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第28話 会いに来たぞ

愛花アイファ、本当にどうしたんだ。きみらしくない」


 謹慎を言い渡されて数日。私室をおとずれたリンに、何度そう言われたことか。


(私らしいって何なんだろう……そんな個性もの、最初からないのに)


 愛花は一日の大半を、寝台の上でひざを抱えて過ごした。


(そうよ……私は、空っぽな人形なの)


 いまは、燐との会話すら億劫だった。

 独りにしてほしかった。

 卑屈になっていたのかもしれない。

 そんな愛花の頭上で、ため息がこぼれた。


「やはり、星藍シンランとの合同稽古はよくなかったのかもしれないね」

「どうして星藍が出てくるの!」


 反射的に声を張り上げる愛花。

 思わず顔を上げて、はっとする。

 燐が、ひどく落ち着いたまなざしで見つめてくる。あれは、愛花をなだめるときの視線だ。


「彼のような実力者は、周囲におよぼす影響も大きい。良くも悪くも刺激される。リー長老の推薦だから何も言えなかったけれど、僕はね、彼との合同稽古にあまり意義を見いだせなかったんだ」

「もしかして……私に合同稽古があることを言ってなかったのも、わざと?」


 燐は答えない。それが何を意味するのか理解したとき、愛花のからだはカッと熱を持つ。


「燐師兄にいさまは、私と星藍を会わせないつもりだったのね……!」

「可愛い妹を守ろうとするのは、おかしいことかい?」

「星藍を悪いように言うのはやめて! 彼は純粋なひとよ。よこしまな心なんて持ってないわ!」

「愛花、まだわからない? 彼の実直さが、きみにとっての毒だと言っているんだよ。彼の飾りけのない言動は、僕らの感情をじかに揺さぶる。忘れたのかい? 僕らは仙界に生きる者。感情を乱れさせてはいけない」


 あぁ、そうだ。

 仙界ここは、そういう場所だった。

 仙人は、『人として大事なもの』を捨てた存在。

 だからこそ、人でありながら神に近づくことができるのだ。


「私……燐師兄さまの考えてることが、わからないわ……おねがい、ひとりにして」


 燐の胸もとには、いつだって黄の色彩が浮かんで見える。

 黄は親愛の色。それ以上でもそれ以下でもない。

 だが愛花のにじむ視界では、いまどんな色をしているのか、わからない。


「……愛花」


 おもむろに、愛花を呼ぶ声があった。

 燐にしては低い声音だ。

 どこか薄ら寒さを覚えた愛花は、直後、その理由を思い知る。


「やっ……まって、燐師兄さ…………んぅっ!」


 燐が覆いかぶさるようにして、愛花の唇をふさいだのだ。

 ひと回りも体格の違う男の体重をかけられ、愛花は寝台へ押し倒された。


「おねがい、やめ……」

「どうして嫌がるの? いつもしていることだ。ほら、僕にからだをゆだねて。いつものように、僕を受け入れてごらん」

「ふぁっ……」


 燐に口づけられ、ふっ……と呼気を吹き込まれたとき、愛花の背すじをぞくぞくとしたものが駆けめぐる。


「そう、いいこだね……ん」

「……っふ、…んっ……んん……」


 息をつくまもなく、燐に唇をふさがれた。


 いつからだろう、燐とこうした行為をするようになったのは。

 幼いころからたわむれの範疇はんちゅうでのふれあいがあったから、変化の境界線があやふやだ。


 これまでも、就寝前は決まって燐に口づけをされていた。

 男女間において、適度な肉体接触は、内功の増幅を促進するためだ。燐の豊富な内功を分け与えられることは、稽古の頻度がすくない愛花にとっても効率的な手段であった。

 だが、そこに恋情だとか、淫念があってはならない。

 そのため燐も、寝台をともにすることはあれど、愛花を抱くことはなかったが──


「愛花。近々、双修をおこなう」

「──!」


 双修。端的に言えば、肉体をつなげる行為。

 性行為などと俗物的な呼ばれ方もするが、それは人の世に限った話。

 仙界において、双修はたがいの霊力を高める究極の肉体接触。れっきとした修行法なのだ。


「わかっているね。きみは、僕の双修道侶だ」


 男女の結婚すら、仙界では修行の一環でしかない。


「準備をしておきなさい、


 そこに、選択肢などなかった。


「阿妹、愛しているよ。僕はきみの師兄あにだからね」


 最後にそう言い残して、燐は部屋を出ていった。


「……星藍……」


 独りきりになった静けさの中、愛花の口から声がこぼれた。


「星藍……星藍っ……!」


 純粋で、実直で、まっすぐな信念を持つ青年に、無性に会いたくて会いたくてたまらなかった。抱きしめてほしかった。

 もう、叶わないことだろうけれど。

 愛花はただただ、あふれる想いを押し殺した。


 ──カリカリ。


 そんなときだ。ふいに、妙な音が愛花の耳に届いたのは。


 カリカリ、カリカリ。


 空耳かとも思ったが、何かを引っ掻く奇怪な物音が、窓の外からたしかに聞こえる。


(何かしら……)


 不思議に思った愛花は、寝台をおり、のろのろと窓際へ近寄る。

 そして、格子窓を押し上げると──


「ナー」

「…………え」

「ナァア」


 愛花が手首を出し入れできるくらいのわずかなすきまから、黒い影がすべり込んできた。

 よくよく見てみればそれは、夜のように真っ黒な毛並みの猫で。


「あなた、どこから来た……きゃっ!」


 いまいち状況がつかめない愛花は、予想外の出来事を目にする。

 突如、黒猫が光に包まれ──


「──ふぅ、案外どうにかなるものだな」

「なっ……阿哥アーグェ!?」


 そう、黒猫が座り込んでいた場所に、星藍がすがたを現したのだ。


「ひさしぶりだな、愛花」


 にっとわずかに口角を上げる笑みは、間違いない、星藍本人のものだ。

 これで驚くなというほうがおかしい。


「どうして、なんで……!」

「俺が住んでる東派の山奥の小屋に、師匠が薬草を育てていた畑があってな」

「はい?」

「あまりにも怪しげなもんで全部刈り取って芋畑にしたんだが、思い出したんだ。そういえばあの薬草、師匠がなんか小動物に変化できるめずらしい効能があるとかないとか言ってたなぁと」

「そんな薬草、聞いたことないです……」

「だろう? 俺も九割方信じてなかったが、この際猫でも鼠でもなんでもいい。使えるものは使っておこうと、小屋に戻って棚の中身をひっくり返してきたわけだ」


 ということは、つまりだ。


「きみに会いに来たぞ、愛花!」


 そういうことに、なってしまうではないか。

 やけに得意げな星藍を前にして、愛花は目頭が熱くなるのを感じた。


「それにしても、ちょっと部屋の空気が湿ってるな。換気しよう」

「……うぅ」

「む?」

「ひさびさに会って、言うことがそれですか……」

「また何か間違ったか!?」

「ばかぁー!」

「あ、愛花!?」


 星藍がのんきに換気しようとするから、もうたまらなくなって、愛花は飛びついた。

 いや、すがりついたというほうが正しいか。


「独りで心細かったんだよな。よしよし」

「っ……」


 星藍は愛花を邪険にはしない。

 抱きとめて、背をさすってくれる。


 ──泣いてもいいのだと、抱きしめてくれる。


「私も会いたかったです、阿哥……星藍っ……!」


 こみ上げる熱を、もうおさえはしない。

 星藍の腕に抱かれ、愛花はめいっばい、喜びの涙を流した。

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