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第31話 どんな困難が待ち受けていようと

愛花アイファ……!」

星藍シンラン、星藍……!」


 抱き合う星藍と愛花。

 たがいの名を呼びながら、どちらともなく唇をかさねる。 


(……あまい、香りがする)


 愛花をきつく抱くほどに、それは強く香る。

 星藍はくらくらと酩酊にも似ためまいに見舞われながら、夢中になって愛花の唇をついばむ。


「愛花……」

「んっ……ふ」

「すきだ……きみが、好きだ……!」

「しんら…………んんっ……」


 涼しげなたたずまい。

 しかしその身の奥底に熱い想いを秘めた青年、星藍。

 彼に求められているという事実が、愛花を歓喜に打ちふるえさせた。


「おねがい、星藍……」


 甘い責苦にさいなまれながら、愛花は星藍の藍色の袖をにぎりしめ、懇願する。


「私を……あなただけのものに、してください」

「──ッ!」

「きゃっ……!」


 次の瞬間、愛花の視界がひっくり返る。

 思いきり星藍に肩を押され、草むらに倒れ込んだのだ。

 呆けたように夜空を仰ぐ愛花の視界には、無数の星。

 そしてそれをさえぎるように、星藍のととのった顔が、吐息がふれるほど間近に迫った。


「煽るのは、そこまでにしてくれ。俺もいい加減、辛抱たまらんぞ……」


 低く唸る星藍。この期におよんで、理性を総動員しているのか。これに愛花はもどかしさを感じる。


「辛抱なんて、しなくていいのに」

「あぁもう、きみって子は!」


 焦れた星藍が、叫ぶ。


「きみが思うより、俺はやさしくはないぞ。手加減の仕方なんてわからないし、何をするか自分でもわからない」


 体格差は一目瞭然だ。

 愛花に覆いかぶさり、自由をうばった星藍なら、愛花をどうにでもしてしまえる。

 それでもなお、星藍が理性を崩そうとしないのは。


「だいじにしたいんだ。一時の感情に流されるのではなくて、きちんと愛情をもって、きみを愛したい」


 誰よりも、愛花のことを第一に考える。

 そんな星藍だからこその、決意だった。


「まぁでも、言うだけならタダだから」


 かと思えば、ふと真顔になった星藍が、意味深なことを。

 こういうときの星藍は、たいていおかしなことを口走る。今回も、愛花の予想どおりだった。


「愛花、道侶なら俺となればいい。というか、いずれきみを抱くのなら、俺が責任を取るのが筋ってもんだろう」

「あなたって、結婚を前提にお付き合いをする典型的なひとなんですね。真面目というか天然というか」

「大真面目だぞ。これを実現するためには、絶対的に立ちはだかるであろう大魔神を倒さねばならないのだから」


 大魔神。言わずもがな、リンのことだ。


「あのほほ笑みについ騙されそうになるが、言葉で説得できるような男ではないぞ。力でねじ伏せてくる部類の物騒なやつだ、燐は。何度も手合わせをした俺にはわかる」

「星藍、手を出すつもりがないなら退いてください。いい加減重いです」

「おっとこれは失敬」


 ぶつぶつと独り言を口走る星藍へ、淡々と告げる愛花。

 真顔の星藍が、愛花の腕を引いて抱き起こす。ここまでの一連の出来事が、茶番だ。


「ははっ!」

「ふふ……」


 ふたり同時に吹き出す。

 気兼ねなく言葉を交わせて、こうしてふざけ合うこともできる。

 なんて自由な空間。なんていきいきとしたひとときなのだろう。

 数刻前まで重苦しい気分に悩まされていたのが、うそのようだ。


(たいせつなひとと、ともにいられること。ひとはそれを、『幸福』と呼ぶのだろうな)


 そしてもうひとつ、たしかなことがある。


(愛花は、俺にとって特別な存在だ。ならば俺は、この身のすべてをかけて彼女を守り抜く)


 決意もあらたに、星藍はそう胸に誓うのだった。



  *  *  *



「星藍、いまさらかもしれませんが……ごめんなさい。あなたを、大変なことに巻き込んでしまいました」


 ひとしきり言葉を交わしたあと。

 愛花はあらたまった様子で、申し訳なさそうに頭を下げた。

 星藍とて、愛花の言わんとすることは理解していた。


 ──星藍と愛花。

 ふたりは想いを交わし合った。

 だがそんなふたりのことを、多くの仙たちは快く思わないだろう。



 ──妬み嫉むべからず。

 ──欲を望むべからず。

 ──悲しみ哀れむべからず。

 ──恐れを抱くべからず。

 ──怒り憤るべからず。


『五悩』滅せざるとき、すなわち身を滅す。

 ゆえに、色を禁ず。



 星藍も、その鉄則を耳にたこができるほど聞かされた。


 色恋はさまざまな感情を揺れ動かし、邪念とされる『五悩』を引き起こす。

 そしてこういった負の感情を好物とする悪しき龍、邪龍を引き寄せ、世界を破滅へ陥れることにつながる。

 ゆえに、仙界においては色恋が禁じられているのだ。


 ならば、恋慕をひた隠して生活を送るのかというと、それは違う。

 本心を押し殺したところで、息苦しく、つらい日々をすごすことは目に見えている。

 そうやって『型』にはめられた生き方を強いられることが正しいことだと、やはり星藍は思えなかった。


「愛花、この世界はおかしい」


 他者を想って憤った者が罰せられ、陰口を叩いた者が甘い蜜を吸う世界など、間違っている。


「これから俺たちの歩む道は、険しい茨の道だろう。だが愛花、想うことをどうかあきらめないでほしい。自由に感情を表現してほしい。俺とともに、声をあげてほしい」

「何も成したことがない私でも……あなたのように、強くなれるでしょうか」

「何を言っているんだ。囲われた世界から、きみ自身の意思で一歩をふみ出した。それだけできみは、じゅうぶんに大きなことを成し遂げているよ」

「星藍……」


 ことさらやさしく返したあと、星藍は凛と表情を引きしめ、愛花の手を力強くにぎる。


「知っているか? 星にねがいごとをすると、いつか叶うんだそうだ。そして今宵は、満天の星」


 夜空を見上げた星藍につられ、愛花も頭上をあおぐ。

 無数の星が、きらきらと、光り輝いている。


「どんな困難が待ち受けていようと、俺はけっしてあきらめない。きみを愛するこの気持ちは罪などではないのだと、頭の硬いじいさんどもに正しくわからせてやる」

「それはねがいごとというか、単なる脅しでは」

「いや、これくらい強気で行ったほうがちょうどいい」

「星藍ったら……」


 愛花は肩をすくめてみせながら、くすりと笑う。


「あなたがそこまで言ってくれているんですもの。私も、いつまでも怖気づいているわけにはいきません。この星空のように、知らなかった景色を、もっともっとあなたと見たいです」

「そうこなくっちゃな」


 心は決まった。ふたりで力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられるだろう。

 そんな自信に満ちあふれる星藍を見つめ、愛花がふと思い出したように口をひらいた。


「そういえば。だいじなことを言い忘れていました」

「うん? なんだ?」

「好きです」

「あ、愛花……!?」

「あなたばかりに言わせてしまって、私の気持ちをちゃんと伝えていませんでしたから」

「ちょっと待て、愛花」

「私もあなたを愛しています、星藍」

「ん"ッ……!」


 反則とは、このことを言うのだろう。


「……いま、きみをめちゃくちゃ抱きしめてなでくり回して口づけを落としまくりたい衝動に駆られているんだが、どうしてくれようか」

「ですから、お好きになさればよろしいのです。私としては、受けて立つところですから」

「きーみーはー!」


 許可も出たので、星藍も遠慮はしなかった。

 がばりと腕の中に愛花をとじ込め、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。


「なんでそんなに可愛いんだ……可愛い、愛花」

「うふふ、くすぐったいです」


 星藍、ついに語彙力が崩壊。

 ふだんの無愛想で近寄りがたい一匹狼のような風格は、見る影もない。

 まさに溺愛。愛花に対する『すき』があふれすぎている。

 そんな星藍に抱きしめられた愛花も、まんざらではなさそうだった。


 このまま、時が止まってしまえばいいのに。


 星藍と愛花は、幸せなひとときに感じ入っていた。



 ──ギシャアアア!



 ささやかな幸福は、どこからともなく響きわたった獣の咆哮に、塗りつぶされてしまったけれど。

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