「みなさま、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう、
(……あら?)
週明けの月曜日。いつもと変わらず登校した
顔を合わせる生徒たちが、みなそわそわとしているのだ。
(好感度は変わりないようだけど、どうしたのかしら……)
花梨は好奇の目にも似たまなざしの意味がわからず、釈然としないまま、教室へたどり着く。
「おはようございます、愛木さん」
そこで、花梨に声をかけてきた青年がいた。
「まぁ、不破さん。おはようございます」
青年の名は
栗色の猫っ毛が似合ういわゆる美青年で、笑みを絶やさない甘いマスクに、社交的な性格ときた。
だれに対しても礼儀正しく接するため、男女問わず交友関係の広い好青年でもある。
本音を言うと、異性相手にはすこし身構えてしまう花梨だが、螢斗は例外だった。
(よかった。不破さんは『いつも通り』ね)
ちらりと盗み見た螢斗の『好感度ゲージ』は、黄色のハート。『出会ったときからこの状態』だ。
(初期状態は緑色だから、不破さんは、はじめから私になにかしらの好感をもってくださっていたってことなのよね)
はじめこそ身構えたものだ。詳細は不明だが、以降もまったく『好感度ゲージ』が変化しないため、花梨は螢斗が相手の場合に限り、気の休まる思いだった。
実際、螢斗に振られる話題も、学生らしい何気ないものだ。
「週末の課題、いかがでしたか?」
「数学の問題に苦戦しましたが、なんとか。定期考査も近いですから、対策をしないと」
「それでしたら、またご一緒にどうですか?」
「まぁ、うれしいです。ぜひ」
螢斗は成績も優秀で、花梨もよく授業の空き時間や放課後に、顔を突き合わせてテスト勉強をすることがあった。
現状、家族以外で、花梨がもっとも気兼ねなく接することのできる人物。それが螢斗だった。
「そういえば……」
螢斗とひとしきり他愛ない会話を交わした花梨は、はたと思い出したことについて問うてみる。
「みなさんからの視線が、その……いつもとちがう気がするのですが、私の気のせいでしょうか……?」
ぱちり。まばたきをした螢斗は、すっきりと細いあごのラインに手を当てる。そしてすこし考えるような間のあとに、「もしかして」とふところを探る。
「僕も愛木さんにお訊きしようと思っていまして。こちらは、ごらんになられましたか?」
螢斗がさし出してきたのは、スマートフォンだ。
「これは……えっ!」
どうやら某SNSのタイムラインが表示されているようだった。が、そこに投稿されていたとある動画を目にした花梨は、絶句した。
『非力なこどもをさらうなんて正気じゃないわ、恥を知りなさい!』
騒然とする地下鉄。すすり泣くこどもを抱きしめ、毅然として男へ言い放つ少女のすがた。
見覚えがあるなんてものではない。
(いや、これ私──っ!)
否定するまでもなく、昨日の事件の一部始終を捉えた動画であった。
「こちらの女性、愛木さんですよね?」
「あ……あはは」
全力で目をそらすが、螢斗の言葉は確信したものだ。
一応顔にモザイクはかけられているものの、声は加工されておらず、わかるひとにはわかる。ほとんど意味はない。
「この動画がものすごい勢いで拡散されたようで、ネットニュースになっていたんです」
(あぁ……それで、あの視線ね……)
花梨はすべてを理解するとともに、泣きたい気持ちになった。
「このご時世ですから、愛木さんのことが心配になりまして……その後、いかがですか?」
ととのった眉を下げ、恐る恐る花梨を見つめてくる螢斗。その表情にここへ来るまでに見た好奇の色はなく、純粋に心配をしてくれていることがつたわる。
(まずい……そういえば、思い当たる節があるわ)
事件後、
「学校まで送るから」と言って、聞かなかったのだ。そういうわけで、ふだんは徒歩で登校している花梨も車で送迎された。これが今朝の話。
(お父さまもお母さまも、すごく心配してくださっていて、そのせいだと思っていたけど……)
思えば、朝から芳彦の携帯にせわしなく連絡が入っていた。花梨は「急ぎのお仕事でもあるのかしら」とのんきに構えていた自分を殴りたい心境だった。
(バズった動画を、マスコミとか動画配信者が押しかけて取材するのなんて、よくあることじゃない!)
内心発狂したくてたまらないところを、根性でこらえる花梨。なおも心配そうな螢斗を前にして、笑みが引きつる。
(よくもまぁ、こうも面白おかしく書けるわね……)
ざっと見ただけでも、拡散された動画や、ネットニュースの記事の反応が、ものすごいことになっている。
(…………あら?)
そのうちに、『あるもの』が花梨の目に止まった。「これですか?」と螢斗が画面をスクロールしようとするが。
「愛木さん。愛木花梨さんはいらっしゃいますか?」
ちょうどそのとき、教室の入り口から、花梨を呼ぶ声があった。
ギギ……と壊れたロボットのようにふり返った花梨は、嫌な予感がしてならない。
「至急、学園長室へいらしてください。お客さまがおみえになっております」
担任の女性教諭にうながされ、ついに花梨は、逃げ道が絶たれたことを悟ったのだった。
* * *
学園長室へ向かうと、学園長が客人の対応をしていた。
その客人とやらを目にして、花梨は頭が痛くなる。
「おはようございますー!」
「おはよう、花梨さん」
「……おはようございます、七海さん、
まさかとは思ったが、そこにいたのは七海、そして
「昨日の件についてですよね」
「さすが花梨さん、話が早い!」
朝っぱらからテンションの高い七海はとりあえず置いておいて、花梨は腹をくくり、星夜へ歩み寄った。
「きみも知っていると思うが、例の動画の影響で、俺たちの個人情報が特定されてな。うちの会社あてに早朝から電話が絶えないんだ。興味本位のいたずら電話だ」
そうなると、花梨の養父である芳彦が経営するホテルで同様のことが起きていても、おかしくはないだろう。
「この様子ですと、学園に取材の申し込みが殺到する可能性があります。そして私たち学園側は、生徒を守る義務があります」
ここまでくれば、学園長がなにを言わんとするか、花梨も理解した。
「花梨さん、どうしましょうか? お望みでしたら、いい感じにもみ消しますよ? 鷹月財閥に怖いものはありませんからねぇ」
にひひ、と七海が悪い顔で耳打ちをしてくるので、花梨は固まってしまった。冗談に聞こえないのが怖い。
「七海」
「はい、すみません!」
星夜が低くうなると、七海が花梨のそばから飛び退き、ぴんと背すじを張った。
「業務に支障が出ますので、わたくしどもとしても看過はできない問題です。もし愛木さんに悪影響が及ぶようでしたら、情報共有をお願いできますでしょうか。必要に応じて開示請求等の対応をおこないます」
学園長へ告げる星夜のすがたは、凛としたものだった。
「花梨さん、きみはどうしたい?」
そして花梨へ問いかける漆黒のまなざしは、真摯だ。
『俺のすべてをかけて、きみを守ると約束する』
ふいに星夜の言葉が脳裏をよぎり、花梨の顔にぽっと熱がともる。
(ちょっと、こんなときになにを考えてるの、私!)
落ち着かない気持ちをふり払うように、花梨は咳払いをひとつ。
そしてゆっくりと息を吐いたのち、星夜を見つめ返した。
「今回の件について、気になることがございまして」
「それで?」
「私からひとつ、ご提案させていただいてもよろしいでしょうか」
「かまわない」
即答だった。星夜の口調は、「きみの話ならなんでも聞こう」とでも言いたげだ。
だがたしかに、『これ』ばかりは、星夜の力を借りる必要がある。
「それでは、僭越ながら──」
だれもが注目するなか、花梨は口をひらくのだった。