ネオンがきらめく夜の繁華街に、
「くそっ……どいつもこいつも!」
ガサガサとコンビニのレジ袋をなかばふり回しながら、往来で悪態をつく。
見るからに酒くさい金田とすれ違う者は、みな腫れ物でも見るように避けていく。
それが余計に、金田の癪にさわるのだった。
「口の聞き方を知らないガキどもが、俺を馬鹿にしやがって!」
金田が荒れている理由は、ひとつ。
〈「お菓子あげる」 かくれんぼ中声かけられ、7歳女児誘拐 無職の男逮捕〉
──ていうかさ、小学生っつっても、今時知らないやつについてくか?
──ついてったんじゃない、連れ去られたんだよ。
──モノにつられるとか、シンプルに頭弱いおこちゃまなんだろ。
──記事読んでる? 脅されて連れ去られたって書いてるだろ。
──ちゃんと見てなかった親も悪いよな。
──誘拐した犯人が悪いに決まってるだろ。
──ていうか、見出しが悪い。
──これ炎上目的だろ、最低。
──胸くそ悪い。報告した。
──記者の名前書いてない時点で、お察し。
──書いたやつの名前出せよ。
金田の書いた記事は、見事『炎上』した。
金田が期待していた展開とは、まったく正反対の反応によって。
『あなたの投稿が、だれかを傷つけるかもしれない……』
『ネットリテラシーについて、もう一度よく考えていただけませんでしょうか』
事件の『真実』を語った会見の様子が、テレビ、ネット上で放映されたこと。
それが、金田を一夜にして絶頂からどん底へ突き落とした原因そのものだ。
会見後、手のひらを返したようにこのネット記事へ批判的な書き込みが急増した。
さらに投稿元である報道部のSNSアカウントにも、苦情や不適切な投稿である旨の報告が殺到。
そして金田が上司に肩を叩かれたのと同じ日、謝罪文の掲載とともに、該当記事は削除を余儀なくされた。
「あいつらが余計なことを言わなければ……あぁムカつくムカつくムカつく……!」
なにもかもが、腹立たしくてしょうがない。
怨念のごとく独り言をつぶやいていた金田は、ふと思いつく。
「そうだ……あの
にやり。金田は下卑た笑みが抑えられない。
「偽善者ぶってたやつらがスキャンダルですっぱ抜かれたら、最高だなぁっ!」
高らかな笑いが、夜の街に響きわたる。
金田は通りがかった飲食店の外壁に寄りかかると、コンビニで購入した缶ビールをぐび、と飲み干す。
「誰に喧嘩売ったのか、わからせてやる……!」
ばきり。忌々しげに吐き捨てた金田によって、空き缶が踏みつぶされた。
はーっ、はーっと鼻息も荒く興奮する金田は、ふと人の気配を感じ、顔を上げた。
コツリ、コツリ。
上等な革靴を鳴らして、『その人物』はすがたを現す。
「こんばんは」
「……あぁん? 誰だてめぇ」
金田が目をこらすと、相手はすらりとした長身の青年だということがわかる。
栗色の猫っ毛に、端正な顔立ち。細身で若い。10代後半の外見だ。
青年はセピア色のブレザーを身にまとっている。この付近で知らない者はいない、有名学園の制服だ。
「先日の記者会見にいらしていた方ですよね? はじめまして。僕は
「クラスメイト? はっ、いいとこのおぼっちゃんが、こんな時間にこんなとこにいてもいいんですかねぇ?」
酒くさい息を吐いてせせら笑う金田へ、青年──
口もとはゆるんでいるが、その瞳は、みじんも笑ってはいない。
「ご安心ください。たいした用件ではないので」
「なに……?」
ゆらり──……
風もないのに、螢斗を取り巻く影が、ゆらいだ。
「僕のだいじなものに手を出すやからには、『わからせて』あげようかと思いまして」
「なっ……!」
螢斗のほほ笑みにただならぬ気配を感じた金田は、ふるえ上がった。
「なにをするつもりだ……く、来るな!」
「──誰に命令しているんでしょう?」
後ずさる金田。次の瞬間、視界が回った。
ヴンッ!
「ぐがぁッ!」
突如吹き飛ばされた金田のからだは、路地裏のごみ箱に叩きつけられた。
「うぐ……な、なんなんだ……!?」
いったい何が起きたのか、金田は理解できない。
殴られたわけではない。たとえるなら、常人ではあり得ない『大きな手』につかまれ、放り投げられたような感覚。
コツリ、コツリ。
近づく足音に、金田は跳ね起きた。
「おっと、やりすぎましたか? 人間は存外、もろいですからねぇ」
「ひッ……!」
金田はすくみ上がる。
にこやかに歩み寄る螢斗、その背後で蠢く影が、人のかたちを成していなかったためだ。
『ソレ』は尾の裂けた狐のようにも、猫のようにも見える。
「ふふ、そんなに怖がらないで。恐怖も『
「ご、のう……?」
「そう。精神を乱す、愚かな感情です。嫉妬、欲望、悲しみ、恐怖、怒り……そんなものがあるから、悪い龍がやってくる」
「意味が、わからない……」
「わからなくてもいいですよ。あなたに、はなからそんな期待はしていない」
人形のような笑みを浮かべた螢斗が、金田の目前で、おもむろにしゃがみ込む。
「でも、ひとつだけ。あなたは罪を犯しました。僕のたいせつな『彼女』を害した罪です。罪はつぐなわなければいけませんよね? それだけのこと」
ぶわり。
肌を突き刺すような圧と、すさまじい悪寒が、金田を襲う。
にこやかな螢斗から向けられているもの。それは──殺気だ。
「おや、声が出ませんか? 脅しているつもりはないんですけどねぇ」
くすくす。
可笑しげな笑い声が、闇をふるわせる。
「大丈夫です。他人をうとむ醜いその魂を、僕が浄化してさしあげます」
しなやかな腕を伸ばす螢斗。
「輪廻転生できるかどうかは、わかりませんけどね」
最後にそう螢斗がつぶやいた刹那、金田の目前にかかげられた手のひらから、蒼白い光が解き放たれる。
『それ』を目の当たりにした金田の瞳からは、光が消え。
やがて、どさりと音を立て、金田はアスファルトに倒れ込む。
ぴくりとも動かない金田をしり目に、螢斗は立ち上がった。
「やれやれ……非力な者の相手をするのは、骨が折れる」
ため息まじりに栗色の髪をかき上げた螢斗は、夜空を見上げる。
「この『現代』という場所は、星の流れも見えなければ、ひとびとも死に急いでいる。他者をうとみ、おとしめて、なにが面白いのだろう」
皮肉ではなく、螢斗は本当にわからないのだ。
『不破さんは、おやさしい方ですね。不破さんが怒ったすがたなんて、想像できません』
いつだったか、花梨にそう言われたことがある。
そのとおりだ。花梨の言う『その感情』が、螢斗には存在しない。
『それら』は、排除すべきものであるから。
「人のふりというのも、なかなか苦労したけれど……そろそろかな」
夜空から視線を戻し、螢斗は口角を上げる。
「
闇夜へ向かって、螢斗は歩み出す。
「──待っていて。僕のかわいい
……しゃらん。
どこからか鈴のような音色が響いた直後。
螢斗のすがたは、煙のように、音もなく消え入った。