「嘘をつくのはやめろ。思ってもいないことを、口にするんじゃない」
「嘘じゃありません。私は本当に……っ」
「それなら、どうして俺を見ない? どうしてきみは……そんなにつらそうなんだ?」
奥歯を噛みしめていなければ、堪えられなかったから。
花梨は答えない。
顔をそらすことが、今できる精いっぱいのことだったから。
「こっちを見てくれ、花梨さん」
「っ……!」
この期に及んでも、
そっとほほをつつみ込まれたら、花梨もなすすべがなく。
ぼろぼろと大粒の涙をこぼす情けない顔を、星夜の目の前にさらすことになってしまった。
「……
気づけば、そんな言葉がこぼれていた。
せき止めていた感情も、一度解放されてしまえば、止められない。
「あなたみたいにすてきなひとには、もっとお似合いの方がいるはずです……どうして、私なんですか……なんで、やさしくするんですか……私はお嬢さまでもお姫さまでもない、きっとあなたを不幸にする……だから、やさしくしないで……これ以上、期待させないでください……っ」
「花梨さん。……もういいから」
星夜をふりほどこうとすれば、逆に引き寄せられる。
「自分を傷つけるのは、もうやめてくれ」
星夜の言葉に、花梨は我に返った。
「俺に嫌われようとして、きみ自身が傷ついた顔をしている。俺の痛みを自分のことのように感じてくれるきみを、どうして放っておける?」
「鷹月さま……きゃっ!」
星夜の腕に閉じ込められるまで、あっという間だった。
あまりの密着具合に、花梨はかああっと顔が火照る。
「離してください……!」
「泣いているきみを、離すわけがないだろ」
「泣いてません!」
「俺は泣きそうだ」
「んなっ……」
「いろいろとままならなくて泣きそうだったが、今度はうれしくて泣きそうだ。きみの本音が聞けたから」
……本音。
一瞬思考停止した花梨は、はっとする。
「あの……鷹月さま」
「うん?」
「聞かれ、ました……?」
「なにをだ?」
「もうっ、とぼけないでください!」
「俺がすてきな変人だとか、期待するからやさしくしないでくれだとか?」
「忘れてください」
「今まで以上にやさしくしようと思った。そうしたら、きみは『期待してくれる』ってことだろ?」
「〜〜〜っ!」
手遅れとは、このことを言うのかもしれない。
「あぁ、だめだ……きみはどうして、そんなに可愛いことを言うんだ」
星夜が悩ましげにつぶやいたそのとき、花梨は瞳を見ひらく。
(『好感度ゲージ』が……!)
つい先ほどまで橙色だったハートが、あざやかな赤色に戻っている。
なんならひとまわり大きくなって、ドッドッドッと脈打っているような気も。
「こら、よそ見をするな」
「わわ……!」
ほほをつつむ大きな手のひらが、花梨を上向かせる。
すねたような星夜も、花梨と目が合うと、へにゃりと破顔した。
「きょとんとして、かわいいな……」
「……あまりの衝撃に、言葉を失っているだけです。鷹月さま、すばらしくキャラが崩壊されておりますが」
「しまりのない顔をしている自覚はある」
「でしたら……」
「そういうきみこそ、その恥じらい顔が俺を骨抜きにするすさまじい威力であることを、自覚したほうがいいぞ」
「骨抜きっ……!?」
まさか星夜の口から出てくるとは思いもしない単語だ。
(あれ、私……鷹月さまに嫌われようとしていたのよね?)
あらためて自問自答してみる。
結果、好感度が下がったと見せかけて、なぜかさらに爆上がりしたようだ。なぜだ。
(でも……なんだろう、この感じ……心地いいわ)
ほっとした、とでも言おうか。
星夜に抱かれて、星夜の声を間近で聞いていると、花梨は無性に泣きたくなる。
(あぁ、そうか、私……)
星夜のそばが、心地いい。
そのことを認めてしまえば、なんだか急にばからしくなった。
(私……鷹月さまに、惹かれているのね)
嫌われたいという感情が、いつしか色を変えていた。
けれど花梨は、意地をはって、嘘をついた。
本当は星夜に好かれたいという、おのれの本心に。
そんな花梨の傷だらけの心に、星夜は気づいた。
これ以上花梨が自分を傷つけないよう、抱きしめてくれた。
(私は……彼を好きになっても、いいの……?)
こわごわと見上げる花梨。
その迷子のようなまなざしに、星夜は夜空のような瞳を細めて笑った。
「きみはもっと、わがままになっていい。俺がぜんぶ受け止めるから」
素直になってもいいのだと、言われた気がした。
じわり。
目頭を熱くさせるものがある。それを止めるすべを、花梨は知らない。
「鷹月さまを、きらいだというのは…………嘘です」
ぽつりとつぶやいた花梨の頭上に、「はは」と笑い声がこぼれて。
「さて、それならどうしようか。──きみが愛しくて、たまらなくなった」
ささやくような星夜の声が、甘い。
これから起こるだろうことを予想しながら、花梨は逃げなかった。
だってそんなことをしたって、無意味だ。
「花梨さん」
熱をおびた声に呼ばれた直後、唇を食まれる。
「まって……」
「待たない」
「んっ……」
恥ずかしくて、つい顔をそらしそうになったけれど。
星夜の口づけはやさしく、花梨も脱力して受け入れていた。
「は……」
しばらくして唇を離されたものの、依然として吐息がふれるほど近くに星夜がいる。
「そんなに、見ないでください……」
恥ずかしさのあまり花梨がうつむくと、星夜がため息をついた。
「このまま連れ帰るか……」
「お、おたわむれもほどほどに」
「冗談じゃない、俺は本気だ」
「余計だめでしょう!?」
真顔でなにを言っているのか。
このご時世、本当にJKをお持ち帰りするつもりなのか、この男は。
「安心してくれ、俺がなにかするとしても、よくて添い寝だ。……たぶん」
「そこは自信もちましょう!?」
星夜のそばは安心すると思ったが、冷静に思い直す。
身の危険しかない。
「おふたりさーん、イチャイチャするのはいいですけど、俺の存在忘れないでくださいねー」
そして追い討ちのごとく、教室の入り口に見知った影が。
「ななな
「またおまえか。だから空気を読めとあれほど」
「いや、カマかけただけなんだけど、マジでイチャついてたんかい、あんたら」
やれやれと肩をすくめる七海。その言い分から、どうやら今きたばかりであるらしいことがわかる。
「はいはい、花梨さんをご自宅までお送りしますよ! 口説くのはまた後日にしてくださいね、社長!」
「七海さぁん……!」
「俺より七海がいいのか? あいつ既婚者だぞ」
「あんためんどくさいな! はいそうです超美人の奥さんいますけどなにかー!」
星夜にズバズバと物を言う七海は、花梨にとって救世主だった。
しかしいざ花梨が七海に感動のまなざしを向ければ、星夜がふてくされるという。
「おまえがあと1分でも空気を読んでいれば、うまく事が運んだのに」
「言い方。俺、犯罪者の部下になりたくねーんですよ。ホントたのみますって、社長」
しまいには、七海もヤケになっていた。
星夜はぶつぶつと七海へ文句を垂れながら、右手でしっかりと花梨の手をにぎって離さない。
ちなみに左手には、花梨の通学鞄。無自覚だ。無自覚でこの彼氏ムーブをやってのけている。おそろしい。
(恥ずかしさで、人は死ねるわ)
どこにも逃げ場がない花梨は、羞恥で泣きそうになりながら、確信したのだった。