「なんか、予想とちがう展開なんだけど……おふたりさん、大丈夫ですかぁ?」
信号待ち。ハンドルをにぎった
「消えてしまいたいです……」
「まさか社長、若い女の子に手を出し……」
「そんなわけがあるか。顔色が悪いから手を貸そうとはしたが」
ルームミラー越しに七海から疑惑の目を向けられた
「お姫さまだっこの、なにがいけなかったんだ……?」
「『手を貸した』ってそういうことかい! それがもう答えじゃん!」
「なぜだ? 女性はお姫さまだっこを好むものなんじゃないのか?」
「こんのド天然が! その仏頂面からくり出される乙女ワードなんか聞きたくないんすよ!」
「そういうおまえは、知ったふうな口を聞くんだな……」
「あんた何歳だよ、むくれても可愛くねぇから!」
歯に衣着せぬ、とはいうが、それにしてもズバズバと遠慮のない物言いだ。
これが社長と秘書の会話だというのだから、おどろきだ。まぁ実際は七海のほうが3歳年上なので、こうして星夜をたしなめるのはままあることだったりする。
そうしているうちに信号が変わり、花梨を乗せた黒塗りの車が動き出す。
(勝手に職場に押しかけて、七海さんにも迷惑をかけて……本当になにをやってるのかしら、私……)
窓ガラス越しに流れゆく景色を見つめ、花梨は自己嫌悪に陥っていた。
星夜に嫌われようと奮闘したが不発に終わり、自宅まで送られることに。これは、社長室から出てきた花梨の様子がおかしいことに気づいた、七海の提案だ。
当然のように星夜も同行。後部座席の助手席側で縮こまった花梨は、となりで腕を組み、ふてくされた星夜の存在に、気もそぞろだった。
(七海さんの気遣いに感謝しなくちゃ。
自分ですら嫌気がさすのに、どうして星夜は愛想をつかさないのだろう。体調が悪いのではないかと、気にかけてくれるのだろう。
(好感度だってそうよ。最初からあんなに高くて……私、前世でなにか徳でも積んだのかしら)
ぐるぐると思考をめぐらせていた花梨は、そこではは……と自嘲をもらした。
(って、そんなわけないわよね。ばかみたい)
前世の『花梨』は、だれにも愛されず死んでいった。
そんなことは、花梨自身がよくわかっている。
(……彼のようにやさしくて、すてきなひとには、もっとふさわしいお相手がいるはずよ)
自分は星夜とは釣り合わない。花梨の中ではそう結論づけられた。
「……花梨さん」
「はい──」
呼ばれた気がして、無意識のうちにふり返った花梨は、ぎょっとする。
眉間にしわを寄せた星夜に、じっと見つめられていたのだ。
「わ、私になにか……?」
「また、変をなことを考えているんじゃないかと思って」
「変なこと、とは……?」
「さぁ。それはきみにしかわからない」
動揺を見透かされたのかと焦った花梨だが、あくまで星夜は「他人の心境はわからない」というスタンスらしい。その上で。
「ただ、きみに浮かない顔をさせる『その考え』は、俺にとって不本意なものだ。それは断言できる」
「……っ」
──自分を責める必要はない。
星夜の言葉は、真正面から花梨の胸に刺さった。
けれど痛みではなく、じんわりと熱を広げるだけ。
(あぁもう、どうして彼は、こんなに……っ!)
たまらず、花梨は顔をそらした。星夜を直視できない。
「花梨さん、きみは──」
「も、もうこんなところに! 七海さん、あちらに見える公園までおねがいできますか!」
わざとらしく声をあげた花梨に、星夜が押し黙る。花梨は、見て見ぬふりをした。
「えぇ? あそこで下りられるんです? ご自宅までまだ遠いでしょ?」
「そんなに遠くはないですよ、徒歩20分くらいです!」
「けっこう遠いと思うけどなぁ……」
七海は首をかしげながらも、花梨の要望どおり路肩へ車を寄せる。
停車するやいなや、花梨はそそくさとドアに手をかけた。
「本日はありがとうございました。私はこれで……」
「待て」
口早に礼を言って立ち去ろうとした花梨だが、星夜がそれをさせてくれない。花梨が閉めようとしたドアを押しひらくようにして、車外へ出てきた。
星夜は真顔のまま、ちらりと七海へ視線をやる。
「おまえは戻れ」
「おっと……なんだか嫌な予感がしますよ」
「ここからは、俺が彼女を送っていく」
「ほらきたー! だからそれじゃ本末転倒でしょうがー!」
「さっさと行け」
星夜はにべもなく言い放って、七海の抗議をばたん、とドアで遮断する。
その光景を、花梨はあっけにとられながらながめるしかなかった。
やがて、向き直った星夜に見下ろされ、はっと花梨は我に返る。
「鷹月さま、お見送りはけっこうですから」
「きみをひとりで帰らせろと?」
「この近くは通学路でもありますし、大丈夫ですよ」
「未成年の誘拐事件の大半は、夕方以降の通学路で起きていることを知らないのか?」
「それは、知ってますけど……」
実際に近辺で事件が起きたわけではなくて、星夜が言っているのは、統計上の話だろう。
花梨だって年ごろの女子だ。スマートフォンに不審者情報を通知する防災アプリを入れるくらいの意識はしている。
「人どおりの多い場所を選んで帰りますから……」
「だめだ」
即答だった。花梨がなにを言おうが、星夜は折れる気はないようだ。
星夜といることが気まずいのに、ひとりで帰らせてくれない。とうとう花梨はとほうに暮れてしまった。