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第30話 とっくのむかしに

 星藍シンランの師匠特製の怪しい薬草の効果は、数分ほど。

 ほかの味覚まで麻痺させそうな強烈な苦味が続くあいだだけ、猫のすがたになることができる。

 窓のすきまから抜け出すなら、じゅうぶんな効果だ。


愛花アイファ、大丈夫か?」

「大丈夫です、お気遣いなく……」

「けっこう、ぐいっと行っていたな」

「なかなかに、独特なお味でした……」


 作戦は大成功。

 気を取り直し、手を取り合った星藍と愛花は、桃の木のある森へやってきた。

 ここは西派の山の中でも小高い場所にあり、ひろい湖がある分、頭上がひらけている。より近くに星を感じることができるのだ。

 無数のきらめきが湖の水面に反射していて、夜のふけた刻限であっても、不思議と明るい。

 まるで、星の力に満たされているようだ。


「星って、いくつあるんですか?」

「数えきれないほど。星はとても遠い場所にあって、俺たちが見ているのも、気が遠くなるほどむかしに輝いた星の光なんだ」

「そうなんだ……不思議です……」

「あんまり見上げると、うしろに転げてしまうぞ」

「私、そこまでドジじゃないです!」

「ははっ」

「もう……」


 星藍が桃の木のそばに腰をおろすと、愛花もほほをふくらませつつ、同様にする。


「きらきらしていて、きれいですね……すこし見上げるだけで、こんなにも違うんだ」


 星の輝きを見つめながら、愛花がほぅ……とため息をもらす。


リン師兄にいさまに言われるがままの私だったら、知ることのない景色だったでしょう。連れてきてくださって、ありがとうございます」

「あぁ、気に入ってくれてよかった」


 素直な気持ちを口にした気恥ずかしさから、愛花は星藍の肩にもたれ、赤い顔を隠す。

 星藍は笑って、ぴたりと肩を寄せた。


「星藍……私はあなたが思う以上に、あなたに感謝しています」


 星藍のぬくもりを感じ、愛花も安堵したようだった。

 胸のわだかまりも解けたことで、ぽつりぽつりと、自身のことを話し始める。


 燐の言いつけで、他人とろくに関わってこなかったこと。

 そして──愛花自身が持つ特殊な力のせいで、奇異の目にさらされたことを。


「私は感情の動きが『色』で見えます。あなたとはじめて会ったとき、ひと目見て、あなたがまっすぐな心の持ち主なんだということがわかったんですよ。だって、最初から『赤色』でしたもの」

「感情の動きが、『色』で見える……不思議な力だな」

「あんなにばか正直に好意を向けてくるのは、あなたがはじめてでした」

「俺のいろんなものが、きみに筒抜けだったんだなぁ……」


 愛花を見て無性にたかぶる気持ちを根性で押し殺していた日々を思い、星藍は遠い目をした。


「やっぱり、変ですか?」

「まさか。愛花が愛花であることに変わりはない」

「そうですよね……あなたはそういうひとです」


 星藍の受け答えは、よどみがない。

 すこし照れくさそうに笑ったあと、愛花はさびしげな表情を浮かべて、星藍の手をにぎる。


「いずれ知れることですから、白状しますね。……私、燐師兄さまと双修をおこなうことが決まってるんです」

「……なんだと」


 突然の告白。星藍に衝撃が走る。 


「ずっとむかしから決まっていたことでした。それが、いよいよという時期に……」


 双修。それが何を意味するのか、星藍も知っている。

 親切に教えてくれるひとなどいなかったが、鍛錬に明け暮れる日々のかたわら読み進めていた小難しい技法書に、記されていた。


 双修とは、ふたりの修真者しゅうしんしゃが肉体をつなげ、たがいの霊力を循環させる修行法。

 豊富な霊力を持つ者が力を注ぐことで、相手の経脈けいみゃく、すなわち気の流れる経路を押し広げる効果がある。

 相手の霊力の精製を助け、みずからも霊力を高めることができるのだ。

 だがそれをなすためには、肉体の接合、つまり性行為をおこなわなければならない。


(愛花が……燐に抱かれる?)


 想像するだけで、星藍の胸に不快感が渦を巻いた。

 それは嫌悪感だとか、おぞましさにも似た感情だ。


(ほかの男にふれさせるくらいなら、俺が──)


 そこまで思いいたり、星藍は我に返る。


(よせ。愛花の意思も聞かず無体をはたらくなど、言語道断だ)


 星藍はすぐに、熾烈な考えをふり払おうとするが。


「私は、嫌です……燐師兄さまといえど、からだを許したくはない」

「……愛花」

「星藍がいいです。ふれられるなら、星藍がいい……っ」


 愛花の懇願は、星藍の迷いをたやすく打ち砕いた。

 そしてそんな愛花の言葉に感情が揺さぶられていることを、星藍は自覚してしまった。


(──愛花に対していだいていたのは、親愛の情だと思っていた)


 妹を庇護したいという気持ちや、猫のような小動物を愛でたいといった気持ちに似たものだと。


(だが、違った)


 星藍の胸の奥底には、誰にも愛花を奪われたくない、渡したくないという激しい感情があった。


(あぁ、そうか……俺は)


 その激情の正体を、星藍はこの瞬間、正しく理解した。


「愛花、俺はとっくのむかしに、きみに惹かれていたみたいだ」


 はじめて愛花を目にしたとき、胸が高鳴り、落ち着かなかったのは、彼女にひとめぼれをしたから。

 それからふれあいをかさねるうちに、もうどうしようもないところまで来てしまったのだ。


「きみに、異性として惹かれていた」

「星藍……」

「きみは、どうだ?」

「そんなこと……わかりきってるくせに」

「そうだな。……俺たちは、同じ気持ちなんだな」

「……はい」

「きみを抱きしめても、いいか」

「はい……っ」


 ふたりを隔てるものは、もう何もなかった。

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