として受け継がれたのだろう。


「皮肉なことだけど、『不破螢斗』が引っ掻き回したことで、きみたちの絆はより深まった。『五悩』のひとつ、嫉妬の試練を乗り越えたんだ」

「それは、ほかにも四つの試練があるとも取れるが?」

「そうだね。すべての試練を乗り越え『五悩』を克服したあかつきには、きみたちの情愛を認め、ふたたび仙界へ迎え入れる。頭の硬いおじいさまたちもそう仰せだよ」

「思ってもないことを……」


 つまり長老たちは、燐を通じて星夜たちの魂を監視していたのだ。

 仙界を破滅に陥れた、罪人として。


『五悩』を克服してみせろ。


 それは慈悲を与えられたわけではない。

 そんなこと、はなからできるはずはないのだと、嘲笑われているのだ。

 ただの人間でしかなくなった星夜たちがくり返す人生は、仙人たちの娯楽のひとつにすぎなかった。


「でも今回は運がよかっただけ。『五悩』を克服するなんて、現実的に無理な話だろう? だから、この子は僕がもらうね」


 花梨を抱きすくめた燐は、指で髪を梳き、その脳天にちゅ、と口づけを落とした。


「可愛い可愛い愛花……つらかっただろう。もう苦しまなくていいんだよ」


 そのときだ。うなだれていた花梨の指先がぴくりと動き、ゆっくりと、顔を持ち上げた。


「……燐、師兄にいさま」


 花梨の口からつむがれた言葉に、燐はまばたきをひとつ。それから、歓喜に声を上ずらせた。


「愛花、思い出したのかい? そうだよ、僕がきみの師兄あにだ。あぁやっとだ、やっと! このときをどれほど待ちわびたことか!」


 燐は涙ながらに、花梨を両腕で掻き抱く。


「でも愛花、星藍と契りをむすんでしまったね? いけない子だ。まだ、まだ間に合うよね。僕が上書きしてあげる。禊を行い、正しい方法で双修をおさめれば、きみは僕の伴侶になって、永遠の時を幸せに生きることができるんだよ。情愛にまどわされず、師兄として愛することを誓うよ、僕の阿妹アーメイ……!」


 もはや、燐には花梨以外の何者も見えてはいないようだった。


「いい加減にしろ、燐!」


 もう我慢の限界だった。たまらず詰め寄ろうとする星夜だったが──


「思い出しました。えぇ、ぜーんぶ思い出しましたよ」

「愛花……」

「散々好き勝手やってくれたわね……こんのばかやろうッ!」


 ごちんっ!

 盛大な音が、ひびきわたる。


「は……」


 星夜は目を疑った。まさか花梨が、燐へ頭突きを食らわせたなんて。


「あぁもう、いったいわね!」

「う……何をするんだ、愛花……!」

「燐師兄さまこそ何してくれちゃってんのよ! この過保護! はっきり言ってウザい! 何回言えばわかるわけ!?」


 ぎゃあぎゃあとまくし立てる花梨のすがたを見て、星夜はそうだった……と思い出す。

 愛花は花のように可憐な乙女だが、その性格は負けず嫌いで、目上の者が相手だろうが言いたいことは言わないと気がすまない、肝っ玉の持ち主なのだった。


「そんな言い方はないだろう! 僕がどれだけきみを想っていると……!」

「もしかして燐師兄さま、こどものころにした結婚の約束とか真に受けるタイプ? 頭の中お花畑なロマンチストなの?」

「愛花!」


 だめだ。一度ブチ切れた彼女は止められない。

 たとえそれが星夜であっても、だ。


「あのね燐師兄さま、孤児だった私を師匠のもとに連れていってくれた恩は、忘れてないわ」

「なら……!」

「だ・け・ど! それとこれとは話が別! 後から来た星藍のこと目の敵にしてたし、そのころからじゃない、燐師兄さまが私を外に出してくれなくなったの。私、閉じ込められて、さびしかったのよ……!」

「それは、愛花を守るためだったんだ! きみの力を狙うやからに、傷つけられないように……!」

「そんなことたのんでないわよ! 傷つけられるのを恐れて、何を得られるっていうの? 孤独にさいなまれる以外の何を? 私が蝶よ花よと愛でられて喜ぶお姫さまだとでも思っていたの? 燐師兄さま!」


 燐は唇を噛む。反論できないことを、自覚しているためだ。


「でも、星藍が私を連れ出してくれたの。星がきれいだって、外の世界を教えてくれたの。ひとを愛する心の豊かさと尊さを、燐師兄さまは理解できていないのよ。だから星藍に勝てないんだわ」

「っ、愛花ッ!」


 余裕を崩さなかった燐が、そこでようやく声を荒らげる。


「だめじゃない、燐師兄さま。怒りも『五悩』のうち、でしょう?」

「くっ……!」


 ひるむ燐へ、花梨は最後の刃を突き立てる。


「燐師兄さま、いい加減認めて。あなたの『それ』は、愛欲よ。だからこそ、私があなたと夫婦になることはない」


 ……沈黙。

 燐は茫然自失に陥り、うなだれていた。

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