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第23話 どうってことはない

 只人ただびとはけっして目にすることが叶わない秘境、鳳來山ほうらいざん

 このまぼろしの山谷さんこくには、何千年もの大昔から、神仙や霊獣がすんでいる。


 あるとき、人の世が大災害に見舞われる。

 その同じ年に、とある青年が鳳來山の地へ足をふみ入れた。


 ──これは、青年がまだ、星藍シンランと呼ばれていたころの話。



  *  *  *




 ガキィインッ!


 火花を散らし、上空高くまではじき飛ばされた剣。

 剣はヒュンヒュンと放物線を描きながら、赤枠で区切られた場外へ落下した。


「……ま、まいりました……」


 黄の道服をまとった青年がへたり込むと同時に、審判の声がひびき渡る。


「勝者、星藍!」


 まさに、一瞬の出来事。

 しかし星藍と呼ばれた青年は、おごりたかぶることはない。剣をおさめ、粛々と一礼したのちに、藍色のすそをひるがえした。


「藍の道服……あの小僧、東派とうはのやつなのか?」

「東派のリー長老は、めったに弟子をとらないことで有名なはずじゃ」


 月に一度の比武ひぶ大会で、初出場の若造が圧倒的な実力を見せつけたのだ。

 観衆たちがどよめくのも無理はなかった。


(あのじいさん……じゃなかった、師匠の気まぐれにも困ったものだ)


 当の星藍はというと、どっと疲労感に見舞われていた。

 もともと口数の多い性分ではなく、感情が顔に出づらいため、周囲からは涼しい顔をしていると誤解されやすい。


「おぬし、仙人になれそうだの」と突然星藍の前に現れた老人は、鳳來山では名の知れた長老だったらしい。

 有無を言わさず連れてこられ、剣を投げてよこされたかと思えば放置されていた覚えしかない星藍にとっては、甚だ信じがたい話だ。


 どこぞの小屋で寝起きを言い渡された星藍は、ひと振りの剣と、小難しい技法書と、師匠が一度だけ披露した剣術だけをたよりに、ひと月にも満たない日々をすごした。

 そしてふらりとやってきた師匠に「出場申し込みはしておいたからの」と前日に言い渡された比武大会にて、見事優勝を果たしたのだ。


(だからいろいろと急すぎるんだよ、あのひとは!)


 怒涛の展開すぎて、星藍も理解が追いつかない。


 ただひとつ、たしかなことは。

 若くして登仙した星藍は、武功の鬼才であった、ということだ。

 星藍自身は、自覚がないようであったが。



  *  *  *



 羨望の的。

 そう言えば聞こえはいいが、実際はあまり気持ちのいいものではない。

 比武大会を開催するたび、星藍が優勝をかっさらってゆく。

 そのうちに、みなの視線に落胆の色が混じるようになるのを、星藍は肌で感じていた。


「はじめまして。西派せいはラン長老の筆頭弟子、リンだ。今日からよろしく」


 そうこうしているうちに、西派の弟子と共同の稽古が決まっていた。

 師匠が勝手に話を進めるのはいつものことなので、星藍もぐだぐだ言わず、淡々と受け入れることにした。


「星藍という。若輩者だが、よろしくたのむ」

「ふふ」

「……俺の顔に、なにかついてるか」

「いや、これは失礼。うわさ通り、義理堅い人物だと思ってね」


 星藍にとって、『義理堅い』と『堅苦しい』は同義だ。遠巻きにされるのは慣れている。

 ただ、このときに限っては違った。星藍を前にして、燐は一切動じない。

 ほほ笑みを崩さないのは、彼が星藍と同等かそれ以上の実力をもつあかしだった。


(西派の蘭長老は、紅一点にして、五長老筆頭の女傑だったか。その筆頭弟子ということは、彼もかなり腕の立つ武人なのだろう)


 登仙して間もない星藍も、基本的な鳳來山の序列は頭に入れている。

 鳳來山には五つの門派があり、とくに東派と西派の名がひろく知れ渡っている。

 が、見ての通り星藍の師匠である東派離長老はほぼ弟子をとらないため、実質的に西派が鳳來山の最大派閥となっているのが現状だ。


 ちなみに、所属門派によって着用する道服の色がさだめられている。


 東派は藍。

 西派は白。

 南派なんぱは紅。

 北派ほくはは黒。

 央派おうはは黄。


 燐は白銀の髪に白の道服をまとっているため、全身真っ白でやたらとまぶしい。


「燐師兄にいさま、お稽古はまだ?」


 鈴を鳴らしたような声音が星藍の耳に届いたのは、そんなときだ。

 同じく白の道服をまとった小柄な少女が、門前で星藍を迎える燐のもとへやってきた。


「あぁ、もうそんな時間か。お客さまをお出迎えしていたんだ、悪いね、阿妹アーメイ

「お客さま?」

「あの離長老の一番弟子、星藍殿だよ。しばらく一緒に鍛錬をすることになったんだ。言ってなかったかい?」

「聞いてないわ。燐師兄さまったら、また言い忘れちゃったのね」

「はは、ごめんごめん」


 むっとして燐を見上げた少女は、ついで星藍をふり返った。


 桃の花のように淡い髪。

 硝子玉のように澄んだ瞳。

 白磁のように滑らかな白い肌。


 少女と視線がからみ合った瞬間、星藍の時が止まった。


(なんて、可憐な……)


 星藍はしばし呆け、はっと我に返る。


(いや、初対面の子になにを考えとるんだ、俺は)


 不器用がわざわいして、星藍は異性とどうにかなるといった経験は皆無だ。興味もなかった。


(なるほど、これも師匠の試練か。俺を鳳來山に連れてきた当初も、あの手この手で俺のことを試してたもんな)


 小屋のすぐ裏の芋畑に、金の壺を埋めたり。

 明け方、星藍が目を覚ますころに、戸口で死んだふりをしていたり。


 星藍の精神力を試したかったのだろうが、胡散くさい老人からいきなり仙人に勧誘された時点で、ある程度悟りはひらいていた。

 星藍は慌てずさわがず金の壺を埋め直し、淡々と師匠の葬式の準備をおこなった。

 なにをしても星藍が慌てふためかないので、「おぬし、面白くないのう!」と生き返った師匠に文句を言われた。

 うんざりしていた星藍は「はいはい」と耳半分で受け流したものだ。


(じいさんめ、また性懲りもなく俺を試そうとしてるんだな。そうに違いない)


 なんの脈絡もなく、「おぬし、明日から西のほうで鍛錬な」と言ってきたのがその証拠だ。

 この美少女を利用して、年頃の男子を惑わそうという算段なのだろう。


(鳳來山では──仙界では、男女の色恋は禁じられている。それくらい、俺も知っている。あなどるなよ!)


 ゆえに、どれだけ可憐な少女がすぐ目の前にいようとも、欲に負けることはない。そう心に決めた星藍であったが。


「──」


 じっと星藍を見つめていた少女が、ふいと顔をそむける。

 そしてなにを言うわけでもなく、桃色の髪と白いすそをはためかせて、行ってしまった。


「人見知りな子でね。悪く思わないでやってくれないか」


 燐はそう言って、笑みを浮かべたまま背を向ける。


「稽古は明日からだ。今日は宿舎の案内をするよ」

「……承知した」


 星藍は短く返事をして、先に歩きはじめた燐のあとに続く。


(歓迎されてはいない……か。いいや、いつものことだ)


 悶々と思いをめぐらせつつも、星藍はつとめて平静をよそおう。


(べつに……どうってことは、ない)


 金の壺を前に、欲に溺れなかったろう。

 死体のふりをした師匠を前に、恐れおののかなかったろう。

 それだのに、少女ひとりにそっけなくされたくらいで動揺したなど、師匠に知れたら格好のネタにされるだけだ。


(べつに落ち込んでなど、いない!)


 ちょっぴり泣きそうなのも、気のせいだ。


 ──このように、のちに数奇な運命をたどるふたりの出会いは、陳腐なものだった。

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