「
「そう、ですね……間違ってはいません」
花梨はいま、私室で
心配した櫻子がお茶と茶菓子を差し入れた直後だから、しばらくひとは来ないだろう。
「あの……となりへ、来てくださいますか」
ベッドに腰かけた花梨が、か細い声をしぼり出す。
しばし思案するような沈黙の後、星夜が静かに花梨の左隣へ腰を下ろした。
それからさらに沈黙をへて、花梨は重い口をひらいた。
「私、じつは……5年前に、強姦未遂に遭ったんです」
「……なんだって」
「
はっと息をのむ星夜へ、花梨はぽつりぽつりと語った。
13歳、中学に入ったばかりのことだ。花梨に好意を向けてくる男子がいた。
彼はふたつ年上の先輩で、委員会ですこし会話をする程度だったが、その好感度の上がり方が異様だった。
そして『あの日』──文化祭の時期だった。準備のためにクラスメイトの男子と遅くまで居残っていたのだが、それまでやさしかった彼が豹変した。
──なんで俺以外の男といっしょにいるわけ? うそつき……嘘つき嘘つき嘘つき!
彼とは顔見知りでしかなく、告白をされた記憶もない。
だが彼は花梨がひとりになった隙をねらい、空き教室へ引きずり込んだのだ。
自分こそが花梨の恋人なのだと、叫びながら。
「そのとき、戸締まりをしていた先生に発見されましたので、事なきを得ましたが……それ以来、男性がその、怖くなったのです」
さいわい、持病の影響で倒れた櫻子を介抱し、愛木家との養子縁組を提案されていた時期でもあったので、それを理由に転校することができた。
「きみの態度がどこか硬かったのは、そんな過去があったからなのか……」
「それだけではありません。私は……生まれながら、妙な力があるんです。ひとの心の動きが見える力です」
「心の動きが、見える……?」
ここから先は櫻子たちにも明かしていない、花梨しか知り得ない事実だ。
(変な女だと思われるかもしれない……それでも、彼にもう隠しごとはしたくない)
花梨はひざの上でぎゅっとこぶしをにぎりしめ、星夜を見上げた。
「私は……ひとの好感度が、色の変化で見えるんです」
5年前の彼も、花梨に対する好感度がMAXだった。その赤い『好感度ゲージ』が、一瞬にして急降下し、赤から青へ、そして黒に変色したのだ。
黒はマイナス。花梨にとっては、恐怖と絶望、死を意味する色だ。
「ですから、とくに男性が相手の場合は、『好感度ゲージ』が赤色にならないように細心の注意を払っていました……すぎた愛は時として、狂気となることを知っていましたので」
それが、星夜をそっけなくあしらっていた理由。
星夜に嫌われようとする理由であり、花梨が恋愛を怖がる原因そのものだった。
「
「もういい」
嗚咽に言葉を詰まらせる花梨を、引き寄せる腕があった。
「怖かったな。つらかったな……きみの気持ちを理解してやれず、悪かった」
「こんな話を聞いても、信じて、くださるのですか……?」
「俺も猫を助けた夢云々を話題にしていたのだから、おあいこだろう」
「そのお話、どこまで引っ張るんですか……」
星夜が大真面目に言うものだから、花梨は肩すかしを食らう。ふっと、肩の力が抜けた。
「信じるさ。きみはそんな嘘をつくような子じゃない」
「っ……!」
そんなときに、断言されたら。
反則としか、言いようがない。
「花梨さん、俺は変なことを言う変人だし、年下に嫉妬するほど心も狭い。でもきみを想う気持ちだけは、誰にも負けない」
「鷹月さま……」
「教えてくれ。きみの目にはいま、何色が見える?」
思わず、花梨は笑ってしまった。
なんだか可笑しくて、無性に涙があふれてしまう。
「……きれいな、真っ赤です」
くすりと、花梨の頭上で笑いがこぼれた。
見れば星夜がほほ笑んでいる。見たことのないくらい、やさしい笑みで。
「好きだ。この想いは、絶対に色あせない。どうか信じてほしい。きみのことは、俺が守る」
花梨は、こみ上げる熱を我慢できない。
気づけば、星夜の背に腕を回していた。
「鷹月さま……あなたに言わなければならないことが、もうひとつあります」
「なんだ、今度はどんな驚きを俺にくれるんだ?」
冗談めかす星夜の耳もとへ、花梨は顔を寄せる。
「……私、白い猫ちゃんを助けたことがあります」
星夜が瞳を極限まで見ひらくのも、無理はないだろう。
「話せば長くなるのですけど……私、前世の記憶があるんです」
『前』の花梨は、親もおらず、孤独な生活を送っていたこと。
そんなとき、車道に飛び出した白猫をかばって、命を落としたこと。
そして……気づけば、幼少期に時間がまき戻っていたこと。
そのすべてを、星夜に話した。
にわかには信じがたい話だ。
だが星夜は、はじめこそ驚いていても、真剣なまなざしで花梨の話に耳をかたむけてくれた。
「つまり……俺が夢に見たのは、花梨さんに間違いなかったということか」
「そう、なりますね」
星夜へうなずいてみせる一方で、花梨はふと疑問に思う。
(鷹月さまがそんな夢を見たのは、偶然……? 彼には、前世の記憶があるわけじゃないし……)
花梨と同じように、過去へタイムリープしている様子はない。
(鷹月さまが、前世の記憶を忘れている可能性は?)
そうだとするなら、転生する前、あの日あの瞬間に、花梨と星夜は同じ場所にいたということになる。
(でもそうしたら、どうして私には前世の記憶があって、鷹月さまにはないのかしら。そもそも、あの白猫は何者?)
いくら考えをめぐらせても、答えは見つからない。
「わからないことだらけだが」
うんうんとうなる花梨の肩に、ぽんと星夜が手を置く。
「ひとつだけ、わかることがある」
「なんですか……?」
「今も昔も、きみのすがたが脳裏に焼きついて離れないくらい、俺はきみに惹かれていたということだ」
肩にふれた大きな手のひらが、ついで花梨のほほをそっとなでる。
「安心してくれ。過去も全部引っくるめて、きみのことは俺が幸せにする」
「それ、もうプロポーズですから……」
『前』の花梨さえ手に入れられなかった幸福を、星夜が、星夜こそが、与えてくれる。
今なら、そう確信できる。
「……私のそばに、いてくれますか?」
わかりきったことだとは思いながらも、花梨は星夜へ問う。
「あぁ。きみのそばにいて、きみを守ると、約束する」
まっすぐな星夜の言葉が、花梨の心にぬくもりをひろげる。
痛いほどに抱きしめてくる腕の感触、そしてこのひとときのことを一生忘れないと、花梨は思った。