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第33話 もう大丈夫

 突如現れた星藍シンランへ、リンは問う。


「きみは現状を理解しているのかい?」

「さぁな。まぁ十中八九、そこの師兄がろくでもないことをしたんだろう」

「あぁそうだとも。そのおかげで騶虞すうぐが堕ちてしまった。僕が始末をつける。退いてくれ」

「──!」


 燐は淡々と言い放つや、容赦なく星藍の手もとめがけ剣をふるう。


 ──ばきぃ。


 嫌な音がした。星藍の手からはじき飛ばされた剣は、まっぷたつにへし折れてしまった。


「うん、酢でもぶっかけたみたいに、錆が酷かったものなぁ」


 肝心の星藍は、うろたえた様子を見せない。

 すこし肩をすくめてみせただけで、燐へ向き直る。


「らしくないぞ、燐。きみにしては感情的だ」

「……何が言いたいのかな?」

「べつに責めてるわけじゃない。まぁ聞いてくれ」


 燐を見つめる澄んだ黒い瞳は、じつに落ち着き払っている。


「きみがわざわざ動くとなれば、理由は愛花アイファだ。そしてやけに見覚えのある師兄も居合わせているときたら、おのずと状況は把握できる」

「それは僕が、愛花に関することで憤っていると?」

「ちがうのか? 自然なことだと思うが」


 燐は黙り込む。星藍が何を言わんとするのか、悟ったためだ。


「なんだかんだ言ってすました様子でも、ちゃんとそいつに対して腹が立ってたんじゃないか。ふだんのきみらしくない。だが、人間らしい。そうしているほうが、俺も好ましいと思うぞ」

「……冗談はやめてくれ。僕たちは仙人であって、人間ではない」

「長年の思想を変えるのは、そう簡単ではないか」

「おしゃべりしているひまがあるのかい。そんなところに突っ立っていたら、八つ裂きにされてしまうぞ」

「そう殺気立つな。感情的なきみは嫌いではないが、結論を焦って出すのはよくない」

「だから──」


 言い募ろうとしたそのとき、燐ははっとする。

 星藍を取り巻く空気が、一変したのだ。


 ……ヒュオウ。


 夜風が渦巻く。

 星藍の手のひらに、『気』が集束していく。


「俺とて、いつまでもきみに負けているつもりはないぞ」


 やがて星藍の両手に、蒼い光を放つふた振りの剣が現れた。


剣気けんき……まさか、剣罡けんこうを習得していたのか!」


 驚愕する燐。その一瞬のすきを逃さず、星藍はふみ込む。


「せいッ!」


 両腕を交差した星藍が、蒼い剣をふるう。

 ふたつの刃から解き放たれた十文字の衝撃波が、燐に迫る。


「くっ……!」


 燐はとっさに剣で防御するも、火花が散るとともに、柄を手放してしまった。燐の手を離れた剣が地面に転がる。

 目にも止まらぬ早業。そして、圧倒的な衝撃だった。あとにはジンとした痛みが、燐の手首にひろがる。


「騶虞は苦しんでいる。俺は助けてやりたい」

「きみがどうやって荒ぶる獣を救うというんだい?」

「悪い、言葉足らずだったな」

「なんだって……?」

「助けてやりたいと思っているのは俺ではなく、だ」


 星藍はにっと、笑みを浮かべてみせる。


「──愛花!」


 直後、星藍の呼び声とともに、夜風がふわりと桃の花の香りを運んだ。


「きゃあ!? 星藍! 私がズッタズタにされてもいいんですか! 引きつけておいてくださいって言ったじゃないですか! 最後まで気を抜かないで!」


 信じられない光景を目の当たりにし、燐は瞳を見ひらいた。

 剣を手にした愛花が、騶虞の爪をひらりとかわし、きゃあきゃあと星藍へ文句を言っている光景だ。


「愛花、どうしてここに……!」

「さわぎにおどろいて部屋から逃げてきたんです。そういうことにしといてください、燐師兄にいさま!」


 それは言い訳を言い訳だと自白しているようなものではないか。燐は頭をかかえた。

 星藍は騶虞のほうへ向き直りながら、ちらりと視線をよこしてくる。


「愛花のことを見くびっていたな、きみたち」


 その言葉は央派の弟子のみならず、燐にも向けられたものだ。


「彼女は籠の中の鳥でなければ、窓辺に置かれた花瓶の花でもない。ただ愛でられるだけの、か弱い存在ではない」


 星藍はたいせつな存在を守るために手にした剣をかかげ、言葉をつむぐ。


「よく見ているといい。星空に舞い狂う、花のすがたを」

「ガル……グルァッ!」


 動くものに反応した獣のごとく、騶虞が星藍へ襲いかかる。


 ──ガキィイン!


 鋭利な爪を、星藍は交差した蒼の剣で受け止めた。

 身動きを封じられた騶虞の背後で、愛花が白い袖をひらめかせる。


 ──愛花は非力ゆえ、剣の才がないと思われがちだ。

 しかし彼女が『斬る』のは、肉や骨ではない。


 指先でふれるだけでしおれた草花が元気を取り戻し、雨上がりの濁った水たまりが澄みわたる──

 癒やしの力に長けた彼女の真髄が、いまここで発揮される。


「瘴気滅却──『桃花爛漫とうからんまん』」


 霧を払うように、愛花が剣をふった刹那。

 舞い上がった薄桃の花弁が、渦を巻いて騶虞をつつみ込んでゆく。


「怖いものは、何もありませんよ」


 やさしく語りかける愛花の声にまじって、ぷつん、と何かが切れる音。


「もう大丈夫」


 慈愛に満ちた少女の声を聞いた騶虞は、直後、糸が切れたように崩れ落ちたのだった。


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