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第26話 失礼する

 木から木へ。

 しなる枝をばねのようにして、星藍シンランは風のごとく森を疾駆する。


 ザザッ……


「──!」


 背後にひとの気配。

 すぐさま身をひねり、かまえる星藍だが。


「つっかまーえた!」

「うわっ!?」


 星藍の視界で、ぐらりと天地がゆらぐ。

 目にも止まらぬ疾さで迫っていた人影が、星藍を羽交い締めにしたのだ。

 星藍は強襲をしてきた相手をとっさに抱きとめて、背を丸めた。そのまま重力にしたがい、地面へ落下する。


「いたた……」


 それなりの高さから落ちたが、さいわいにも青々と生い茂った草むらが受けとめてくれた。

 受け身もとって後頭部への衝撃も避けたので、星藍も背中への軽い打撲程度ですんだ。それはともかく。


「これで私の五戦五勝ですね、阿哥アーグェ!」

阿妹アーメイ……俺のことが気に食わないのはわかるが、突然の鬼ごっこはやめてくれ」

「べべ、べつに剣で勝てないからむきになってるとかじゃないですし!? それよりも、強襲をされてうろたえてしまう阿哥こそ、鍛錬が足りないのではっ!?」


 勝利を宣言していた少女、愛花アイファが、興奮した様子で星藍の上から退く。

 星藍も苦笑まじりに起き上がって、黒髪にからんだ葉っぱを払った。


「愛花、弘法も筆を誤るという。いくらきみが軽功けいこうの達人でも、さっきみたいに無茶をされたら俺も焦る。怪我をしたらどうする?」


 星藍が諭せば、うつむいた愛花が弱々しくつぶやいた。


「阿哥が心配してくれているのは、わかります……でも、お稽古はリン師兄にいさまとばっかり。たまに手合わせをしてくれても、手加減してまともに取り合ってくれないじゃないですか」

「それはだな……きみがちいさくて、怪我をさせたら大変だから……」 

「怪我のひとつやふたつ、なんだっていうんですか! 私だって武功の修行をする者、私だって……阿哥といっしょにお稽古したいんですっ! ふ……ふぇえ!」

「あ、愛花!?」


 愛花がわんわんと泣き出してしまい、星藍は焦りに焦る。あたふたと背をさすると、硝子玉の瞳いっぱいに涙をためた愛花が見上げてきた。


「燐師兄さまとばっかり、ずるい……私にも、かまってください……」

「ん"ッ……!」


 最近わかったことなのだが、愛花はさびしがりだ。

 そっけない言動は照れ隠しで、じつは甘えたがりだ。

 星藍が相手の場合、それが顕著だった。一度気を許してしまえば、最初に警戒していたのがうそのようにすり寄ってくる。


(これはあれだ、なかなか懐かなかった猫に、甘えられているようなものだ! 猫は愛くるしいからな、しかたない!)


 星藍もそう解釈して、愛花を抱きしめ愛でる理由にする。

「俺が悪かった、泣くな」と星藍に頭をなでくり回されるうちに、愛花も満足げにほほを染めて、星藍の胸へ顔をうずめた。


「ふふ……あはは」

「愛花?」

「阿哥ったら、真っ赤です」

「そ、そんなに変な顔をしていたか!?」

「そりゃあもちろん、お顔だけじゃなくて……」


 可笑しげに肩をふるわせていた愛花が、そこで言葉を区切る。


「だけじゃなくて?」

「なんでもありません」

「濁されると気になるんだが……」

「なんでもないったらないのです!」

「おっと!」


 なかば突き飛ばされるようにからだを離され、星藍は危うくうしろへ転げそうになった。


(胸……? 俺の胸を凝視して、どうしたんだろうか)


 愛花が急に慌て出した理由を考えても、星藍には思いあたる節がない。

 すり寄ってきたかと思えば、今度は離れたり。愛花はつくづく猫のような子だと、再認識するばかりだ。


(もし俺に愛花の考えていることがわかったら、もっと気の利いた言葉でもかけられたのだろうか……いや、そんな都合のいい話はないな)


 他人の考えを言い当てるなど、神でもあるまいに。


「阿哥! なにしてるんですか、早く宿舎へ帰りましょう! どっちが先に帰り着くか、勝負ですからね!」


 ここで、しびれを切らした愛花に名前を呼ばれる。

 思案にふけっていた星藍も我に返り、さっさと走り出した愛花の後を追う。


「あっ、こら! あまりはしゃぎすぎると、途中でまたててしまうぞ!」

「昨日までの私とは違うんです、なめないでください!」

「昨日も同じことを言ってたぞ……」


 鬱蒼とした森の中。

 風のごとく駆け出しながら、星夜は薄い笑いを浮かべるのだった。



  *  *  *



「愛花ー」

「すぴー……」

「ほら、言わんこっちゃない」


 案の定、というべきか。

 愛花は現在、星藍に背負われて眠りこけている。

 星藍との競走をはじめてすこしもたたないうちに、糸が切れたように草むらへくずれ落ちてしまった。

 軽功に長けた愛花は身軽であるものの、持続力に乏しい。要は体力がないのだ。


 あまりにも突然意識を飛ばすので、星藍も最初は目をひん剥いて焦ったものだ。

 それも、いまでは慣れたもの。今日のように木から木へ飛び回った日にはこうなることも予想できたため、星藍は慌てず騒がず、草むらに落ちていた愛花を回収して帰ることにした。

 いつものことながら、愛花の眠りは深い。背負い上げられても、星藍が歩くたびに揺れても、目を覚まさない。


(本当に体力がないんだなぁ……いままで、あまり外に出て稽古をしたことがないと言っていたが)


 宿舎への道すがら、星藍は愛花が話していたことを思い出す。

 愛花は星藍よりも仙界での生活が長いはずだが、星藍よりも修行の経験が浅い。

 それには、並々ならぬ理由があり──


「やぁ、おかえり」


 いまとなっては見慣れた門前に人影を認め、星藍は夜色の瞳を細めた。

 白銀の髪の青年が、笑みを浮かべて出迎える。頭上から降り注ぐ黄昏の光が、彼のまばゆい美しさを際立たせている。


「燐か」

「また愛花が世話をかけたようだね。ここまでありがとう」


 燐はそういって、星藍のほうへ腕を伸ばしてくる。

 いや、厳密には星藍ではない。星藍に背負われた愛花のほうへ、だ。


「礼にはおよばない」


 星藍は淡々と返し、燐の脇をすり抜ける。


 さぁっ……


 星藍のうなじに、冷えた夕暮れの風が吹きつけた。


「ずいぶんと、その子にご執心のようだね」

「言葉を返すようだが。それはきみのほうじゃないか?」


 燐のことが嫌いなわけではない。むしろ剣の実力は尊敬にあたいするほどだ。

 だが思うところがあり、星藍も向き直って燐を見据える。


「愛花は物心がつく前から兄代わりだったきみを慕っているようだが、きみはどうだ?」


 聞けば燐は、食事のときも、眠るときも、愛花を四六時中そばに置いているらしい。

 愛花の稽古はすべて燐がおこない、愛花が何かをおこなう際は、燐の許可を得ることが必要だった。

 まるで、愛花がほかの門下生と交流をもたないよう、行動を制限するかのように。


(過保護と称するには、あまりに異様だ)


 星藍のさぐるようなまなざしを受け、燐が静かに口をひらく。


「それは僕が、愛花によからぬ感情をいだいていると? たとえば、恋情だとか? ふはっ!」


 燐が吹き出す。滑稽でしかたがないとでも言いたげだ。


「あり得ない。男女の色恋は禁じられているのだから」

「では、愛花に対するきみの行き過ぎた干渉の理由は、どう説明する?」

「ひどい言われようだな。純粋な兄心の賜物だよ」


 あっさりと答える燐だけれども、星藍は納得できない。

 燐に言われるがまま行動することが、愛花自身の望んでいることとは思えなかったからだ。


「要するにきみは、僕が囲っているから愛花が一向に成長できないと、そう言いたいのかい?」

「『愛花が成長できない』という点に関して言えば、違う。たしかに愛花は体力がなく、剣術も拙いが、彼女だけの特技がある」

「愛花だけの特技、か。それはわざわざきみに言われずとも、僕も知っていることだが?」

「だろうな。桃花の気をあやつる愛花の内功には、癒やしの効果がある。きみにも、剣をふるうしか能のない俺にだって、使いこなせない力だ」


 愛花が指先でふれるだけでしおれた草花が元気を取り戻し、雨上がりの濁った水たまりが澄みわたる。

 それは彼女が、清廉な心の持ち主であるあかしだ。

 しかし愛花は、たぐいまれなその力をあまり表に出そうとはしない。「燐師兄さまに叱られるから」と。

 愛花はきちんと、自身の力ですこしずつ成長を遂げている。だが星藍には、なぜか燐がそれを妨げているような気がしてならなかった。 


「きみたち師兄妹きょうだいは、近すぎる。そろそろ師妹いもうと離れも必要ではないか」

「そういうきみこそ、やけに愛花を気にかけるね」


 ぶしつけにも門閥外の事情に土足で踏み入ったのだ。燐に反論されることも承知の上。

 だからこそ、星藍は曇りなきまなざしで、燐へ告げる。


「愛花は、俺を信頼して身を預けてくれた。それなら俺は、彼女が目を覚ましたときにちゃんとそこにいてやりたい。そう思っただけだ」


 返答を待つまでもなく、星藍はきびすを返す。


「失礼する」


 いまこのとき、燐が何を思うのか。

 星藍が全知全能の神であったなら、容易に知れたことだろう。

 だがあくまで、星藍は一介の仙人でしかない。

 星藍も、そのことをよく心得ていたのだった。

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