『仮にも異性だ。あまり気を許しすぎないように』
相手が
しかし、
人当たりのいい螢斗しか知らない花梨は、星夜の警戒が理解できないでいた。
花梨は釈然としないまま、日々をすごす。
そしていつものように授業を終えた、とある放課後。
「……さん……花梨さん」
「え……あっ」
校舎と正門をむすぶ庭園で呼ぶ声があり、花梨ははっと足を止めた。
すぐに、花梨と同じように学校指定の鞄を提げた青年が、にこやかに歩み寄ってきた。
「螢斗さん……」
憂鬱の原因である螢斗の登場に、花梨はすくなからず強ばった。
クラスでもそれなりに会話はしていたが、こうして人目のない場所で呼びとめられたのははじめてだ。
「偶然花梨さんをお見かけしたものですから。僕も今から帰宅するところなんです。正門までごいっしょしませんか?」
「そうでしたか。えぇ……もちろん」
「ありがとうございます!」
はにかんだ螢斗は、ごく自然に花梨と肩を並べる。
螢斗は本当に、ひとのふところに入り込むのが上手い。
(やっぱり、黄色なのよね)
ちらりと、螢斗の胸もとを盗み見る。ハート型の『好感度ゲージ』は、依然として黄色のままだ。
ほかの男子は花梨がちょっとほほ笑みかけたくらいで『好感度ゲージ』が変化するが、螢斗はそうでもない。年頃の男子にしてはめずらしく、あまり異性を意識していないように見受けられる。
恋愛より学業に重きを置いている、とでも言おうか。それが、男女わけへだてなく接する彼の社交性のゆえんとも言えるのだが。
螢斗となら、親しくしても『あのとき』のようなことは起きない。
気をゆるした結果、ほかのクラスメイトよりも身近な今の関係を築いていた。
「もうすぐ期末考査ですね。対策ははかどっていますか?」
「えぇ。中間考査で苦手だった箇所は見直しましたし、おそらく大丈夫かと。学年首位の座はわたしませんよ」
「ははっ、僕も負けてられないなぁ」
螢斗は見かけによらず、かなり頭が切れる。
定期考査のたびに首位の座を争っている花梨がそう思うのだから、たしかだ。
「じつは最近、花梨さんの元気がないようなので、心配してたんです」
「え……」
そして螢斗は時折、同年代の若者にはないような、ひどくおとなびた目をすることがある。
どこか達観している。人生2回目の花梨ですら、たじろいでしまうほどに。
「テスト勉強のことではないとすると、おうちのことで悩んでいるのかな。婚約をされるとお聞きしました」
談笑しながら歩いていた足が止まる。
なんとなく視線を合わせづらくて、花梨は顔をそむけた。
庭園をいろどる薔薇の生け垣が、夕映えにあざやかな真紅をたたえている。
堂々と咲き誇るそのすがたさえ、花梨にはまぶしかった。
「もう、決めたことですので」
「花梨さんは、それでいいんですか」
「
返答の歯切れが悪いのには、理由があった。
(正直……恋愛は、こわい……また『あのとき』みたいなことになったら……)
星夜はきっと、自分のことをたいせつにしてくれるのだと思う。
けれども、いざ恋愛をするとなると、花梨はとたんに臆病になってしまう。
『あのとき』の出来事のせいで、一歩を踏み出すことが、怖い。
「花梨さんが悩まれているのは、5年前の事件が原因、ですよね?」
そんなとき、思いもよらない問いを投げかけられて、花梨は硬直した。
「『なんで知ってるのか』ってお顔ですね。これでも各業界に顔がひろくて、情報収集は得意なんです。でも、安心してください。誓って、言いふらすような真似はしません」
螢斗はそう言って、ふとまなざしをやわらげる。そのまま絶句する花梨へ歩み寄ると、手を取った。
「恋愛を怖がるあなたのお気持ち、よくわかります。僕も、恋愛は恐ろしいものだと思います。だからずっと、あなたに言いたいことがあったんです。花梨さん、僕と結婚していただけませんか?」
螢斗は、何を言っているのだろう。
恋愛は恐ろしいと断言しながら、結婚を申し込んでくるなんて。それも、よりにもよって花梨に。
「おっしゃっている意味が、わかりません……私はもう、婚約者となる方がいる身ですし」
「まだ結婚したわけではないんです。婚約なんてもの、破棄してしまえばいい」
「そんな簡単に……!」
「花梨さん、今回の婚約は、鷹月財閥側から強い申し入れがあったと聞いています。おかしいと思いませんか? これまで男女の色恋に興味を示さなかった方が、いきなり面識もないご令嬢との婚約を熱望するなんて」
「それは……」
螢斗の言うとおりだ。花梨も、その疑問に何度ぶつかったか知れない。
いまだにわからないのだ。会ったこともない星夜が、なぜ初対面から、あんなにも好意的に接してくれたのか。
「面識のなかった花梨さんにご執心なばかりか、ありもしない妄想を口走られているようですし、鷹月星夜氏は、はっきり言って異常です。思い込みの激しい方を相手にするとろくなことにならないのは、あなたもよくごぞんじのはずでは?」
「……それは」
「その点、僕は花梨さんをよい友人だと思っています。色欲に駆られ、嫉妬に狂うことはありません。同じ目線で、ともに高め合っていける。心おだやかな家庭を築けると思うのです」
ぎゅ、と花梨の手をにぎった螢斗は、決定的な言葉を口にする。
「僕は唯一無二の友人として、あなたを愛しています」
「っ……」
「花梨さん、どうか僕の手を取ってくれませんか。それとも……僕の思想は、おかしいですか」
男女の友情、その延長線上に家庭を築いてもいいのではないかと、螢斗は言っている。
螢斗の『好感度ゲージ』が微動だにしなかったのは、こうした独自の考えがあったからなのだろう。
それを荒唐無稽な話だと突っぱねる権利は、花梨にはなかった。
「螢斗さんのご提案は、ありがたいです……でも私は、親切にしてくださる鷹月さまのお気持ちが、よこしまなものだとは思えないのです」
星夜と会話をするとき、胸がざわついて落ち着かない。
けれどそれは不快なものではなく、こそばゆくて、気恥ずかしいといった感情だ。
「私は、鷹月さまを嫌いだとは思えそうにありません。むしろ彼の言動は、好ましいと感じています。それなのに素直になれず、いつも冷たい態度をとってしまって、申し訳なくてたまらない……臆病な小娘が、勝手に悩んでいるだけなのです」
とつとつとこぼしながら、あぁそうか、と花梨は気がついた。
『俺のすべてをかけて、きみを守ると約束する』
星夜のやさしさに、惹かれはじめていると思ったけれど……
(そんなものじゃない。もうどうしようもなく、好きになっていたんだわ)
だが過去の出来事のせいで、星夜の想いに応えることへ臆病になってしまっている。
だから、こんなにも苦しいのだ。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。今回の婚約に関しては、自分で折り合いをつけます。ですので、お申し出はご遠慮させてください。ごめんなさい。親愛なる不破螢斗さんに、すてきなご縁がありますように」
花梨はにぎられた手を抜き去り、一歩引いて、深々と頭を下げた。
(……言った。終わったわ。さようなら、私の平穏な学園生活)
さすがの螢斗といえど、ここまであからさまに拒否されては、いい気分はしないだろう。
傷つける言動をした自覚はある。だから花梨も、螢斗に絶交されたとて反論できないと思っていた。
「……はは……くくっ……あはははっ!」
だが、事態は思いもしない展開を見せる。
螢斗が高らかな笑い声をあげたのだ。滑稽で仕方がない、とでも言うように。