淡青の空のもと。
真新しい青藍色の衣に身をつつんだ
そこは
「失礼いたします」
入室の際に星藍が拱手すれば、純白の衣をまとった婦女がふり返り、笑みを浮かべた。
「よくぞまいった。こちらへ来なさい」
彼女こそ五長老の筆頭、
* * *
桃の花を模した飾り窓をながめる座卓で、星藍は蘭と向かい合う。
「此度は大儀であったな、星藍──いや、
そういって茶杯へ口をつけた蘭に、星藍は苦笑をもらす。
「蘭師匠、あんまり仰々しい呼び方はやめていただけますか」
「そなたが荒ぶる瑞獣を鎮めたのは事実。次世代の東派をになう筆頭弟子として、称号を授けられるのも当然のことだ」
「何度もいうようですが、俺ひとりで成したことではありません。最近は西派の師兄にもぺこぺこされて、調子狂うったらありゃしないんですよ。こんな名剣もらっても、持てあますだけだし……」
星藍は左の膝もとに寝かせたひと振りの剣をちらりと見やり、ため息をついた。
「そなたは謙遜が過ぎる。それが美徳ともいえるがな」
「出世には興味ないんだけどな……」
──西派の練武場で、
あれから星藍の日常は、まばたきをするかのように一瞬で、めまぐるしく変化していった。
結論からいうと、星藍は出世した。
騶虞を鎮めた実力を認められたのだ。
その功績をたたえて真君の称号と剣の授与が長老会議で決定。すみやかにとりおこなわれた。蘭の推薦が大きかったらしい。
鳳來山ではこの話題で連日持ちきり。いまや時の人となったものの、あまり目立ちたがらない性分の星藍としては、複雑な心境でもあった。
「その剣を飾る宝玉は、『
蘭の言葉を受け、星藍はあらためて剣を見下ろした。
漆黒の鞘。柄の根もとには円環状の刀環があり、そこに青藍色のふさ飾りと、宝玉が括りつけられている。
『彩晶石』と呼ばれたその宝玉は、黒曜石のような深い漆黒。そしてよくのぞき込むと、青みをおびた
それはまるで、夜空にちらばった星のごとく。
これにより星藍は、『蒼星真君』というほまれ高い称号を与えられた。
「『彩晶石』は、相応の実力者でなければ色を変えない。色が変わらなければ、鞘も抜けない。剣がそなたの力を認めたあかしだ。もっと胸を張りなさい」
「蘭師匠がおっしゃるなら」
そこまで言われてしまえば、過ぎた謙遜は失礼に当たるだろう。星藍も言い募ることをやめた。
ひとつ呼吸をして、星藍は居住まいをただす。
「蘭師匠、こちらでの合同稽古も残りわずかとなりましたので、本日はごあいさつにうかがいました」
「もう三月たつか。はやいものだな」
茶杯を置いた蘭は、花型の窓の向こうへ視線をやり、瞳を細めた。
「東派へもどってから、どうするつもりだ」
「ひとまず、下界をふらふらほっつき歩いてる師匠をとっ捕まえます。あんたが長老会議を欠席してるあいだに弟子が出世したぞってことを、一応教えてやらないと」
「ほほ、
「な、なんでそうなるんです!?」
「おや、そのために私へ話を通しに来たのではないか?」
「いや、ふつうにあいさつに来ただけです……蘭師匠もお人が悪い」
なにもかもを見透かしたような蘭に、星藍はどきりとする。
『そういうこと』がまったく頭をよぎらなかったわけでもないのが、余計にいたたまれない。
「そなたがいうなら、愛花も喜んでついて行くと思うが、
「でしょうね」
「だが星藍、あの子のことは、どうか悪く思わないでやってほしい」
「……蘭師匠?」
「……そなたには、話しておこう」
そこまで口にした蘭は、終始にこやかだった表情をひそめ、星藍を正面から見据えた。
「燐は私の筆頭弟子であり、血を分けた息子だ」
突然の蘭の告白。
星藍は多少おどろきつつも、「あぁ、やはりな」と心の奥底で納得しているおのれがいることに気づいた。
まだ人間だったころの星藍の感覚で、蘭は四十前後の外見。実際は数百年生きているだろう。
燐の美しい顔立ちは、そんな蘭に似ている。
彼らが親子だということが、表立って語られない理由は──
「私は兄弟子と双修をおこない、その末に燐を授かった。双修の際は避妊の薬湯を飲むのだが、師兄にすり替えられていてね」
「すり替えられていた……?」
「そう、ただの薬湯に。どうやら師兄は、最初から私を手篭めにするつもりだったらしい。恋愛の情をいだいているからと」
とつとつと語る蘭の声音は、ひどく静かなものだ。さまざまな感情を、押し殺しているかのように。
「私も師兄を尊敬していたが、男女の意味で愛してはいなかった」
「ではその師兄は……」
「仙界の掟をやぶった罰に、下界へ追放された。今回の央派の弟子のようにな」
星藍の実力に嫉妬し、騶虞を暴走させる原因をつくった師兄は、事件後すぐに仙籍を剥奪され、下界へおとされた。
ならば、私欲のために蘭をおとしいれた師兄がどのような罰を受けたのかも、想像に難くない。
「さいわい、燐を生むことは許されたが……人として生まれ、仙人となったそなたとは違い、燐は生まれたときからこの世界にいる。物心がついたときから、感情を律することを教えられていたのだ」
しかし、人形のように長老たちにしたがっていた燐が、あるとき幼いこども──愛花をつれてきて、面倒を見たいのだと頼み込んできた。
いまでは愛花の存在が、燐の動力源であるともいえる。
「はじめてあの子自身が望んだことだ。私も見守るつもりでいたが……そなたがやってきてから、考えが変わった」
「俺、ですか?」
「あぁ。そなたと接するようになって、愛花がよく笑うようになった。そなたは感情を素直に表現するが、そこに不快感がない。そなたと愛花を見ているうちに、私は疑問に思ったのだ。かつて師兄に向けられた愛情は、本当に間違いだったのかと。私は……純粋な想いを、無下にしてしまったのではないのかと」
星藍ははっとした。蘭が言っていることは、つまり。
「男女の色恋は、罪ではないと……?」
おそるおそる問う星藍。
蘭はふわりと、笑みを浮かべた。
「私は、そう信じたい」
とたん、星藍の胸に熱いものがこみ上げる。
仙界において、それは禁忌だ。
だが、ひとりでも理解を示してくれるだれかがいるというだけで、こんなにも心強い。
「燐には悪いですが、愛花は俺が娶ります」
気づけば、自然とそう口にしていた。
星藍の言葉に、蘭も満足げに笑む。
「不思議だな。どんなに不可能なことも、そなたならばやってのける気がする。私は、掟にとらわれたままでいることが、燐の幸福だとは思えないのだ。……なんて、ろくに愛情を注げもしなかったくせに、よく言えたものだが」
「そんなことはありません。燐を想うその気持ちは、立派な愛情です。俺はそう思います」
自嘲気味な蘭に向かって、間髪をいれずに星藍が断言する。
すると蘭は照れくさそうに、「そなたは大物になる」と、冗談まじりにはにかんだ。
(あぁ、愛花……無性に会いたい。きみを抱きしめたい)
この日、蘭と交わした言葉は、星藍にとって大きな力となった。