突如現れた
「きみは現状を理解しているのかい?」
「さぁな。まぁ十中八九、そこの師兄がろくでもないことをしたんだろう」
「あぁそうだとも。そのおかげで
「──!」
燐は淡々と言い放つや、容赦なく星藍の手もとめがけ剣をふるう。
──ばきぃ。
嫌な音がした。星藍の手からはじき飛ばされた剣は、まっぷたつにへし折れてしまった。
「うん、酢でもぶっかけたみたいに、錆が酷かったものなぁ」
肝心の星藍は、うろたえた様子を見せない。
すこし肩をすくめてみせただけで、燐へ向き直る。
「らしくないぞ、燐。きみにしては感情的だ」
「……何が言いたいのかな?」
「べつに責めてるわけじゃない。まぁ聞いてくれ」
燐を見つめる澄んだ黒い瞳は、じつに落ち着き払っている。
「きみがわざわざ動くとなれば、理由は
「それは僕が、愛花に関することで憤っていると?」
「ちがうのか? 自然なことだと思うが」
燐は黙り込む。星藍が何を言わんとするのか、悟ったためだ。
「なんだかんだ言ってすました様子でも、ちゃんとそいつに対して腹が立ってたんじゃないか。ふだんのきみらしくない。だが、人間らしい。そうしているほうが、俺も好ましいと思うぞ」
「……冗談はやめてくれ。僕たちは仙人であって、人間ではない」
「長年の思想を変えるのは、そう簡単ではないか」
「おしゃべりしているひまがあるのかい。そんなところに突っ立っていたら、八つ裂きにされてしまうぞ」
「そう殺気立つな。感情的なきみは嫌いではないが、結論を焦って出すのはよくない」
「だから──」
言い募ろうとしたそのとき、燐ははっとする。
星藍を取り巻く空気が、一変したのだ。
……ヒュオウ。
夜風が渦巻く。
星藍の手のひらに、『気』が集束していく。
「俺とて、いつまでもきみに負けているつもりはないぞ」
やがて星藍の両手に、蒼い光を放つふた振りの剣が現れた。
「
驚愕する燐。その一瞬のすきを逃さず、星藍はふみ込む。
「せいッ!」
両腕を交差した星藍が、蒼い剣をふるう。
ふたつの刃から解き放たれた十文字の衝撃波が、燐に迫る。
「くっ……!」
燐はとっさに剣で防御するも、火花が散るとともに、柄を手放してしまった。燐の手を離れた剣が地面に転がる。
目にも止まらぬ早業。そして、圧倒的な衝撃だった。あとにはジンとした痛みが、燐の手首にひろがる。
「騶虞は苦しんでいる。俺は助けてやりたい」
「きみがどうやって荒ぶる獣を救うというんだい?」
「悪い、言葉足らずだったな」
「なんだって……?」
「助けてやりたいと思っているのは俺ではなく、
星藍はにっと、笑みを浮かべてみせる。
「──愛花!」
直後、星藍の呼び声とともに、夜風がふわりと桃の花の香りを運んだ。
「きゃあ!? 星藍! 私がズッタズタにされてもいいんですか! 引きつけておいてくださいって言ったじゃないですか! 最後まで気を抜かないで!」
信じられない光景を目の当たりにし、燐は瞳を見ひらいた。
剣を手にした愛花が、騶虞の爪をひらりとかわし、きゃあきゃあと星藍へ文句を言っている光景だ。
「愛花、どうしてここに……!」
「さわぎにおどろいて部屋から逃げてきたんです。そういうことにしといてください、燐
それは言い訳を言い訳だと自白しているようなものではないか。燐は頭をかかえた。
星藍は騶虞のほうへ向き直りながら、ちらりと視線をよこしてくる。
「愛花のことを見くびっていたな、きみたち」
その言葉は央派の弟子のみならず、燐にも向けられたものだ。
「彼女は籠の中の鳥でなければ、窓辺に置かれた花瓶の花でもない。ただ愛でられるだけの、か弱い存在ではない」
星藍はたいせつな存在を守るために手にした剣をかかげ、言葉をつむぐ。
「よく見ているといい。星空に舞い狂う、花のすがたを」
「ガル……グルァッ!」
動くものに反応した獣のごとく、騶虞が星藍へ襲いかかる。
──ガキィイン!
鋭利な爪を、星藍は交差した蒼の剣で受け止めた。
身動きを封じられた騶虞の背後で、愛花が白い袖をひらめかせる。
──愛花は非力ゆえ、剣の才がないと思われがちだ。
しかし彼女が『斬る』のは、肉や骨ではない。
指先でふれるだけでしおれた草花が元気を取り戻し、雨上がりの濁った水たまりが澄みわたる──
癒やしの力に長けた彼女の真髄が、いまここで発揮される。
「瘴気滅却──『
霧を払うように、愛花が剣をふった刹那。
舞い上がった薄桃の花弁が、渦を巻いて騶虞をつつみ込んでゆく。
「怖いものは、何もありませんよ」
やさしく語りかける愛花の声にまじって、ぷつん、と何かが切れる音。
「もう大丈夫」
慈愛に満ちた少女の声を聞いた騶虞は、直後、糸が切れたように崩れ落ちたのだった。