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第39話 ともに闘おう

 ──師匠の姿が見当たらないんです。


 困惑した愛花アイファから星藍シンランが相談を受けたのは、朝の身支度をととのえてすぐのことだった。

 この日は西派の宿舎で迎える最後の朝。

 朝一番にランへあいさつをすませ、昼までに愛花とともに出立する予定だったが──


「星藍! 師匠が……師匠が!」

「なっ……蘭師匠!」


 捜索をはじめてしばらく、星藍と愛花によって蘭は発見された。

 裏山の奥深く、鬱蒼とした森の中で、変わり果てた姿となって。


「なんなのよ、これっ……気持ち悪い!」


 蘭は、木の幹にはりつけにされていた。

 だが、蘭を縛るのは縄などではない。

 ドクドクと脈打つ、赤黒い血管のようなものだ。

 すぐさま、星藍と愛花は剣を抜き払う。不気味な血管もどきを切り裂き、はりつけにされた蘭を救出した。


「蘭師匠、なにがあったのですか!」

「だめ……息をしていないわ、星藍!」

「くそっ……!」


 横たえられた蘭は、ぐったりと意識がない。


(外傷はない。が、呼吸をしていないなんて、まるで生気を吸い取られたような……まさか、あの血管のようなモノのせいなのか!?)


 危険な状態であることは、一目瞭然だった。


リン師兄にいさま! 師匠がこんな状態なのに、どこにいるのよ!」


 愛花の叫びは、もはや悲鳴だ。


「とにかく、蘭師匠を宿舎へ連れ帰ろう。ほかの四長老にも知らせを飛ばして、医仙を派遣してもらうんだ」

「はい……わかりました」


 愛花はこぼれそうになる涙を袖でぬぐい、星藍へうなずき返す。

 そしていざ、星藍が蘭を抱き上げようとしたとき──


 ……ズ……ズズ……


「──!」


 嫌な気配を感じ、ふたりははじかれたようにふり返る。

 その視線の先で、木陰がゆらめく。

 厚い雲がかかり、かろうじて覗いていた晴れ間を、完全に覆い隠した。


 ……ズズ……


 うごめく影が、木の幹をつたい、地面を這う。

 影はまるで意思をもった生き物のように動き回り、その黒を色濃くしてゆく。


『……り……ぬ……足りぬ……こんなものでは、我は満たされぬ……』


 星藍と愛花は、絶句した。

 目の前に現れたソレは、あきらかな異形のモノ。

 ぎょろりと目を血走らせた、漆黒の龍の姿をしていた。


 とたん、あたり一帯に禍々しい瘴気が立ち込める。

 漆黒の龍。それがなんなのか、星藍たちは本能的に悟った。


「邪龍……っ!」


 あり得ない。だが夢などではない。

 世界を滅ぼす災厄が、数千年ぶりに姿を現したのだ。


 ドクン、ドクン──


 星藍の視界に、地面に散らばった赤黒い断片が映る。

 不気味な血管のようなモノ。禍々しいその色彩は、漆黒の鱗と血のような瞳を持った邪龍とよく類似している。


「まさか……アレで蘭師匠の生気を喰らったのか!」


 なんともおぞましい話か。

 すべてを理解したとき、ふたりは怒りで身が火照るのを感じた。


「あんたが師匠をこんな目に遭わせたのね……許さない!」


 果敢にも、邪龍へ剣のきっさきを突きつける愛花。

 だが邪龍は長い首をかたむけて、じっと愛花を見つめるのみ。


『小娘……うまそう、だな』

「なんですって?」

『おまえに絡みついた、嫉妬の情……我を呼び出した者の闇……極上のにおいだ』

「呼び出した……?」


 邪龍を呼び寄せるほど激しい負の感情をいだいた者が、この仙界にいる。

 それも、先の央派の師兄の比ではない激情の持ち主。

 悔しいが、それは否定しようのない真実だ。

 そうでなければ、邪龍が現れたことの説明がつかない。


「邪龍よ、いまなら間に合う。寝ぼけるのもそこまでにして、いま一度眠りについてはくれまいか。そのほうがおたがい穏便に事がおさまるだろう」

『ハッ、小童が生意気な』


 わずかな期待を込めて提案するも、邪龍は鼻で笑い飛ばす。

 星藍は嘆息。愛花を背にかばうさなか、剣へ手をかける。

 が、そんな星藍の袖を引く者があった。当然ながら、愛花だ。


「星藍、私も闘えます」

「愛花……」


 そうだ。彼女はもう、だれかの言いなりになるだけの人形ではないのだ。


「あぁ、ともに闘おう」


 たしかな意志を宿した愛花へ、星藍も力強くうなずき返した。


『腹が空いてたまらぬ……骨の髄まで、我が喰ろうてやるわ!』


 目を剥いた邪龍が、大口を開けて襲いかかってくる。


「させないわ!」


 ビュオウッ!


 突如吹きつけたつむじ風が、邪龍の鱗を切り裂く。


『グゥ! 小娘ェ……!』

「さすが、騶虞すうぐの加護を受けた法具の威力は絶大ですね」


 先制をしかけた愛花の手には、真白い羽扇がにぎられていた。それによって巻き起こした突風で、邪龍を退けたのである。


『小癪な!』


 ヴン!


 邪龍が長い体躯で、空間を薙ぎ払う。

 瞬時に跳躍して回避した愛花がひらりと着地するころ、根もとからへし折られた木が、めりめりと軋みながら倒れた。


『ちょこまかと……』

「よそ見とは悠長だな」


 間髪をいれず、目にも止まらぬ速さで剣を抜き払った星藍が一閃。


 キン!


 だが無情にも、刃は邪龍の鱗にはね返されてしまう。


「硬いな……この剣ではだめか」

『ごちゃごちゃと鬱陶しい!』


 キンッ、キンッ!


 鋭い爪で、襲いかかる邪龍。

 星藍は手首を返し、鋭利な爪の軌道をはじく。

 そのたびに、火花が散った。


「ならば、こちらにも考えがあるぞ」


 逆上した邪龍の攻撃を、星藍は後方に跳んでかわす。


「邪龍の弱点……ほかとは異なる箇所」


 星藍は、冷静に戦況を見きわめていた。

 空中でくるりと体勢を立て直し、木の枝へ着地。

 そして枝のしなりをばねに、跳躍するのだ。


「──逆さに生えた、のど元の鱗!」


 邪龍めがけ、流星のごとく間合いを詰めるために。


「はぁッ!」


 渾身の力でもって、刃を突き立てる星藍。

 金剛石をも削る短剣が、邪龍ののど元の鱗を抉った。


『ギシャアアアア!!』


 響きわたる断末魔の叫び。

 激痛に悶絶する邪龍の巨体が、地を抉り、草木をなぎ倒した末に、糸が切れたかのごとく横たわる。


「……仕留めたか」


 しばらく警戒していた星藍だが、邪龍が起き上がる様子はない。

 逆鱗は龍の急所だ。一発で仕留められなければ、いまごろ八つ裂きになっていただろう。

 星藍は短剣を構える右手をおろし、安堵の息をもらした。


「星藍! やりましたね!」

「あぁ、騶虞の加護は本当にすごい。きみもよくやってくれた」

「ふふ、朝飯前です」

「たしかに、朝飯がまだだった」


 白い裾をはためかせながら駆け寄ってきた愛花と、冗談まじりに言葉を交わす。

 が、すぐに表情を引きしめた星藍は、ちらりと邪龍を見下ろした。


「愛花、悪いが蘭師匠を連れて、先にもどっていてくれないか」

「星藍はここに残るのですね」

「邪龍を放置するわけにもいかんしな。長老たちが駆けつけるまで、念のため俺がこいつを見張っておく。これだけさわぎになれば、じきに燐たちも駆けつけるだろう」 

「そうですね……本当に燐師兄さまったら、この一大事にどこをほっつき歩いてるのかしら!」

「まぁまぁ」


 ぷりぷりと腹を立てる愛花を、なだめる星藍。

 ざっ、ざっと、落ち葉を踏みしめる音に気づいたのは、そのときだ。


「……なんだ?」


 邪龍をへだてた向こう側の木陰に、人影を見た。

 怪訝に思った星藍が目をこらすと、そこにたたずんでいたのは、白銀の髪の美青年。


「…………燐?」


 無意識のうちに、彼の名を呼んでおり。


 ──ザシュッ!


 そんな星藍の視界に、鮮血が飛び散る。

 遅れて胸のあたりが、カッと熱を宿した。


「なっ……星藍!」


 血の気を失った愛花が、駆け寄ってくる。

 そのさまを、星藍はひどくぼんやりとながめていた。


 無意識のうちに、胸へ手を当てる星藍。

 べっとりとしたものが、胸のあたりにまとわりついている。

 自身の手が真っ赤に染まったさまを目にし、ようやく、胸を裂かれていることを理解した。


「あ、くぅ……」

「星藍! そんなっ……星藍っ!」


 愛花の呼び声が、くぐもって聞こえる。

 遠のく意識を、星藍は、どうすることもできなかった。



  *  *  *



 ──平和が崩れ去るときは、一瞬だ。


 星藍が意識を取り戻したとき、あたりは漆黒の闇夜につつまれていた。


「俺はいったい……うぐっ!」


 強烈な頭痛、そして胸の痛みに、星藍はうずくまる。


「邪龍は、倒れたのでは、なかったのか……!」


 鋭い爪のようなモノで裂かれた胸の傷。

 そこへまとわりつく禍々しい瘴気は、邪龍の放っていたものだ。


 どれだけ気を失っていた?

 邪龍はどうなった?


「愛花……どこだ、愛花……!」


 こうしてはいられない。愛花をさがさねば。

 星藍は歯を食いしばり、激痛に耐えながら地面をずりずりと這う。


「愛花……!」


 やがて、愛花の姿を見つけた。

 漆黒の闇夜を突き抜ける紅蓮の火柱が、煌々と照らす場所に、愛花はいた。

 ぼろぼろになって、邪龍と対峙している。

 愛花の背後は断崖絶壁。逃げ場はない。


「愛花! 待っていろ、すぐに……!」

「いけません。あなたは深手を負っているでしょう。立ち上がる気力も残っていないはずです」


 邪龍から視線を外さないまま、愛花は星藍へ告げる。


「ならば私が、成し遂げてみせます」


 そのとき、星藍は悟った。

 愛花は、己が命を賭して邪龍を滅するつもりなのだと。


「よせ、愛花……愛花ッ!」


 燃え上がる炎が、星藍の叫びを阻む。


 ──ギシャアアアア!!


 邪龍が咆哮をとどろかせる。

 羽扇を手にした愛花が、地を蹴って高く跳躍した。

 目を刺すようなまばゆい光が、漆黒の闇夜を照らす。


「愛花ぁあああッ!!」


 ──半狂乱になって絶叫したあとのことを、星藍はよく覚えていない。



「──おまえが悪いんだよ。僕から、あの子を奪おうとするから」



 ただ、抑揚のないだれかの声が、星藍の脳裏に、おぼろげに残っている。

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