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第29話 いっしょに行こう

 部屋には、愛花アイファ星藍シンラン。ふたりで寝台に並び座る。

 どれくらいそうしていただろうか。

 星藍が背をさすっているうちに、愛花も落ち着きを取り戻した。


「大丈夫か?」

「はひ……」


 ずず、と鼻をすすりながら、愛花がうなずく。

 ひと段落したところで、「さて」と星藍が口をひらく。


「愛花、今度は俺からきみに聞きたいことがある」

「……謹慎になった理由について、ですよね」


 愛花も薄々気づいていたのだろう。

 星藍が居ずまいをただして問いかけると、とたんに表情をかげらせた。


阿哥アーグェのお耳に入れるようなことでは……」

「きみはやさしい子だ。むやみに誰かを傷つけたりしない。俺はそう信じている」

「……!」

リンのやつだってそれはわかってるはずなのに、話を聞こうともしないで……あぁもう! いま思い返しても腹が立つな!」


 愛花は硝子玉のような瞳を見ひらいた。

 星藍は、どちらかといえば感情が顔に出にくい青年だ。

 それが、いまはどうか。興奮気味に燐へ文句を言っている。


「並々ならぬ理由があったんだろう? 愛花、きみが独りで背負い込む必要はない。俺に話してくれないか」


 星藍は愛花と向き合いたいと、心からそう思ってくれている。

 それが痛いほどに伝わったから、愛花はもうたまらなくなった。


「…………央派の、師兄が……」


 星藍に応えたい。その一心で、愛花は重い口をひらく。


「央派の師兄が……阿哥の陰口を、言っていたんです」

「俺の陰口?」

「比武大会で優勝できたのはまぐれだとか、後進の芽をつまないために、わざと自分が手加減してやったからだとかなんとか……」


 央派の出身で、比武大会出場者。

 そうなれば、星藍も心当たりがあった。

 いつぞやかの大会で、決勝開始直後に剣を飛ばして瞬殺したあの師兄だろうか。


「それで私、頭にきちゃって、引っぱたいてしまったんです。思ったよりふっ飛んで、大事になってしまいました……」

「なるほどな」


 腕を組み、眉を寄せた星藍に、愛花がはっとする。


「すみません! 阿哥に責任をなすりつけるような言い方を……」

「いや、きみに不満を感じているわけじゃない。なんともまぁ、器のちいさい男だと思っただけだ」


 愛花の平手でふっ飛ぶような実力なら、はじめから星藍に勝ち目はないだろう。あちらの詭弁に違いない。


「そうか……きみは俺の代わりに、怒ってくれたんだな」


 ひと呼吸を置き、やわらげた表情で星藍が声をかけると、愛花がうつむく。


「だって、阿哥は才能もすごいけど、それ以上に努力をするひとです。それを知りもしないくせにって、私、カッとなっちゃって……結局、阿哥にご迷惑をかけてしまいました。私は未熟者です。ごめんなさい……」

「それは違うぞ」


 愛花の言葉を、星藍はきっぱりと否定する。


「愛花、きみが俺のために怒ってくれて、俺はうれしい」

「うれしい……?」

「あぁ、思わず小躍りしてしまいたくなるくらいにな」

「阿哥が、小躍り……」

「悪い、ちょっと言いすぎた。俺みたいな仏頂面が急に小躍りし始めたら、戸惑うよな。忘れてくれ」


 星藍はこほんと咳ばらいをして、「とにかく」と口早に続ける。


「うれしい気持ちは本当だ。俺は仙人になって日も浅いからな。名の知れた西派筆頭弟子燐殿のように、感情を律することができない若造だ。ばかにされれば腹が立つし、きみの気遣いがうれしくて泣きそうにもなる」


 言いながら、あぁ、なるほどと星藍は腑に落ちる。

 仙人となって数か月。どうしてほかの仙人たちとなじめないのかが、ようやくわかった。


「感情を素直に表現することは、いけないことなのか? 不条理に憤り、ひとの想いに胸を打たれることは、罪なのか? 俺はそうは思わない」


 仙人という肩書を与えられても、星藍は星藍という青年だった。神でも人形でもなく、感情をやどす『ひと』であった。


「よし愛花、いいことを思いついた。いっしょに来てくれ」


 星藍はひざを叩いて、寝台から立ち上がる。

 しかし、星藍を見上げた愛花の顔色は青ざめた。


「いっしょにって……私は謹慎中なんですよ!? 抜け出したことが燐師兄さまたちに知られたら、あなたも大変なことになります!」

「体裁なんぞどうでもいい。だいじなのは、きみがどうしたいかだ」

「私が、どうしたいか……?」

「こんなところに閉じ込められて、気が滅入っているんだろう。ひとつ言わせてもらうがな、愛花。きみが心から笑えない場所は、きみの本当の居場所じゃない」

「っ……でも」


 なおも渋る愛花の先手を取って、星藍はいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「俺はきみに、心の底から笑ってほしい。だから」


 ふところをさぐり、取り出したのは、細長い竹筒。


「愛花、薬湯に興味はないか? まぁ結論から言うとくそまずいんだが」

「それって、もしかして……」


 星藍が差し出した竹筒に、愛花は目線を奪われた。

 だってあれを飲んだら。


「どうにかする方法なんて、案外すぐそこにあるものだ。きみに必要なのは、あと一歩をふみ出す勇気」


 ……そうだ。

 あと一歩さえふみ出してしまえば、そこは。


「愛花、俺といっしょに、星を見に行こう」


 そこにはきっと、見たことのない景色がひろがっているのかもしれない。


「……行きたい、です」


 無意識のうちに、愛花は言葉をこぼす。


「私、あなたと……星藍といっしょにいたい……っ!」


 それは、愛花の心からの想いだった。 


「いっしょに行こう、愛花」


 星藍はうなずく。

 伸ばされた愛花の手を、力強くにぎり返して。

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