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第36話 罪ではない

「なるほど。そんなことで、肩身の狭い思いをしているのだな。可哀想に」

「そんなこと……?」


 男女の色恋は禁じられている。

 だからこそ、星藍シンラン愛花アイファは息苦しい生活を強いられているというのに、ふたりの憂いを、騶虞すうぐはバッサリと切り捨てるのだ。


「情愛が悪しきモノを呼び寄せる? ばかばかしい。それが本当なら、人の世はとっくに魑魅魍魎ちみもうりょうであふれ返っておるわ」

「そ……それはどういうことですか、騶虞!」


 なにを言われたのか、星藍はすぐに理解できなかった。それは愛花も同様であったらしい。

 混乱するふたりへ騶虞が放った言葉は、衝撃的なものだった。


「よいか、情愛が邪龍を呼び寄せるのではない。やつの好物はあくまで負の感情。国と国の王族たちが世紀の大恋愛の末に結婚するか、はたまた領地をめぐって殺し合いの戦争をするなら、邪龍は後者のほうに喜んで食らいつく」

「そんな……じゃあ、色恋をすることと邪龍は、関係ないの……?」

「まったく関係がない、とも言いきれぬが……ふむ。ワタシが思うに、こういうことであろう」


 ひとつ断って、騶虞は見解を口にする。


「見たところ、ここはかつての仙界と比べ、実力のある仙人たちがすくなくなっている。このままでは、もし邪龍があらわれたとき、滅することも、封印することも叶わぬ。ならば、邪龍を呼び寄せる可能性のあるものを、徹底的に排除すべきだ──先の長老どもはそう考えたのではないか」

「待ってくれ、それでは、つまり……」

「そうだ。要するに、怯えているのだよ。邪龍という存在に。力がないゆえに過剰になにかを排除してしまう、悲しきひとのさがだ」


 星藍も愛花も、騶虞がなにを言わんとしているのか、ようやく理解した。

 邪龍を恐れるがゆえに、仙界から排除されたもの──それが、情愛なのだ。


「独占欲だとか嫉妬だとかは、度がすぎれば邪龍の好物となるだろうが、だからといって過剰に怯える必要はない。むしろそちらのようにまったく穢れのない、ワタシの毛並みのようにまっさらな純愛は、邪龍も嫌うものだ。まったく、どこのだれが事実をねじ曲げたのかは知らんが、間違った伝承がつたえられていたようだな……」


 まるで、雷に撃たれたかのような衝撃だった。


「なら……俺たちは、俺たちのこの想いは、罪などではないのか……?」


 やっとの思いで星藍が絞り出した言葉は、震えていた。


「なにを言うか。たがいを愛し、ひとを信じる心を持ったそちらが、ワタシを救ったのではないか」


 なかば呆然と立ち尽くす星藍、そして愛花へ、騶虞は歩み寄る。


「仁愛をつかさどるワタシが断言する。愛は罪などではない。なにがあろうと、ゆめゆめ忘れるな」


 そこまで言われてしまえば、もうだめだった。


「ふぇ……」

「……愛花」


 硝子玉のような愛花の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙があふれる。

 ふるえる愛花の肩を抱いた星藍も、込み上げる熱をこらえきれない。


「おぉ、ひとの子よ。愛すべきこどもたち。ままならぬ日々に疲れたろう。おいで。ワタシのもとで、ひとやすみしておゆき」


 星藍が見上げるほど大きな体躯を持つ騶虞が、体勢をかがめ、前足で星藍と愛花をすっぽりつつみ込んでしまう。


「きっと、歯を食いしばって生きてきたのだろうなぁ。いいこ、いいこ……」


 つつみ込むぬくもりは父の胸のごとくたくましく、耳に届く声音は、母の子守唄のごとくやさしかった。

 星藍と愛花を前足に抱いた騶虞は、ふたりの頭へ、代わる代わるあごや鼻先をこすりつける。

 大きな手のひらになでられているみたいだと、ふたりは顔を見合わせて笑った。


「これから、不条理に直面することもあろう。だが、臆することはない。心を強く持て。けっして──負けるでないぞ」


 そうだ。『ふたりぼっち』ではない。

 騶虞が、力をくれたのだ。

 先の見通せぬとほうもない道のりに、光を灯してくれた。


 嗚咽をこらえ、星藍と愛花は、うなずいた。

 手に握りしめた短剣と羽扇からも、じんわりとぬくもりがひろがるのを感じながら。


 身を寄せ合ってすすり泣く星藍と愛花が落ち着くまで、騶虞はずっと、そばにいた。

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