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第14話 やめるんだ

花梨かりんさん、悩みごとがあれば、遠慮なく僕にご相談くださいね」

「私、悩んでいるように見えましたか?」

「そうですね。あなたはやさしいひとですから、突然結婚を申し込まれても、断れなさそうです」

「けっ……」


 結婚。また脈絡もない話だ。


(でも、前に鷹月さまが迎えにきて、学園で目立っちゃったこともあるし……)


『そういう噂』が螢斗けいとの耳に届いていても、おかしくはないか。


「念のため申し上げますが、お付き合いをさせていただいている方は、おりません」

「そうなのですか? お見合いをされたとお聞きしましたが」

「それだけです! 鷹月さまとは婚約もしていませんし、お見合いだって母が楽しみにしていたので、断りづらくて……」


 そこまでまくし立てた花梨は、はっと我に返る。


(私、なにをそんなに言い訳して……)


 星夜せいやとのお見合いは乗り気ではなく、婚約もしていない。それはただの事実だ。それ以上でもそれ以下でもない。


(だけど、でも……)


 それならどうして、あんなに必死に言い訳をしてしまったのだろう。

 どうして、星夜に悪いことをしてしまったような気分になるのだろう。


「そうだったんですね」

「螢斗さん、あの……」


 だが、花梨ひとりのために、時は止まってはくれない。


「あなたの本音が聞けて、よかった」


 ふと瞳を細めた螢斗が、腕を伸ばしてくる。

 そしてすくい取った花梨の亜麻色の髪のひとふさに、唇をふれあわせた。


「花梨さん、僕でお力になれることがあれば、なんでもおっしゃってください。──あなたのためなら、なんでもします」


 窓から射し込む夕焼けをあびた螢斗は、ほほが赤らんで見える。

 ひざまずいてプロポーズ、とまではいかなくとも、螢斗の行動は、お姫さまにアピールをするおとぎ話の王子さまを思わせた。

 本当に恋でもされているように、錯覚してしまうほどに。


「螢斗さん……」


 しばらく呆けていた花梨は、直後、一瞬で現実へ引き戻される。

 螢斗の肩越しに、人影を認めたためだ。


「待たせてすまない」


 今となっては聞き慣れた低い声が、教室にひびく。

 星夜のすがたが、そこにあった。


「鷹月さま……!」


 とたん、花梨のこめかみに冷や汗がふき出る。


(いつの間に……!)


 焦る花梨をよそに、螢斗はいつも通りの笑みを浮かべる。


「あぁ、引き止めてしまってごめんなさい。僕は失礼しますね。花梨さん、また明日」


 にこやかに言い残した螢斗は、星夜への会釈も忘れずに、教室を後にした。

 静まり返った放課後の教室。花梨は、バクバクと異様に心臓が脈打つのを感じていた。


(螢斗さんとのこと……絶対問い詰められるわよね)


 うつむく花梨になにを思ったか。星夜が背を向け、口をひらく。


「ほら、遅くなるぞ。早く帰ろう」

「えっ……」


 星夜の反応は、予想外のものだった。

 花梨にかまいたがる星夜なら、「あいつは誰だ」とか「ふたりでなにをしていたんだ」とか、詰め寄ってくるだろうと思ったのに。


「あの、鷹月さま! その……聞かれて、いましたか?」

「聞く? なにをだ?」


 もちろん、螢斗との会話を、だ。

 星夜はとぼけている。だが花梨へ返す声が、いつもより半音高い。不自然な高さだ。

 そして星夜は背を向け、かたくなに花梨へ顔を見せようとしない。


「俺が聞いたら、きみはなんでも答えてくれるのか?」


 相変わらず、星夜はふり向かないけれど……


「思えばきみは……最初から俺との婚約に、難色を示していた」


 先ほどとは一変して絞り出すような声が、すべての答えだった。


「俺に嫌われたいのだと言う口で、俺のことを嫌っているわけではないとも言う。俺は……きみの考えていることがわからない。わからないなりに、好意はつたえてきたつもりだ」


 それは、花梨もよくわかっている。

 いつだって星夜の言葉は、行動は、まっすぐだった。


「きみはすましているつもりでも、俺のすることにいちいち反応して、だけど邪険にはしない。そっぽを向いていたかと思えば、ふいに可愛く笑うから……気を許してくれているのだと、思っていた。だがそれは、俺のかん違いだったんだな」

「鷹月さま、私は……」

「きみにも事情があるんだろう。無理やりきみの過去を暴くような真似はしたくない。それでも……俺にだって、がまんの限界はある」


 なにかに耐えるように吐露していた星夜が、おもむろにふり向く。

 誘われるように、花梨は見上げ──


「歯がゆくて、腹立たしい。きみが俺以外のやつと親しげにしていたのが……苦しい。悪い……どんな顔をしているのか、自分でもわからないんだ」

「っ……!」


 声をふるわせる星夜は、今にも泣き出してしまいそうだった。

 弱々しい星夜の表情に、花梨は絶句する。

 さらに花梨は、驚くべき光景を目にする。

 星夜の胸もとで不規則に脈打つハートが、赤色から橙色へ変色する光景だ。


(好感度が下がって……)


 息をのむ花梨。


 ──鷹月さまに、嫌われてやるーっ!


 そう奮起した自分が、花梨の脳裏によみがえる。


(そうよ、私は鷹月さまに嫌われるために奮闘してきたの。一歩前進だわ)


 だから花梨は、腕を組み、つんとした様子で、星夜へ言い放つ。


「でしたら、私のような女は早々に見限ればよろしいだけのことでは?」

「……花梨さん」


 星夜の声が、低くなる。

 もうすこしだ。あとすこし、突き放せば。


「あら、私は間違ったことを言っていますか? 鷹月さまのことは最初からなんとも思っていませんでしたし、たびたびデートにさそわれるのも、はっきり申し上げて迷惑でした」

「……いい加減にしろ」


 うなるような星夜を前に、ひるんでしまいそうになる。

 だが花梨は、引き下がるわけにはいかなかった。


 ──言え。

 容赦なく突き立てるのだ、言葉の刃を。


「ですから私は、あなたのことがきら──」


 意を決して吐き出そうとした言葉は、声にならなかった。

 ぐっと、手首をさらわれたせいで。


「やめるんだ、花梨さん」


 頭上を覆う影。

 怒鳴られてもしかたがないのに、星夜はそれをしない。諭すように、花梨を呼ぶだけだ。

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