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第5話 好感度がびくともしないんですが

「……はい?」


 なにが起きたのか、花梨かりんはすぐに理解ができない。


(え? 鷹月たかつきさまが、笑った? 今までのやり取りのどこに、笑いの要素がありました?)


 完全に思考停止した花梨をよそに、星夜せいやはゆるんだ口もとを手で覆い、くく、とのどの奥で笑っていた。

 星夜の胸もとに浮かぶハートは、変わらぬ赤色。この期に及んでもなお、花梨への好感度が揺るぎないあかしだった。


「あぁ、いいな。学園で評判の『優等生な愛木ひめきさま』より、そうして百面相しているきみのほうがいい」

「学園での私の評判を、ごぞんじなんですか」

「婚約者のことだ。関心があって当然だろう」

「こんっ……!? まだ婚約はしてませんっ!」

「わかったわかった、ははっ」


 ムキになって言い返しても、星夜はおかしげに笑いながら、なだめてくるだけ。


「からかわれてる……ひどい!」


 軽くあしらわれているのが悔しくて、花梨の目じりがじわりとにじむ。


「ばかにしていたわけじゃないんだ。気を悪くしたなら、すまない」


 ふと星夜が漆黒の瞳を細めたかと思えば、その指先が伸ばされる。


「俺はずっと、きみに嫌われているものとばかり思っていた。嫌われていなくて、よかった……心の底から、ほっとしたよ」


 星夜の言葉に、からかいの色はない。


「ほっとしたら、胸がいっぱいになって、どうにもたまらなくなったんだ。だから俺がきみにふれることを、すこしでいい、許してくれるか」


 星夜はそういって、涙のにじむ花梨の目もとをぬぐう。


(……やさしい手つき……)


 星夜にふれられている場所から、ぬくもりが広がる。

 慈しみの心をもってふれていることが、伝わる。


(彼が相手だと、拒めない……どうして?)


 星夜にふれられるたび、花梨はひどく安堵してしまう。

 かたくなな意思とは裏腹に、無意識に身をゆだねてしまうのだ。

 その安心感は、懐かしさにも似ている。


「花梨さん、どうしてきみが俺に嫌われようとしていたのか、訊いてもいいか?」

「──っ!」


 そんなとき、ふとした星夜の問いに、花梨の血の気が引く。


「それは、ですね……その…………」


 どもる花梨。心臓がどくりと嫌な音を立て、じわりとこめかみに汗がふき出る。


(鷹月さまに、『あのこと』を話すの……? でも、そんなことをしたら……)


 言葉を見つけられずにいると、花梨の頭に、ぽんと手が乗せられた。


「話したくないなら、それでいい」


 花梨は瞳を丸くする。

 おろおろと目を泳がせ、落ち着きのない花梨の異変を、星夜は悟ったのだ。


「きみにとって、俺はまだ信用に足る男ではない。早い話がそういうことだろう。ぶしつけに追及する権利など、俺にはない」

「鷹月さま……」

「だが、ひとつだけ。七海ななみの言うことを真に受けないように。ろくなことがないからな」


 花梨の頭をなでていた星夜の視線が、おもむろに落とされる。

 花梨の首もとへ伸ばされた星夜の手は、ブラウスのボタンを留めていただろうか。


「っ、きゃあああっ!」

「おっと」


 星夜を突き飛ばした花梨は、恥ずかしさあまり、頭をかかえてしゃがみ込んだ。


「やらかしたわ人生最大の汚点だわっ! もういや〜っ!」

「そこまで嫌がられると、さすがに傷つくんだが」

「鷹月さまも鷹月さまです! なんで私みたいなのに迫られてまんざらでもなさそうなんですか! 善良な市民を守るお仕事はどうしたんですか!?」


 星夜に詰め寄った花梨は、バン! と彼のデスクを引っぱたく。自分から押しかけて邪魔をしたことは棚に上げている。

 それでもやはり、星夜は腹を立てるそぶりを見せない。


「そうだな、花梨さんには礼を言わないと。ありがとう」

「どこの文脈でそうなります!?」

「じつはここ最近、仕事が詰まっていてな。気も詰まっていたところだったんだ」


 星夜は椅子の背にもたれ、ふぅ……と息を吐きながら眉間を揉む。

 花梨がはっと視線をやると、デスク上には犯罪防止の啓発ポスターのサンプルであったり、その他会議の資料だと思われる書類が山積みになっていた。


「きみをここへつれてきたのも、七海のやつが変な気をきかせたんだろう」

「あ……」


 そう、七海は星夜の秘書。

 星夜をからかいたかったという個人的な思いつきもあるだろうが、それ以前に、星夜のスケジュール管理を一任されている。


「きみと話したら、いい気分転換になった。ありがとう」


 ふつうはセキュリティーの厳重な社長室に、ほいほい部外者を入れるわけがない。すこし考えればわかることだろうに。


(鷹月さまは、私とのやり取りを心地いいと感じてくださっている。七海さんもそれを知っていて、私をここに通してくれたのね)


 それだけ、星夜と七海は、花梨を信頼してくれているのだ。


(そんなの……反則だわ)


 花梨は無性に、胸がむずかゆくなったが……


(そうだわ……鷹月さまはセキュリティーシステム開発のほかにも、系列の警備会社の管理や、防犯関連の講演で毎日忙しくされているはず)


 そのことに気づいたとたん、花梨の気持ちが重く沈む。


(私の幼稚なわがままで鷹月さまをふり回すことは、彼に守られるたくさんのひとたちの安全を、妨害してるってことだわ……)


 唇を噛む花梨。おのれの軽率な行動に、にぎりしめたこぶしがふるえた。


「……もう帰ります。本日はお時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」


 星夜の顔を見ることができなかった。

 しかし逃げるように背を向ける花梨を、星夜が黙って見送るわけがない。


「待ってくれ。自宅まで送る」


 星夜は力強い腕で、ぐ、と花梨の肩を引きとめる。

 うつむく花梨には、星夜がどんな表情をしているのかはわからなかったが。


「そんな顔のきみを、放っておけるわけがないだろう」


 鷹月星夜という人物は、どこまでもまっすぐな青年だと、花梨は思い知らされた。



  *  *  *



 ──その帰り道。

 いたたまれない気持ちで頭がいっぱいの花梨は、知るよしもなかった。



「花梨さん…………花梨ッ!」



 まさか、『あんなこと』が起きるなんて。

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